遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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癒しの国へナマステ(ネパール紀行) 2日目-パタン→ナガルコット編

2007-02-05 10:07:24 | ネパール紀行
パシュパティナートを後にして、
世界遺産の都パタンへと向かう。



沢山の観光客が集まる街。
サンスクリット語で、ラリトプルとも呼ばれ
「美の都」と言う意味だそうだ。

王家の宮殿、仏塔が林立している。
壁面、柱などにびっしりと彫刻が施されている。
紅がらの塗料(防腐剤を兼ねる)で、赤茶色の町並み。
修理中の建物があり、傷んでいるが、皆平気で入ってゆく。

世界遺産が粗末に扱われている。

沐浴場は今でも使われており、
洗濯物を持ってきた住民が洗濯をしている。
石造りのクリシュナ寺院には大勢の人が上がっていた。

ゴールデンテンプルは文字通り、金と銀で飾られた寺院。
境内の石の床には、革靴で下りてはいけない。
ズック靴ならOKだと言う。

祭壇の中のお供えを大きなねずみが食べていた。

入り口近くの食堂の屋上で、
モモとチャウ麺(焼きそば)ビールの昼食。

眺めが良い。









癒しの国へナマステ(ネパール紀行) 2日目-カトマンドゥ→ブダナート→パシュパティナート編

2007-02-01 15:56:29 | ネパール紀行
少し暑くて目が覚める。

朝食はバッフェ。
生水を警戒して歯磨きのすすぎもミネラルウオーターで。
だから、サラダは控える。



五つ星ホテルでもこんな風だ。
青豆の餡が入っているモモがおいしい。

チェックアウト。

水90
ビール165
ワイン1500ルピー
VAT13% 228

計1983ルピー。VATは消費税か?


ラズン、ラム、プレムがそろって迎えに来てくれる。
何かもうすっかり親しくなった感じである。



相変わらず埃っぽい街を通り、ブダナートへ。
途中、ラム君に水を買ってもらったら30ルピー。
ホテルの1/3。






ブダナートは、ネパール最大のステューパ(仏塔)
チベット仏教徒が一生懸命お祈りをしている。
果物や食べ物を、お祈りをしている人に差し出す人もおり、
貰った人がまた周りの人に分け与えると言うこともしている。

