評価損益と実現損益、そもそも「お金」とは?
ということで、今週は、日本株はかなり戻して、かつ、個人的にはIPOの利益もありましたので、
日本株だけで、評価損益と実現損益を合計すると、多分+130万程度にはなっていると思われます。
このうち40万程度はGMOリサーチとセレスのIPOの売却益ということになります。
公開直後のIPO銘柄の値動きが荒くなるのはよくあることですが、オプティムの強烈な上昇とは逆に、
その直前に公開となったこの2銘柄は軟調な展開で、保有を継続していれば、利益は10万以上は少なくなったということになります。
書いたように、これは結果論で、そもそも公開後の株価の動きを読み切ることなどできず、
可能なのは、自分のスタンスをもとに「こうなったらこうする」というような事前の想定をしておき、それに従って実際の売買を行う程度のことです。
「程度のこと」ではありますが、市場、株価の動きに一喜一憂するよりも、というか一喜一憂はしても、それで本当にイライラしたり、不愉快になったりしないために
は、この「程度のこと」は非常に重要ではあると思います。
この40万は実現損益ですから、もう、これが大きく増減するということはないです。
つつまり、損したり儲かったりするリスクを排除したということですね。
と同時に、この利益には税金がかかってくるというのが時価評価損益とは異なります。
あとはポートフォリオ運用している部分の評価損益ということになり、こちらは日経平均が今年の高値から1割程度下落し、そこからやや戻しているのと動きを同じくして、時価評価損益が増減しています。
時々「含み損は損ではない」と言い張る人がいたりしますが、それは時価評価、その時点で、それが円換算でいくらになるかという観点で見れば、明らかに損であり、
時価での評価という意味では実現損益と時価評価損益を区別することに意味はありません。
「含み損は実現損ではない」というのであれば、それはそうですが、それは単にさらに損するかもしれんし、儲かるかもしれない値動きのリスクを取り続けていますというだけのことです。
このポートフォリオ運用の時価評価ですが、これは別なに一気に売却したり買い増ししたりするような気はなくて、
実際にする売買は細かく売り上がったり、買い下がったり、あるいは最小単位で新規の銘柄を買ったり、売却したりというようなことだけなので、
全体としての時価評価損益というのは、それは「今の価値はこれだけです」というだけの意味しかないといえはないわけです。
ということで、つまりは私にとっては評価損益と実現損益には、全体としては大きな違いはない、
但し、とりわけIPOについては、利益を確保できる時に確保しておくことは重要ということになります。
評価損益と実現損益とか言う以前に、「お金」とは、そもそも何かなと?。
というのは、自分自身の事を考えてみても、「お金」というのは、紙幣や貨幣ですらない場合というのがさらに増加しているからです。
先日、信州旅行に行ってきましたが、宿泊代金はあらかじめネット予約の際にクレジットカードで決済したていました。
現地で支払ったのは食事の時のビール代ぐらいのもので、これもクレジットカード払いだったりします。
ガソリンもカードだと、道の駅や高速のサービスエリアもカードが使えます。
具体的になにをしているかといえば、それは磁気記録なりチップの入ったプラスチックのカードを出すということですね。
最近はサインも不要な場合がわりとあります。
だから、現金を実際に使う場面というのは、小さいカードが使えない飲食店とか自動販売機とか、そういうところに限られます。
無論、現金をおろそうと思えば、コンビニで銀行のカードを使えばおろすこともできます。
なんでカードを使うかといえば、現金でもカードでも支払い金額が同じ場合は、カードのポイントがつく分、
支払額の1.5%程度はカード払いの方が有利だからですね。多額の紙幣や貨幣を持ち歩く必要がないというのもメリットです。
で、カードを使ったらどうなるかというと、それは銀行の口座からその代金が引き落とされる。
具体的にはこれは通帳の上の数字の印字なりモニター上の数字、金額が変化したりすることになります。
つまり、現代のお金の本質というのは、これは「概念」ですか。あるいは「イメージ」。「権利」という言い方ができますか。
それを担保、保証しているものはなんでしょうか。国家権力?。
それは、永続的なものではなくて、現代に通用している「仕組み」にすぎないわけで、
言い換えれば、それは「信用」なり「共同幻想」でもあるかな。
その「概念」なり「信用」なりに対して、私たちは喜んだり、怒ったり、笑ったり、泣いたり、色々するわけですね。
例えば、IPOの利益の40万と、非常勤の仕事で得られた10万と、オークションの売却代金の10万、
それらは、それぞれ中身や意味が違うわけで、同列に比較することはできないもので、
個々の意味があるわけです。遺産相続で、実家の土地・家屋の名義を私にするということについてもそうです。
それを、「お金」という尺度にあてはめると、今はこうなりますというのが、その金額ということになっている。
その「金額」そのものは価値そのものではないので、
例えば、非常勤の仕事の内容なりそれと関連することが自分にとっては面白いことであったりすれば、
そういう価値や意味があると判断すれば、別に賃金や報酬という「お金」が得られなくても、そうしたことをしたりすることはあるわけです。
大切なことは、単にそのイメージとしての「お金」の額を増やすことではない、
それをどう有効に使って、あるいは有効に使わずに、可能な範囲で、豊かで、安心し、楽しく、充実した生活を創りだせるかということにあるわけです。
というような当たり前のことを、なにか最近あらためて考えたりしました・・・。
