<2015.08.14>
明日は70回目の終戦記念日であります。
私なりに終戦に近い時期のことについて、記憶を辿って見たいと思います。
私は小学校(国民学校)1年生のこの夏に終戦を迎えたわけですが、当時私たち1年生(2年生も)は、学校から2kmほど離れた森にある神社の境内で授業を受けていました。
・・・・確か3・4年生は別の神社で、そして5・6年生は校庭に防空壕を掘ったり、食料のための芋畑を作ったりしていたようです。
8月15日当日の「玉音放送」のことは、記憶にないのですが、その日の下校時に丁度農業学校に通っていた近くの兄ちゃんの自転車の後ろに載せて貰った折、「とうとう、日本は負けたんじゃねー」と言うような会話をした記憶がありますね。
それまでは、良く「B-29」という爆撃機がたくさん「ごう・ごう・・・・」という音を立てて夜中の空、家の真上近くを飛んでいたのを覚えています。
山村でしたので、直接爆弾の投下はありませんでしたが、それでもこの時は、電灯は消灯か風呂敷で電灯の笠を覆って、家全体を暗くしたりして、通り過ぎるのを「じーっと」待つばかりでした。
昼間の事でいえば、警戒警報がなると家の煙突などから「煙」を出さない様にしたことでしたね。
ある日、餅つきをしていた時に急に警戒警報のサイレンが、なりました。
「それっ、かまどの火を消せっ!」という父の大きな声、餅つきどころではなくなったわけです。
最後どうなったかは、覚えていませんが、滅茶苦茶な餅つきになったことは想像できます。
太平洋戦争、5・6歳頃にしか経験してないわけですが、「終戦記念日」を迎え戦争と言うことを、振り返れば振り返るほど、現在の「平和」の尊さ・有り難さを感じざるをえません。
多くの犠牲者の御霊に合掌
< 夏の花満開・ケイトウも成長中・・・・平和は最高! >