ステューパは昨日のブヤワンスナートの倍くらいの大きさである。
上に登って一回り。赤い衣の僧が行き来している。



近くの曼荼羅を描く工房に案内された。
無言で実に細かい筆使いをしていた。
一時間に3センチ四方くらいしか描けないのだろう。

ここには師匠と弟子がいて、
拡大鏡で見ると筆使いが歴然と違う。
価格も4倍くらいのさがある。

記念に一枚、師匠の作品を買う。交渉して125ドル。



パシュパティナートへ

ネパール有数のヒンドゥー寺院。
前を流れるバクマティー川の川岸で火葬を行い、
灰を川へ流す。煙が立ち昇り人を焼く匂いが鼻をつく。







川は緑灰色で流れはほとんどないくらい。
そこで遺族が沐浴をしている。
灰と一緒に川に投げ捨てられた薪を拾って乾かす人もいる。

上流と下流で身分により焼く場所が違う。
雑然とした中での火葬。嘆き悲しんでいる人は見当たらない。

サルの扮装をした人がいる。本物のサルも多い。
魂は不滅で肉体だけが滅びると言う教義である。
濁った川の水を飲む未亡人の習慣もあると聞く。

石造りの祠が並ぶところで食事をしている人も多い。
明るい陽の下で、人間の営みが感情を超えて淡々と流れてゆく。



近くにマザーテレサが作ったと言われるりっぱな孤児院があった。

「愛」の反対語は「無関心」だと彼女が言った言葉が
なぜか唐突に思い出される。

癒しの国へナマステ(ネパール紀行) 1日目-カトマンドゥ市内観光編

2007-01-20 17:27:14 | ネパール紀行
さて、登場人物の紹介もおわったところで、旅の続きを。
初日(1/30)のカトマンドゥ市内観光。


ホテルチェックイン後、滞在旅行代金をラズン氏へTCで支払い。

繰り返しになるが、毎度こういうことは全て家内が、
よく気のつく添乗員のごとくやってくれるのでとてもラクチン。
感謝感謝。


ロビーで待つラム君のところへ。

早速市内のスワヤンブナートへ。
小高い丘の上に立つネパール寺院である。

相変わらずごみごみした道路を、
すれ違いのたびに減速し、
オートバイ、通行人に警笛を鳴らし、
埃を巻き上げながらすすむ。

プラムさんの運転は実にうまい。
余裕しゃくしゃくである。
安心して乗っていられる。


寺院に近づくとサルが道端にたくさん出てくる。
サルは神の使いだという。

減速していたら窓をたたかれ、
孤児院のために寄付(ドネーション)をしてくれと若い人がきた。

ラム君に聞いたら「100ルピーくらいしたら」と言うので払った。
あんまり気分よろしくない。


ストゥーパ(塔)へつく。
五色の小旗のついたロープで飾られた
いかにもネパールだと感じさせる場所である。



塔の中ほど、四方に大きな目が描いてある。
この眼はお釈迦様が世界の隅々まで見通している事を表している
とのこと。

横の伽藍では、読経の最中であった。




2列に座った赤衣の僧侶(12,3才~70才)10人ほどが、
太鼓や長いラッパみたいな楽器を交えて祈りの経文を読む。
欧米人が壁際に足を投げ出して見学していても平気である。
写真撮影もOKであった。

外へ出るとすぐ横に、ヒンドゥー教の伽藍もあった。
ネパールではイスラムも共存していて、宗教対立は無いとラム君は言う。

TVで見たマニ車(経文を彫った円筒で、一回、回すと、
一回お経を唱えたのと同じ意味)が、伽藍の周りにたくさんある。

プラムさんはいちいちそれを回す。
また祭壇の前、伽藍の入り口では必ず手を合わせる。
とても敬虔である。

ちなみに、ラム君はヒンドゥーだそうだ。


帰りは、タメル地区で車を降り、歩いて帰る。
ここは観光客相手の繁華街。山の用品屋が多い。

狭い通りに商店が並び、活気がある。
帽子を買おうと思ったが、
ラム君が明日行くナガルコットで買ったほうが良いという。

タメル地区を出て、王宮の前を回ったあたりで、
乞食が次々と手を出してくる。

たくさんいるのでちょっと不気味である。
しかし午後の外出はいかにも
「ネパールに来た!」と言う気分を満喫できた。


ホテルに帰って一休み。

登場人物

2007-01-20 17:10:03 | ネパール紀行
ここで、今回の旅を支えてくれた登場人物の紹介。

●ラズン
現地旅行社のアースボンド社共同経営者
空港に出迎えてくれた髭の男。
明るく饒舌。誠実そうである。

空港に着いたら
「暑くないか。共同経営者の川島から連絡は受けている。
 昨日サダムフセインが処刑されたが知っているか?」
など話かけてくる。

ホテルについて、部屋まで荷物を運んでくれたボーイに
チップを渡そうとして小銭が無いのに気づき、
彼から2ドル借りた(渡したのは一ドルだったが)
後で返そうとしたら「いいよ」という。

空港で花輪を渡してくれたのも彼。
良い意味のサービス精神のある男である。


●ラム
ガイド
日本語ができる21歳。
気の良い若者。インド系のハンサムである。
兄が東京にいて、2月に日本に来るつもりである。

●プレム
運転手
元日本大使館に勤務。
橋本総理が来た際には、車列に加わったという。
シェルパ族に近い顔つき。髭あり。
信心深く、由来、事実関係に詳しい。
日本語はダメだが、ラム君の足りないところを、
なまりの強い英語で、一生懸命カバーしてくれる。
とても誠実そうで、暖かそうである。

癒しの国へナマステ(ネパール紀行)

2007-01-14 22:45:39 | ネパール紀行
35年前、山岳部だった大学の友人(学士山岳会OB)が
アンナプルナIIへ挑戦し、その遠征記録の作成を手伝ったことがある。

それ以来、K2登攀記などの記録映画とはまた違った臨場感あふれる話に、
密かに「一度はヒマラヤへ行ってみたい」と思っていた。

体力はまさに老人の入り口だが、
一度この目で見てみたい!と言う思いは強かった。

暦の加減で今年は年末年始休暇が9連休になったので、
いよいよ決行となった。


地の果て、寒い国、神秘の国、山岳国家などのイメージがあったが、
行ってみると人懐こい、素朴な人々、
神々の座にふさわしいヒマラヤの山々、
敬虔な宗教心にあふれる国でした。

いろいろな面で癒されました。


その7日間の紀行を記します。良かったら読んでください。

癒しの国へナマステ(ネパール紀行) 往路編

2007-01-14 22:45:39 | ネパール紀行
我が伴侶はまるで旅行社の優秀な添乗員のごとく、
現地調査、航空便・ホテルの手配を抜かりなく、
ほぼ最上のコースを選んでくれる。

