ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

目に見えない”敵”

2020年05月10日 | 日記
 コロナウイルス問題で、各種のイベント等が中止に追いやられた。
 同窓会の中止
 祖母の50回忌法要や、昔・お世話に成った方の葬儀・・・
 加えて、叔母(母の妹)が逝去され、家族で葬儀を行った事の連絡を頂いた。
 叔母は、100歳を超えての長寿を全うされた。
 思い出に残る事は、多々ある。
 叔母には、五人の子供が居た。
 同級生の三女と、三歳・年少の次男とは、特に仲良くしてしてもらっていた。
 小学校の高学年の事であったと思う。
 夏休みで、叔母宅に滞在した。
 この時(和船の)櫓を操作する事を覚えさせてもらったり、私の人生を左右する出来事(エポック)が起きた。
 叔父(叔母の主人)宅に、叔父の甥(Aさんとする)が同居していた。
 Aさんは、地元の電力会社に勤めていた。
 夜な夜な、Aさんの話し(電気に関する)に聞き入った。
 そして「鉱石ラジオ」の製作まで話が及んだ。
 Aさんの持ち合わせていた「コイルやバリコン」等の部品の提供を受け、初めての電気鏝による半田付けを体験した。
 マグネチック・レシーバー(両耳式)を接続し、聞えてきたラジオ放送に感激した。
 やがて、叔母に連れられ、帰宅する事と成った。
 造った「鉱石ラジオ」は、持ち帰ることを許されたが「レシーバー」は、当然ながら不可であった。
 経緯は記憶にないが、駅の近くの電気店で「クリスタル・レシーバー」を買って提供された。
 叔母が「レシーバー」が必要と、理解していたことは、今も謎である。
 考えるに、叔母はAさんからの情報提供があっての仕儀であったと、思うのである。
 この時の叔母の心遣いが、今も思い出されるのである。
 葬儀に参列し、思いを込めて焼香・黙礼を果たしたいと思った。
 が、果たせなかった。
 それは、一にも二にも、目に見えない、憎き”敵”がいることである。 
コメント