遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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厄年同年会

2016-09-28 10:46:46 | 友人・知人


35年前、男の厄年、数え42歳の大厄の厄払いを皆でしようと、氏神神社の氏子(実際には小中学校の同級生に呼びかけて)が集まって大晦日にお祓いを受け、酒や甘酒などの振る舞いをし、お寺で餅投げや節分豆まきなどをして厄落としをした。仕上げは多度大社と、永平寺に参拝し北陸の温泉で厄落としをすることを一大行事として行った。田舎の伝統行事である。

通常はそれで一応解散となるのだが、何故か我々の仲間はそれで終わるのはもったいないとして、それから毎年花見、薄墨桜の植樹、総会、旅行、奥様プレゼント、とプログラムを整え、30年にわたって会を続けてきた。10年ほど前から会員も定年を迎え、会から離脱する人が徐々に増え、大厄の折55名を数えたメンバーも今は18名になった。行事も今や総会と懇親旅行というシンプルなものだ。

運営も班編成でしていたのだが、それも5班から3班になり、少しさみしい。私も終身会長を仰せつかっているのだが、それでも1班に属し、この日は担当の総会、旅行の打ち合わせだ。

もうほとんど現役を退いているので、集まりは至極出席率が良い。特別なこともないので、総会も旅行の手はずもトントンと決まったが、新しく見当議題になったのは この会をいつまで存続させるかである。老人会を仕切っているメンバーが、80歳を越えると急激に会員数が減少する、という情報を提供してくれる。

結局なにか目標を作ったほうが良い、その目標までは続けよう、ということになり、出てきたのが①豊洲市場の完成見学、②77歳会員追悼会、③東京オリンピック観戦、③リニア新幹線乗車、などを目標にしてはということであった。10年先では少し長い。長くても7~8年先を目標にするというのはまあ妥当なところではなかろうか。思えば遠くまで来たものである。

淡々とした作家

2016-09-27 06:04:08 | 


村上春樹「村上朝日堂・はいほー!」新潮文庫 H1年刊

ノーベル賞候補作家、村上春樹のエッセイ集である。軽めの随筆集と行ったところか。身の回りのことについてそれぞれに自分の感じ方や意見を書き散らしている。
刈谷に帰っている間に蓼科から持ってきた本を読み尽くしたので、次男の本棚にあった村上春樹の文庫本を引っ張り出して読んでみた。

わり食う山羊座
青春と呼ばれる心的状況の終りについて
ひとり旅
サービス業あれこれ
ビーフステーキ・ビーフステーキ

などというエッセイ名で感じたこと、思ったことを述べている。彼が20代の終りには物書きとして独立していたこと、住所を転々としていたこと、時々外国に住んでいたこと、などが垣間見え、ごく普通の中高生であったとのことであり、本人の言を借りれば、ごく当たり前の大学生活を送っていた人間だという。

たしかに妙なオタクっぽい性癖はなく、若干音楽と小説に一家言あるくらいで、確かにどの辺りがノーベル文学賞にノミネートされる理由なのかが、ピンとこない。逆にこのエッセイ集を読んで村上という小説家に親近感を覚えた。

妖怪の世界

2016-09-26 05:34:55 | 


香月日輪「ねこまたのおばばと物の怪たち」角川文庫 2012年刊

畏友から拝借した本の中で、10冊以上あるがどうも馴染めないのがこの香月日輪の妖怪シリーズであった。とういうか、有りもしない妖怪の世界を借りてきて、この世のウサを晴らすと言うような設定がもう一つピンとこなかった。

ところがである。今回読んでみてちょっと違った。学校でいじめられっ子で、家庭でも父母から疎外されている小学生が、ふとしたことで妖怪の世界に入り込む。そこで出会った妖怪たちとの交流を通して、自信をつけ、明るく生きるようになる。学校でも家庭でも自立し、周りともうまくやっていけるようになってゆく。ざっとそんな筋の小品なのだが、読んでみておやっと思った。

現実の世界が歪んでいて、欲にまみれ、自己中心的で、ストレスも多い。それに比べ妖怪の世界は細かい点は別として、大筋通常の神経が通っている。妖怪の世界のほうがまともである(当たり前のこと、本来の人間らしく描かれている)。

この著者はこういうことを言いたかったのか、とやっと判ったような気がした。次からは本棚に除けておいた10冊位のシリーズを読んでみよう。

10年ぶりの再会

2016-09-25 15:07:53 | 友人・知人
   近況報告
   記念撮影

刈谷市とカナダ・ミササガ市は姉妹都市提携をしている。提携25周年の節目の年に、20名の訪問団を結成してカナダに行ったのは2006年のことだ。

今年で10年になり、そのことで久しぶりに同窓会をやろうということになった。出席者は16名、よく集まってくれたものである。さすがに10年の年月は長く、自分を含め随分歳をとったと思う。しかし学校のクラス会と同じで、話をしているとすぐに10年前に戻り、垣根が取れてくる。

