<2008.10.27>
私が購読している新聞に由布院の街の学術文化発展に頑張っている方の自叙伝風の連載記事があって、毎日興味深く読んでいる。
この記事の中に、街のシンボルである由布山のことやその写真などが載っている。
山の頂上が大きく二股に分かれていて昔の噴火の跡を匂わせている姿である。
一方私が育った近くには、八面山という海抜600mくらいの頂上は長い平面であるが、鋭い絶壁をもつきれいな形をした山があり、私の心の故郷のシンボルでもあり、憧憬も抱いている。
多分由布院の街の人々も、街から見上げることのできる「由布山」の雄大な姿を毎日眺めては誇りとして生活しているだろうと想像される。
なぜ山はこのように私たちの心に、シンボル的に存在するのであろうか。
あの「ドッカ」とした地に足をつけた堂々とした姿に、自分の心の預けどころとして、嬉しい時また落ち込んだ時・・・・。
日々色々の場面で山と直に対面し、時には語りかけるとともに、その姿に感銘し勇気を貰っているからではないかと、私は思っているわけである。
全国的には「富士山」・・・・、九州では他に「阿蘇山」「桜島」「雲仙岳」etc、これらの山は人の心を勇気づける何かを持っている不思議な姿である。
<雲仙岳の姿>
私が購読している新聞に由布院の街の学術文化発展に頑張っている方の自叙伝風の連載記事があって、毎日興味深く読んでいる。
この記事の中に、街のシンボルである由布山のことやその写真などが載っている。
山の頂上が大きく二股に分かれていて昔の噴火の跡を匂わせている姿である。
一方私が育った近くには、八面山という海抜600mくらいの頂上は長い平面であるが、鋭い絶壁をもつきれいな形をした山があり、私の心の故郷のシンボルでもあり、憧憬も抱いている。
多分由布院の街の人々も、街から見上げることのできる「由布山」の雄大な姿を毎日眺めては誇りとして生活しているだろうと想像される。
なぜ山はこのように私たちの心に、シンボル的に存在するのであろうか。
あの「ドッカ」とした地に足をつけた堂々とした姿に、自分の心の預けどころとして、嬉しい時また落ち込んだ時・・・・。
日々色々の場面で山と直に対面し、時には語りかけるとともに、その姿に感銘し勇気を貰っているからではないかと、私は思っているわけである。
全国的には「富士山」・・・・、九州では他に「阿蘇山」「桜島」「雲仙岳」etc、これらの山は人の心を勇気づける何かを持っている不思議な姿である。
<雲仙岳の姿>