今日・散髪に行った。
順番待ちの”記帳”を済ませ、順番を待った。
7人程の後が、私であった。
今では、見る?(読む)事も無くなった週刊誌を、何処を読むことも無く見ていた。
一時間程、待っただろうか・・順番が来て、椅子へと案内された、
手際よくカットが終わり、髭剃りとなった。
カットする者・髭剃りをする者と、分業制である。
そして「眉毛の下、剃りますか?」
「はい(お願いします)」
中学生の頃は、隣が理髪店で、この様な会話をしなくても”従来通り!”として処理されていた様に思う。
高校時代は、学校に理髪室があって、昼休み中や放課後に利用していた。
この頃からでしょうか?「眉(毛)の下、剃りますか?」と云う問い合わせが始まったのは・・・?
単純計算で、年間10回・理髪店に行ったとして、飽きもせず・600回にも及ぶ会話をしたことになる。
”塵も積もれば山と成る”では無いが、生活の積み重ねの”成せる業”なのでしょうか・・・?
しかし、無くては成らない、此れからも続く”会話”なのでしょう。
順番待ちの”記帳”を済ませ、順番を待った。
7人程の後が、私であった。
今では、見る?(読む)事も無くなった週刊誌を、何処を読むことも無く見ていた。
一時間程、待っただろうか・・順番が来て、椅子へと案内された、
手際よくカットが終わり、髭剃りとなった。
カットする者・髭剃りをする者と、分業制である。
そして「眉毛の下、剃りますか?」
「はい(お願いします)」
中学生の頃は、隣が理髪店で、この様な会話をしなくても”従来通り!”として処理されていた様に思う。
高校時代は、学校に理髪室があって、昼休み中や放課後に利用していた。
この頃からでしょうか?「眉(毛)の下、剃りますか?」と云う問い合わせが始まったのは・・・?
単純計算で、年間10回・理髪店に行ったとして、飽きもせず・600回にも及ぶ会話をしたことになる。
”塵も積もれば山と成る”では無いが、生活の積み重ねの”成せる業”なのでしょうか・・・?
しかし、無くては成らない、此れからも続く”会話”なのでしょう。