ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

或る先生が発した言葉を思い出したこと!

2017年07月10日 | 日記
 朝夕に、お蝋燭に点火する儀式を行っている。
 何も、不可思議な行為を行っている訳ではない。
 御神前における”御定め事”に基づく、行為の実行をしているだけである。
 此処で、腹立たしく思うのが、マッチが点火しない事である。
 湿気の所為で、マッチの先の”火薬”自体が点火しない・・
 点火したとして、燃焼が継続しない。
 蝋燭に点火する為に、5~10本のマッチを消耗している。
 「歯痒い!!」と、腹立たしく思う。
 御神前にあって、イケない事である。
 そして”昔”を想い出していた。
 小学校の高学年だったか、中学生になってだったか、記憶が乏しい。
 しかし、私の記憶に残る言葉として、今も鮮明に思い出せるのである。
 戦後復興を果たそうとする”敗戦国・日本”の製品を使い続けてくれた”国”があった事を、教えられた。
 当時の私としては”戦争を起こし、敗戦国となった”と、しか知識は無かった。
 そして、駐留軍の存在であった。
 幼稚園教育の、第一期生として、私の”好むと好まざるとにかかわらず”戦後教育を受ける事となった。
 記憶に残る教師の”顔”は、今も思い出される。
 私を、今ある方向に導いてくれたI先生 
 数少ない私の特質を見出してくれたS先生
 算数の楽しさを教えてくれたS先生
 物理や(日常的な)疑問に答えてくれたI先生
 そして、怖くて・怖くて!恐れをなしたM先生
  (I&Sは個別の先生である)
 このM先生は、私の両親を説得して、私の進む路を開いてくれた先生でもあった。
 M先生に対する評価は、兄弟間でも別れる。
 姉と私は”恩師”であっても、兄は違った。
 そうなんです、M先生は、十数年にわたって、母校で教鞭をとった教師(恩師)であった。
 前書きが長く成ったが”火が点かないマッチ”という、思い出話し!で、ある。
 終戦を迎えて、十数年が経過した時代の学習の中で、生産品の話し(授業)があった。
 当時の国産に対して、信頼性の無かった外国産の製品がテーマになった。
 我々が日常的に使っている製品に対し、当時にあって品質の悪い、安価な製品もあった?
 私達・生徒が、考えを発表すると、担当教諭は「(アメリカに輸出する、マッチ等を)辛抱強く使ってくれることで、今ある(日本の)経済(が保たれている)を教えられた。
 粗悪品(火が点かないマッチ等)を、輸出していた事を教えられ、討論が興ざめた事が、思い出された。
 現実に戻って、マッチが役に立たない!という話から、古き昔を想い出させる事でであった。
 思い出される事の多きが善い!
 人が生きると云う事は、歴史の積み重ねなのだから・・!、
 繰り返す思い出の中に、今ある事を想い、生きた歴史を知る事になる。
 人生なのでしょう・・・か?
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