我が家の、犬くんの名は”杏”と云った。
娘が名付けた”名”である。
5月5日頃から、急激に食欲が失せた。
それまでは、朝夕に与えていた食事を、待ちかねていた。
獣医師の指導(貧血症状)で、子犬用の缶詰(野菜・鶏肉などの料理品)と、ドライフーズを与えていた。
缶詰は、犬くんにとっても美味しいのか、好んで食べていた。
食欲が無くなってからは、その缶詰も食べなくなった。
加えて、鶏肉を茹で、サツマイモは、焼き芋風にしたものを与えたが、食べない。
しかし、有る時、与えたままにしていたら、食べていたので「気が向けば食べるのかな・・?」と思った。
9日となっても、改善(食べない)しない事から、病院へ行った。
レントゲン検査では、肺や胃には問題は無いという。
血液検査で、腎臓に問題があるとの検査結果が示された。
計測機で測定できる範囲を超える(スケール・オーバー)結果とのこと。
又しても、医者から出た言葉「(生存している事が)不思議・・!」と・・・
エコー検査を始めようとした時、獣看護師が「先生!」と、医師に異変を告げた。
医師は、心肺蘇生を始めた。
そして、気道確保のための器官挿入を行う指示をだした。
すぐさま、集中治療室に運ばれた。
30分程が経過した時、医師に呼ばれ集中治療室へ行った。
そして、告げられた言葉が「改善の手当てが無いので(器官挿入を)抜きたい!」であった。
ちっちなカラダに太い管が口に刺さっている。
”楽にして遣りたい!”と思ったら目頭が熱くなってきた。
「抱いてやって(看取って)下さい」との医師の言葉が、追い打ちを掛ける。
支払いは「後日で・・!」とのスタッフの言葉に送られて帰宅する。
帰宅したのは、お昼前であった。
唯々・撫でてやることしか、出来ないもどかしさ・・!
14時過ぎ、息子から「今日、どう!?」と電話があった。
帰省中の息子に「飯でも食わんか!」と、提案していた。
この様な仕儀に成るとは、思ってもいなかった。
誰にも、犬くんの事は告げづに看取ってやりたいと思っていたが、事情を告げなくてならなくなった。
「様子・観に行く・・!」と云って電話が切れた。
17時過ぎに、息子夫婦が来てくれた。
心細かった気持ちも救われる思いであった。
息も細く、心臓の鼓動も、観察できない程に弱って来た。
19時10分、11年と4ヶ月の生涯を、静かに閉じた。
娘夫婦も来た。
娘(息子の嫁)が「お義父さんの匂いがするシーツを敷いてやろう!」と云う事で、使っているシーツを寝床(箱)に敷いてやった。
やがて、子等は帰って行った。
添い寝をしてやろうと、隣にふとんを敷いた。
翌朝、病院に結末の連絡と、治療・診断料金を支払いに行った。
そして、医師やスタッフに礼を述べ”葬儀”の準備を行った。
ペット霊園の担当者から「15時に来てくれ!」との指示で、火葬に付した。
永く共に生活を送っていたが、別れは、一瞬にして呆気なく過ぎ去った。
お線香をあげて、偲ぶ日々である。
娘が名付けた”名”である。
5月5日頃から、急激に食欲が失せた。
それまでは、朝夕に与えていた食事を、待ちかねていた。
獣医師の指導(貧血症状)で、子犬用の缶詰(野菜・鶏肉などの料理品)と、ドライフーズを与えていた。
缶詰は、犬くんにとっても美味しいのか、好んで食べていた。
食欲が無くなってからは、その缶詰も食べなくなった。
加えて、鶏肉を茹で、サツマイモは、焼き芋風にしたものを与えたが、食べない。
しかし、有る時、与えたままにしていたら、食べていたので「気が向けば食べるのかな・・?」と思った。
9日となっても、改善(食べない)しない事から、病院へ行った。
レントゲン検査では、肺や胃には問題は無いという。
血液検査で、腎臓に問題があるとの検査結果が示された。
計測機で測定できる範囲を超える(スケール・オーバー)結果とのこと。
又しても、医者から出た言葉「(生存している事が)不思議・・!」と・・・
エコー検査を始めようとした時、獣看護師が「先生!」と、医師に異変を告げた。
医師は、心肺蘇生を始めた。
そして、気道確保のための器官挿入を行う指示をだした。
すぐさま、集中治療室に運ばれた。
30分程が経過した時、医師に呼ばれ集中治療室へ行った。
そして、告げられた言葉が「改善の手当てが無いので(器官挿入を)抜きたい!」であった。
ちっちなカラダに太い管が口に刺さっている。
”楽にして遣りたい!”と思ったら目頭が熱くなってきた。
「抱いてやって(看取って)下さい」との医師の言葉が、追い打ちを掛ける。
支払いは「後日で・・!」とのスタッフの言葉に送られて帰宅する。
帰宅したのは、お昼前であった。
唯々・撫でてやることしか、出来ないもどかしさ・・!
14時過ぎ、息子から「今日、どう!?」と電話があった。
帰省中の息子に「飯でも食わんか!」と、提案していた。
この様な仕儀に成るとは、思ってもいなかった。
誰にも、犬くんの事は告げづに看取ってやりたいと思っていたが、事情を告げなくてならなくなった。
「様子・観に行く・・!」と云って電話が切れた。
17時過ぎに、息子夫婦が来てくれた。
心細かった気持ちも救われる思いであった。
息も細く、心臓の鼓動も、観察できない程に弱って来た。
19時10分、11年と4ヶ月の生涯を、静かに閉じた。
娘夫婦も来た。
娘(息子の嫁)が「お義父さんの匂いがするシーツを敷いてやろう!」と云う事で、使っているシーツを寝床(箱)に敷いてやった。
やがて、子等は帰って行った。
添い寝をしてやろうと、隣にふとんを敷いた。
翌朝、病院に結末の連絡と、治療・診断料金を支払いに行った。
そして、医師やスタッフに礼を述べ”葬儀”の準備を行った。
ペット霊園の担当者から「15時に来てくれ!」との指示で、火葬に付した。
永く共に生活を送っていたが、別れは、一瞬にして呆気なく過ぎ去った。
お線香をあげて、偲ぶ日々である。