結婚をした人、孫が増えた人、介護に精を出している人、相変わらずお稽古ごとを続けている人、様々である。ただこうして発展し続けているのは、やはり刈谷が豊かな街の証左であろう。刈谷市もミササガ市も10年前に比べれば市長も変わり、ワールドカップも南アフリカ、ドイツ、ブラジルと3回開催されている。

時の流れは容赦ない。しかし人のつながりは温かいものだ。ほっこり楽しく思い出話や、身の回りのことを話しているうちに3時間は瞬く間に過ぎ、次回の開催を約して散会した。

冗長な告白

2016-09-22 15:50:27 | 


中村文則「教団X」集英社2014年刊

560ページを越える長編である。村上春樹の「1Q84」のような舞台設定ではあるが、何を訴えようとしているのか。同じ新興宗教集団とその周りを描きながら、こちらは結局教祖の独りよがり、ないしはニヒリズムに終り、振り回された周辺の信者の淡い葛藤が残る。

現世の捉え方はそれなりではあるが、それでも皮相的な捉え方であまり説得力がない。信者が心酔してゆくのはなぜか。原子さらにクオークに至る微粒子の世界に若干の説得力はあるが、フィクションとしては、まだ弱いような気がする。

著者は、世界と人間を全体から捉えながら、個々の人間の心理の奥の奥迄書こうとしたそうだが、このあたりは私にとっては冗長に流れているような気がする。アメリカの文学賞「デイビッド・グーディス賞」を日本人として初めて受賞した作家であるから、このような感想は私の読解力不足なのだろうけど、私にとっては響いてくるものが少ない小説であった。

愛読雑誌

2016-09-18 02:47:13 | 


少年ジャンプ掲載の「こち亀」がこのほど最終回を迎えた。連載40年、単行本にして200巻続いたロングセラーだった。
主人公両津勘吉の破天荒なキャラクターと、作者秋本治のマニアックな探究心が支えたユニークな漫画だった。

何を隠そう私も隠れた漫画ファンでこのシリーズも随分読んだことがある。だが私の愛読雑誌は月2発行の「ビッグコミック」と「ビッグコミックオリジナル」だ。
ここの長期連載は「釣りバカ日誌」「風の大地」「浮浪雲」「ゴルゴ13」「深夜食堂」などである。この2誌は30年にわたって毎月2回、ほとんど欠かさず講読している。

ストーリー漫画の他に「玄人のひとりごと」「C級サリーマン講座」などの4コマまんがも面白い。ストーリー漫画はそれぞれ特長があるので面白く、安心して読めるのだが、
いずれも少しマンネリ化してきているような気がする。その点「ゴルゴ13」はプランの公募などをして活性化を図っているのと、現在の時事問題をテーマにするなどマンネリ打破に工夫をしていることがなかなかである。

漫画といっても訴求力は小説並みにあり、文化の一ジャンルとしてもっと世の中で認められていいような気がする。

友遠方より来る

2016-09-17 11:25:34 | 友人・知人
   御射鹿池は今日も静かだ
   湖畔で水彩画を描く人たち
   友人二人

名古屋と岐阜に住む友人二人が遊びに来てくれた。彩山岳会というプライベートな山行をしてきたグループの仲間である。かねて避暑を兼ねて遊びに来たらと誘っていたのだが、お二人は遠慮深くなかなか実現しなかった。

初めてのことで、当方としては精一杯歓迎すべくいろいろ準備はしたが、何より天気がイマイチで、曇りがちの空がすっきりした気分への転換を妨げていた。

それで、最初に案内したのは東山魁夷の絵の題材となった御射鹿池。山と樹々に抱かれた池は今日も静かに水を湛え、湖面に濃淡の緑を写していた。畔では写生旅行に来た一団が熱心に筆を走らせている。ここは確かに雰囲気があるところだ。

続いて林の中の竜神池遊歩道を散策し、尖石縄文遺跡を見て、博物館に立ち寄った。例によって学芸員に説明をお願いし、縄文のビーナス、仮面の女神の2つの国宝土偶の説明をしてもらう。何時もながら、好きで研究している人の説明は面白い。

早目の夕食は定番のBBQ、デッキでビールと日本酒を楽しんだ。すっかり日が暮れるまで話が弾み、久しぶりに私も痛飲した。

   尖石遺跡への案内板
   尖石:上面の滑らかな面が石器を磨いた跡だと言われている

翌日は女神湖まで足を伸ばし、湖畔の周回道路を散歩したが、取っ付きの木道、湿原の花々は季節が少し遅く、盛りを過ぎていた。

女神湖も水が少なく、蓼科山や白樺高原スキー場は僅かに雲が取れて全貌を見せてくれたが、やはりすっきりとした青空はなく、訪れた人たちもあまり弾んだ気分ではなかったようでした。