最高のお値打ち価格で手配してくれるので、
こういう時は大いに頼りになる。

ばたばたと準備をして出発の日を迎えた。


と言うわけで、12月29日、19:00名古屋発の近鉄で出発。
18:00まで最後の忘年会に出席していたので、滑り込みセーフ。



近鉄地下「ぶんぶく茶釜」で
おこわ弁当、売店でビ-ル、水割りなどを買い込み(写真)
「ふうーッと息をつく」おもいで特急に乗った。

いよいよ旅の始まりである。


車中、「団塊諸君 山もいいぞ」大野剛義著 を読む。

10:10頃 関西空港着 
12:55頃 搭乗開始。

夜はほとんどの店舗がしまっていて、
お陰で読みはじめた単行本が一冊読めてしまった。

25:15発 タイ航空でバンコクへ。

ほぼ満席。
乗ってすぐサンドイッチとおにぎりの軽食。
4時間ほど眠って朝食。
タイ式の飯はおいしくない!一口でパスした。
パンとコーヒー、フルーツ、ヨーグルトで十分。

降りるときに、女性には
タイの国花のラン(デンファレ)を
手渡してくれたのが心憎い。


「さぁ、東南アジアに来たぞ!」




バンコク(スワンナブーム)国際空港でトランジット。
5時間待って(この空港は新しく設備が良い)カトマンドゥへ(写真)。

300人乗りくらいの大型機で3時間ほどのフライト。

乗客の半分は日本人だ。
後30分くらいに近づいたとき、雲の彼方にヒマラヤが見えてきた!

大きく長く、雲の上に山々が連なる。
まさに神々の座にふさわしい。

白く輝く神々の座の中で黒っぽくそびえる山塊がある。



エベレストだ!(写真:クリックすると拡大)

堂々と、何か世界最高峰の威厳を感じさせる山容である。
一瞬、自分の中にも緊張感に似た気分がよぎるのがわかる。

そこから西の方角に、円空の彫刻のように、
荒削りな様相を見せて続くヒマラヤ山脈の山並みを飽かず眺めているうちに
飛行機は雲の中に突入。



カトマンドゥ空港へ着陸(写真)した。

こじんまりした田舎の空港である。

癒しの国へナマステ(ネパール紀行) 1日目編

2007-01-14 22:45:39 | ネパール紀行
入国審査で、査証発給のために並ぶと
「日本人はこちら」と言う案内があった。

その窓口に並ぶと
「貴方たちはラッキーだ。
 日本・ネパール国交開始50周年記念で、
 今年は発給手数料(30ドル)は無料です」
とのアナウンス。

こいつは出だしから運が良いや、と嬉しい。


空港には、こちらでお世話になる
アースボンド社のラズンさんが出迎えてくれる。


スーツケースを運んでくれた男が
「チップ1000円でいいよ」と耳音でささやく。

ラズンさんに、両替したばかりのルピーを見せて、
「いくらが適当?」と聞くと
50ルピー(90円)を指してこれでOKだという。
10分の1だ。吹っかけるやつもいるものだ。

このあとも旅行中いろいろな店で買い物をしたが、
値段の駆け引きだけは、とても素朴とは縁遠いやり取りが続いた。


街はいかにも発展途上国の風情。

舗装が半ば壊れている道路を、車は埃を巻き上げて進む。
曲がりくねった道、傷んだ家々、3階建てが多い。
街角のあちこちにたむろする人々、道端に干してある布、服。
10年以上前の車が、先を争い狭いスペースに突っ込む。
事故にならないのが不思議だ。



2~3年前に行ったフィリピンを思い出す。(写真)

王宮のよこを通って、ホテルアンナプルナへ。

入り口で花輪を首にかけてもらう。

5つ星で、こぎれいな中くらいのリゾートホテルといった感じ。
ロータリークラブの例会場があり、カジノもある。

チェックインをして部屋へ。



ネパール到着記念のビールを冷蔵庫から出して乾杯。
なんとエベレストビールと言う銘柄。
これがなかなかうまい。(写真)

ロビーに行くと、ガイドが来ていた。
ミスターラム。21歳の感じのよさそうな若者。
運転手はなまりの強い英語を話すプレムさん。

早速市内観光へ。(ここは次回紹介します。)


帰ってきて、夕食はホテル内のレストランへ。
ネパール料理。

・豆のスープ
・長粒米
・カレー
・ほうれん草の煮込んだカレー
・野菜カレー
・チキンを炒めたもの

を一皿に盛ったもの。これにナン。

皆おいしい。ワインで味わう。



レストランの正面で4人のバンドが民俗音楽を演奏し始めた。(写真)

・ボンゴ
・据え置きの箱型アコーディオン(ヴォーカル)
・ギタ-
・ヴォーカルの女性(タンバリン)

いかにもアジア音楽らしく、男性の声も良かった。
哀愁を帯びたメロディーを、切々と唄う。

思わず1000ルピーのチップを渡したら、
めちゃくちゃ喜んでくれ
こちらが体裁悪いほど意識してくれた。


ほろ酔いで部屋に帰り、寝不足気味だったのでそのまま眠る。

第一日目(12/30)は満足な1日でした。