<2008.10.6>
会社においては、純技術的な仕事がメインではあったが必ずしもそればかりでは良い製品を設計することはできない。
特にチーム活動となると組織がうまく動くように管理面の技術も必要になってくるし、
これらについても日常新たに学習することも多々出てきていた。
このようなことを経験する中で、新しい場面に遭遇すると意識しているか否かにかかわらず、必ず「学ぶ」ことから始まっていった。
その学びが学問的であろうと、経験的であろうと、とにかく今まで自分にない知識をそこに蓄えていくわけである。
その時は気付かなかったが、今から振り返るに「経験を積み重ねる」という学びが特に役にたったようである。
勿論自分の失敗経験が一番役に立っわけであるが、先輩の失敗経験談や本に出てくる著者の経験話など参考になることが非常に多かった。
このような推移を経て私の心の中に、社会に出てからの学習への意欲が徐々に芽生えてきて、30代前半~40代後半にはいろいろ本を読んだり、通信教育などを受講して来た。
このことは自分にとっては、学ぶことは苦痛でも何でもなく、今までにない新しい知識(知恵)が、どんどん身についてくるという感動そのものであった。
振り返って見るに、高校卒業時何も感じなかった社会に出てからの学習についての認識が、20年間の経験を経ることによりこのように様変わりしていったわけである。
<稲刈り真っ盛り>
会社においては、純技術的な仕事がメインではあったが必ずしもそればかりでは良い製品を設計することはできない。
特にチーム活動となると組織がうまく動くように管理面の技術も必要になってくるし、
これらについても日常新たに学習することも多々出てきていた。
このようなことを経験する中で、新しい場面に遭遇すると意識しているか否かにかかわらず、必ず「学ぶ」ことから始まっていった。
その学びが学問的であろうと、経験的であろうと、とにかく今まで自分にない知識をそこに蓄えていくわけである。
その時は気付かなかったが、今から振り返るに「経験を積み重ねる」という学びが特に役にたったようである。
勿論自分の失敗経験が一番役に立っわけであるが、先輩の失敗経験談や本に出てくる著者の経験話など参考になることが非常に多かった。
このような推移を経て私の心の中に、社会に出てからの学習への意欲が徐々に芽生えてきて、30代前半~40代後半にはいろいろ本を読んだり、通信教育などを受講して来た。
このことは自分にとっては、学ぶことは苦痛でも何でもなく、今までにない新しい知識(知恵)が、どんどん身についてくるという感動そのものであった。
振り返って見るに、高校卒業時何も感じなかった社会に出てからの学習についての認識が、20年間の経験を経ることによりこのように様変わりしていったわけである。
<稲刈り真っ盛り>