ということで、今週は、日本株はかなり戻して、かつ、個人的にはIPOの利益もありましたので、
日本株だけで、評価損益と実現損益を合計すると、多分+130万程度にはなっていると思われます。
このうち40万程度はGMOリサーチとセレスのIPOの売却益ということになります。
公開直後のIPO銘柄の値動きが荒くなるのはよくあることですが、オプティムの強烈な上昇とは逆に、
その直前に公開となったこの2銘柄は軟調な展開で、保有を継続していれば、利益は10万以上は少なくなったということになります。
書いたように、これは結果論で、そもそも公開後の株価の動きを読み切ることなどできず、
可能なのは、自分のスタンスをもとに「こうなったらこうする」というような事前の想定をしておき、それに従って実際の売買を行う程度のことです。
「程度のこと」ではありますが、市場、株価の動きに一喜一憂するよりも、というか一喜一憂はしても、それで本当にイライラしたり、不愉快になったりしないために
は、この「程度のこと」は非常に重要ではあると思います。
この40万は実現損益ですから、もう、これが大きく増減するということはないです。
つつまり、損したり儲かったりするリスクを排除したということですね。
と同時に、この利益には税金がかかってくるというのが時価評価損益とは異なります。
あとはポートフォリオ運用している部分の評価損益ということになり、こちらは日経平均が今年の高値から1割程度下落し、そこからやや戻しているのと動きを同じくして、時価評価損益が増減しています。
時々「含み損は損ではない」と言い張る人がいたりしますが、それは時価評価、その時点で、それが円換算でいくらになるかという観点で見れば、明らかに損であり、
時価での評価という意味では実現損益と時価評価損益を区別することに意味はありません。
「含み損は実現損ではない」というのであれば、それはそうですが、それは単にさらに損するかもしれんし、儲かるかもしれない値動きのリスクを取り続けていますというだけのことです。
このポートフォリオ運用の時価評価ですが、これは別なに一気に売却したり買い増ししたりするような気はなくて、
実際にする売買は細かく売り上がったり、買い下がったり、あるいは最小単位で新規の銘柄を買ったり、売却したりというようなことだけなので、
全体としての時価評価損益というのは、それは「今の価値はこれだけです」というだけの意味しかないといえはないわけです。
ということで、つまりは私にとっては評価損益と実現損益には、全体としては大きな違いはない、
但し、とりわけIPOについては、利益を確保できる時に確保しておくことは重要ということになります。
評価損益と実現損益とか言う以前に、「お金」とは、そもそも何かなと?。
というのは、自分自身の事を考えてみても、「お金」というのは、紙幣や貨幣ですらない場合というのがさらに増加しているからです。
先日、信州旅行に行ってきましたが、宿泊代金はあらかじめネット予約の際にクレジットカードで決済したていました。
現地で支払ったのは食事の時のビール代ぐらいのもので、これもクレジットカード払いだったりします。
ガソリンもカードだと、道の駅や高速のサービスエリアもカードが使えます。
具体的になにをしているかといえば、それは磁気記録なりチップの入ったプラスチックのカードを出すということですね。
最近はサインも不要な場合がわりとあります。
だから、現金を実際に使う場面というのは、小さいカードが使えない飲食店とか自動販売機とか、そういうところに限られます。
無論、現金をおろそうと思えば、コンビニで銀行のカードを使えばおろすこともできます。
なんでカードを使うかといえば、現金でもカードでも支払い金額が同じ場合は、カードのポイントがつく分、
支払額の1.5%程度はカード払いの方が有利だからですね。多額の紙幣や貨幣を持ち歩く必要がないというのもメリットです。
で、カードを使ったらどうなるかというと、それは銀行の口座からその代金が引き落とされる。
具体的にはこれは通帳の上の数字の印字なりモニター上の数字、金額が変化したりすることになります。
つまり、現代のお金の本質というのは、これは「概念」ですか。あるいは「イメージ」。「権利」という言い方ができますか。
それを担保、保証しているものはなんでしょうか。国家権力?。
それは、永続的なものではなくて、現代に通用している「仕組み」にすぎないわけで、
言い換えれば、それは「信用」なり「共同幻想」でもあるかな。
その「概念」なり「信用」なりに対して、私たちは喜んだり、怒ったり、笑ったり、泣いたり、色々するわけですね。
例えば、IPOの利益の40万と、非常勤の仕事で得られた10万と、オークションの売却代金の10万、
それらは、それぞれ中身や意味が違うわけで、同列に比較することはできないもので、
個々の意味があるわけです。遺産相続で、実家の土地・家屋の名義を私にするということについてもそうです。
それを、「お金」という尺度にあてはめると、今はこうなりますというのが、その金額ということになっている。
その「金額」そのものは価値そのものではないので、
例えば、非常勤の仕事の内容なりそれと関連することが自分にとっては面白いことであったりすれば、
そういう価値や意味があると判断すれば、別に賃金や報酬という「お金」が得られなくても、そうしたことをしたりすることはあるわけです。
大切なことは、単にそのイメージとしての「お金」の額を増やすことではない、
それをどう有効に使って、あるいは有効に使わずに、可能な範囲で、豊かで、安心し、楽しく、充実した生活を創りだせるかということにあるわけです。
というような当たり前のことを、なにか最近あらためて考えたりしました・・・。