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去年の売買をふりかえる 失敗したのは

2013-01-02 17:17:53 | 株式投資・資産運用
去年の売買をふりかえる 失敗したのは

 まだ年末時点での金融資産の集計ができておりませんが、株式とREITの去年の売買をふりかえってみます。

 売買回数は187回でした。これは、わずかですが、これまでの年間の売買回数としては最高になっています。

 それ以前の3年はそれぞれ112、74、107回でしたので、売買頻度は多かったということになります。

 これは寄りのしばらくの時間だけも含めて、リアルタイムで相場の状況を見られる時間が増えたことが影響しているでしょう。

 実際の売買の中味はIPOを除いては、細かく「下がれば買い、上がれば売り」を繰り返していた形で、一回の売買益は500円というようなものも多いですが、まあ、自分のスタンスどおり。

 「一定のポートフォリオを維持しながら、細かい売買で多少の利益を確保しつつ、IPO銘柄での上乗せをはかり、配当+優待のインカムゲインも含めて、全体として市場を上回るパフォーマンスをあげる」
というようなのが日本株の運用スタンスでしたので、これはまあ達成されました。

 結果論的には大納会が年初来高値になっているのですから「なんだよ、持ってればよかった」というところもありますが、こけは結果論。

 また、せっかくのIPO銘柄も、下手な売買でさらに利益を上乗せできたところを逃しているという面がありますが、これも結果論。
そもそももそんなにいいタイミングでの売買を続けられるはずはないと思っているので。

 唯一、失敗なのは日本電産の買い。
 6260円で買って5960円で売っています。
 今の株価はもっと安いので、損切りしてよかったといえばそうですが、そもそも、最初の買いがいつもと違う形でした。
 しかし、「あら、間違えた」と思ったので損切りで売ったこと自体はいいです。

 日本電産の株価の値動きは鈍いですね。TDKも同様です。
 パンコン減速でHDD用部品が主力となっているところは買われないということでしょうか。

 日本電産は、ここからあえて刻んで買い下がるというのはあるのではないかと思いますが。
 また検討してみます。

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特別支援教育 28 安心・安全、安心・安全、安心・安全(2)

2013-01-02 13:27:53 | 特別支援教育
特別支援教育 27 安心・安全、安心・安全、安心・安全(2)

 「安全」の方は?。

 こちらは感情というよりも、むしろハード面、ソフト面での条件整備的な側面が大きい。

 危険な遊具がそのままになっていたり、壁がボロボロと崩れてきたり、子どもがすぐ外に飛び出していけるような場所があったり、そんなことがあれば、これは安全とは言えない。
 もちろん、こういうことには色々と気は使っているはずですが、思わぬところにほころびがあったりするもの。
 いわば、システムとして、こうした管理がきちんとできるような体制を整備しておくことが重要です。

 で、その「安全」について、まず第一義的に考えなくてはいけないのが「生命の安全」ということです。
 不慮の事故とかケガ、防ぎきれないことというのは実際あります。が、最大限、命を大事にすることが貫かれていなくてはいけない。

 例えば、体調面で不安定さがあり、場合によってはそれが生命の危機につながるような可能性がある子ども、一時的ではなく、そうした状態が状態、その子にとって普通の常態である場合、学校としてどこまでその子の安全についての条件を整備し、安全性を担保できるのかということは常に考えておかないといけないし、考えうる状態に対応したシミュレーションも行なっておかなければいけない。

 それでも、現在の看護師が常駐し、例えばエアコンや加湿器などの設備もあるような状況下であっても、生命の安全が充分に担保できないと判断したならば、それは学校として責任を負える範囲ではないとして、学校に通学しての学習という形態をとらないという決定を行わなければいけない場合もありえます。

 例えば、以前に仕事をしていた病院併設の養護学校ではベッドサイド授業というのがありました。
 学校はすぐ隣に隣接しているのですが、教室まで出てきて授業を行うのは難しいような体調、かといって、非常に状態が悪くてまったく関わることができないというほどでもない、そう病院側が判断した場合は、教員の方が病棟内に来て可能な関わりをする、それがベッドサイド授業。今もあると思いますが。

 これなんかは「生命の安全」ということを考えて、病院と学校相互で作ってきたルールということになります。

 そうではない、通常の家庭から通学してくる子どもたちの場合はどうか?。

 その教育形態、例えば通学という形をとるか訪問教育という形をとるかなどを決定するのは、無論、保護者や子ども本人の希望、願いというのは充分に理解しふまえてという前提があってですが、学校です。

