若かりし頃を、思い出される品々を天井裏の整理中に発見した。
繰り返された転勤・転居においても、開封もしなかった形跡がある。
その1:昭和40年頃のアマチュア無線機である。
仕事仲間であったY氏(日記「親しき友 逝く(2013.11.23)」)から譲り受けたものである。
そして、私が初めて手にしたメーカー製の「アマチュア無線機」である。
当時は、手造りすることが”当たり前”的な、環境であった。
メーカー製は、品数も少なく、ドダイ高価であったことから”手”が出せなかったことが大きな要因であった。
私の記憶では、当時、アマチュア無線機を製造・販売していたメーカーとして「トリオ」「八重洲無線」「イノウエ」であったと思う。
因みに、「トリオ」は「ケンウッド(KENWOOD)」であり、「イノウエ」は「アイコム(ICOM)」である。(「八重洲無線」のロゴ:YAESU)
今日の絵日記(写真)は「イノウエ社製の50Mhz帯のトランシーバー」である。
ロゴの変遷を感じさせられる「I.C.E」と表示されている事も興味深い。
時代的には、真空管から、トランジスターへの移行時期(時代)であった。
現役時代、泊り込みで山上施設の点検業務があった。
業務終了後の楽しみは”アマチュア無線で、見知らない人達との会話であった。
アマチュア無線を楽しむロケーションとしては最高な立地条件である。
都市雑音も無く、TVI(テレビ受信障害)の発生の心配もない。
春から夏の昼間、電波を反射させる電離層が突如(スポラディック)として現れる事がある。
通常は、通信(通話)が出来ない遠距離の通話が、可能に成るのである。
短時間で消滅する場合もあり、数時間・継続する場合もある。
この症状が発生すると、興奮した記憶がある。
若き頃の、他愛もない趣味に熱中した事を思い出させる”オモチャ”であった。
繰り返された転勤・転居においても、開封もしなかった形跡がある。
その1:昭和40年頃のアマチュア無線機である。
仕事仲間であったY氏(日記「親しき友 逝く(2013.11.23)」)から譲り受けたものである。
そして、私が初めて手にしたメーカー製の「アマチュア無線機」である。
当時は、手造りすることが”当たり前”的な、環境であった。
メーカー製は、品数も少なく、ドダイ高価であったことから”手”が出せなかったことが大きな要因であった。
私の記憶では、当時、アマチュア無線機を製造・販売していたメーカーとして「トリオ」「八重洲無線」「イノウエ」であったと思う。
因みに、「トリオ」は「ケンウッド(KENWOOD)」であり、「イノウエ」は「アイコム(ICOM)」である。(「八重洲無線」のロゴ:YAESU)
今日の絵日記(写真)は「イノウエ社製の50Mhz帯のトランシーバー」である。
ロゴの変遷を感じさせられる「I.C.E」と表示されている事も興味深い。
時代的には、真空管から、トランジスターへの移行時期(時代)であった。
現役時代、泊り込みで山上施設の点検業務があった。
業務終了後の楽しみは”アマチュア無線で、見知らない人達との会話であった。
アマチュア無線を楽しむロケーションとしては最高な立地条件である。
都市雑音も無く、TVI(テレビ受信障害)の発生の心配もない。
春から夏の昼間、電波を反射させる電離層が突如(スポラディック)として現れる事がある。
通常は、通信(通話)が出来ない遠距離の通話が、可能に成るのである。
短時間で消滅する場合もあり、数時間・継続する場合もある。
この症状が発生すると、興奮した記憶がある。
若き頃の、他愛もない趣味に熱中した事を思い出させる”オモチャ”であった。