歴史都市 堺へ(1)
昨日は歴史探訪の会で堺へ。
大阪の堺へはこれまで行く機会がまったくありませんでした。
なので、訪れるのは初めてです。
車でも高速で1時間半程度で行けそうでしたが、どうも大阪方面は土地勘もなく、混んだりすると時間の目処も立ちにくいということで、鉄道利用。
京阪宇治線で中書島へ→京阪本線 特急で淀屋橋へ→地下鉄御堂筋線でなんばー→南海で堺
というルートです。こういうように、鉄道でたどって目的の駅へ行くことはできますが、どこをどう通っていっているのか、他にはどういうルートがあるのかなどを頭の中でイメージすることができません。つまり大阪はよくわからんということです。
環濠の跡のような水路があちこちに残っていて、観光用の船が出ていたりします。
これはジオラマのモード。
唐突に南蛮人の方がお堀を見ていたりします。
これはドラマチックトーン。
あー、そうそう、今回、なんかカメラの撮影画像の記録に時間がかかり、これはなんかSDカードがしょぼいのかなぁとか思っていましたが、ブラケット撮影のモードがアートフィルターも適用対象になっていたためでした。つまり、一回シャッターを押すと、様々なアートフィルターのモードで画像が記録されていたといすうことです。で、その記録のために時間がかかっていたということ。
明治の最初の頃、堺は土佐藩が警護をしていたそうですが、上陸してきたフランス人を殺害してしまい、これがえらい外交問題にもなって、多くの藩士が切腹を強いられたという事件があったそうです。
その切腹した11人のお墓があるお寺などへも行きました。切腹の時に用いられた品々なども展示されていました。
日本ノボパン工業という工場の壁に描かれた絵です。かなりでかいです。
南蛮図屏風などを参考にしたもの。会社は木質資源のボードなどを作成しているところのようです。株式は非公開(^_^;)。
灯台の跡です。史跡になっています。上は高速道路。
気持ちのいい青空です。気温は25度以上で高めですが、湿度が低くてカラッとしていて汗も出ません。
鉄砲鍛冶以来の伝統で、堺は刃物の町でもあります。今でも旧来の方法で作られているものもあるとか。
ここには、マグロ用の大きくて長い包丁なと、様々なものが展示されていました。
つづくよ。