 例えば、他の子どもたちへ「危害」を加えるような可能性が高い場合は、そんな状況そのものを改善するように指導、支援を行うのは当然のこととして、クラス集団の中には入らずに個別対応にする、そういう判断、決定を行うのも学校です。これも教育形態の一つ。

 保護者とか主治医が決定するのではない、その決定を行うためにはその子の実態と関わっての情報収集とその整理は当然重要です。
 ですが、決定は学校として行い、それは時として保護者や子ども本人の当面、目先の願いに反することになるという場合もある、そのことをいつも考えておかなければならない。


 無論、納得されるかどうかは別として、少なくともその意見は理解してもらえるようにする説明責任はあります。

 その決定に不服があった場合はどうするのか?。それは司法の判断、仮処分申請とかいうことになるのかもしれません。

 こういうことが鋭く問われるケースというのは、現実に充分ありうると思います。

 「安全」ということは考えだすときりがないところもあります。様々な「危険」を完全に排除しきることはできないし、想定外の様々な事態というのもありえることですし。

 ですが、どこまでの安全をどう担保するのか、その基準やそれを保つシステムというのは常に考え、それは一部の人が考えるのではなく、同時に様々な条件が変化する中でそれを見直すということは必要なことですね。

 まあ、「言うは易し」ですが・・。







 
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特別支援教育 27 安心・安全、安心・安全、安心・安全(1)

2013-01-02 12:38:16 | 特別支援教育
特別支援教育 27 安心・安全、安心・安全、安心・安全(1)

 「安心・安全」って、当たり前のことのように思いますが・・。
 前に仕事をしていた学校の校長さんが口癖のように言ってました。それ以外では、あまり覚えていることはないのだけど。


 さて、この当たり前のことが実際にはそんなに簡単でないということもよくあります。

 まず、この2つは一括りにして言われることがあるけれど、当然、その意味は異なります。
 また、誰にとっての安心・安全なのかということによっても意味が違ってきます。

 まず「安心」の方ですが、こちらは気持ちの問題。
 安心できるかどうか。誰が?、子どもが、保護者が、教職員が、あるいは、その周囲にいる様々な関係者が。

 極言すれば、これは個人の気持ちの問題だから、「こうすれば安心」という基準というのは設定しずらいというか、できない。
 ここまでこうしておけば安心だろうと思っても、そうはとられない場合というのもありますから。

 ですが、安心の条件というのは、一般的には色々考えることができます。

 子どもにとっては?。それは、学校という場が、楽しいことがあって、落ち着ける場所があって、自分に危害を加えられる(肉体、精神両面で)ことがなく、信頼できる人がいれば、それは安心でしょう。
 そういうイメージが持てること、時と場合によってはこうならない時があっても、全体として、こういうイメージがしっかり持てれば安心。

 保護者にとってはどうか?。
 それぞれの願いや思いに応えてくれないような状況というのは、安心とは違うかな。
 どうだろう、これは不満ではあるでしょうが、ちょっと安心という概念とはずれるかなと思います。

 安心ではない状況というのは「わからない」状況でしょう。どうなっているのかわからない、どうしてなのかわからない。

 それを解消する手立ては、基本的には情報を公開し連絡を密にし、学校と保護者相互の信頼関係を構築するように努めるということですね。
 当たり前ですけど。でも、これがうまくいかないこともよくありますが。うまくいってなかったら、その原因や意味を考えて、改善する手立てを考え実行するしかありません。

 教職員にとっては?。
 「これをしたら感情的に非難されるのではないか、怒られるのではないか?」そんなことにビクビクしながら仕事をしているような状況は「安心」とは言えません。
 のびのびと、自分が「これがいい」と思ったことをすすめられる状況なら、安心。

 孤立しているような状況は安心とは言えない、同じ目的に向かって一緒に取り組めれば安心。その経過の中での適切な相互批判はむしろ望ましいことで、それが意識せずに普通にできるような状況が理想。

 では、どうしたらそうなるのか?。

 前述した保護者が安心できるような状況がつくれておれば、多くの場合、それは教職員にとっての安心にもつながります。
 ただ、学校の中での相互関係なり上下関係なり、そういうのはなかなか難しい。

 建設的な意見や批判と、感情的な非難というのは意味が違うと思うのですが、それがごっちゃになってしまうことがあります。
 ここらあたりをうまく整理して仕事ができるといいのですが、いろんな意味でそれは難しいことがあります。

 次、「安全」。

 つづく。






 
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