湖畔に伊藤?左千夫の歌が刻まれた女神像が立っていたが、歌の筆跡が読めず残念な思いをした。筆で書かれた字をもう少し勉強しておくとこんな時役立つのだが・・。

それでも二人はこの二日間のんびり過ごしてくれたようで、もしこれがストレス解消の癒しになったのなら嬉しい。

    雲が取れてきた蓼科山
   湖畔に立つ女神像

山行相棒

2016-09-14 09:17:28 | 雑感


山に行く時に欠かさず私が一緒するのは山靴である。革製の本格的なものでもう10年位になるだろうか。本格的な山に行く時は必ずと言っていいほど履いてゆく。地元刈谷の「穂高スポーツ」で購入したものだ。

この店は、三浦雄一郎が記録を作る前は最年長エベレスト登頂記録を持っていた店主が経営する山道具主体のスポーツ用品店で、そのこともあって店員はベテランアルピニストが多かった。学生時代から靴に食われることを繰り返してきた私にとって、布製のキャラバンシューズ(トレッキングシューズ)以外での靴選びは慎重にする必要があった。

ベテラン店員いわく、靴下は一枚だけで、試着をしたら暫く店内を歩き回って確かめる、それからから決めなさい、山行後の掃除はこまめにしておく、というアドバイスで選んだ靴は生涯最高のフィット感がある。MEINDLというラベルが付いているが、常念岳も、蓼科山の岩だらけの登山道も、足下を快適に守ってくれた。

疲労を軽減し、安全を守ってくれる、私にとって最高の山行相棒である。

友からの贈り物

2016-09-13 05:57:42 | 友人・知人



古くからの山友達G君から、久しぶりに便りが届いた。川魚が取れたから送ってやる、という嬉しい知らせだった。

彼とは20年ほど前から一緒に山に行った仲間である。近年重心を釣りに移行しており、漁船を持つほどの凝り性である。またグルメにも関心が強く、彼がこれはと推薦してくれたお店は、外れたことがない。奥さんがまたセンスの良い元気者で、夫婦が良いコンビで我々を楽しませてくれる。機会があったらその辺りも紹介したい。

数日経って現物が届いた。いずれも大振りなヤマメと鮎、30センチ近くある立派なものだ。多分遠くまで釣りに行ったのだろう。よほどの大漁だったのだろうか。
こんなに大きなものはめったにお目にかかれない。しかも20匹位もある。

8月に今年は鮎を味わっていないので、上田辺りまで食べに行こうかと話にはでていたのだが、腰を上げずじまいだった。それをまるで見ていたような知らせである。早速塩焼きにして頂こう。
それにしても立派な魚体だ。持つべきものは友である。なにかお返しをしておかねば・・。

蓼科山

2016-09-12 12:30:14 | 登山・ハイキング
大河原峠から雲海に浮かぶ北アルプス
   蓼科登山口
   見たことのあるイラスト案内板

週末、長男から急遽連絡があり、「金曜日遅く蓼科に着くが行っても良いか」とのこと。八ヶ岳に登りたいが、まだ山は絞れていないというアバウトなものだ。私は一人でいたのでOKの返事をし、早速ガイドブックを開き登る候補を探した。小屋泊まりでも良いが、この前の常念岳のこともあるので、とりあえず日帰りの編笠山か蓼科山に的を絞った。

この二つは八ヶ岳の最北端と最南端に位置する山だが、コースタイム片道約2時間、高度差500mの蓼科山に決定。大河原峠迄車で行き、赤谷分岐、将軍平を経て2530mの山頂に行くコースだ。朝5時起きをして6時出発。途中白樺湖のコンビニで食料を仕入れ、8時に大河原峠登山口に到着。駐車場には沢山の車が止まり、久しぶりの好天に山を楽しむ人で賑わっていた。

家を出発する頃には濃い霧で覆われていたのが、ここからは雲海に浮かぶ北アルプスや乗鞍が望め、天気は快方に向かう気配。熊笹の中の緩やかな道を林に入り登り始める。

   熊笹に覆われた登山道
   意外にぬかるんだ登山道
   あちこちに茸が顔を出している
   園地のような草原も見えてきた
   赤谷への分岐点

雲はどんどん少なくなり日が強くなってきた。傾斜が強くなってきた石ころだらけの道はところどころ水がたまり、細い丸太が敷いてある。あちこちに茸が顔を出しており秋の到来を感じさせる。涼しい木漏れ日の林の中を快適に登る。

2時間ほど登って、傾斜が緩やかになってきたら赤谷との分岐点に出る。林が少し開けてきて向こうに小屋が見えてきた。雲が切れかかってきた八ヶ岳の山々の姿もみえ、蓼科山も全貌を見せ始める。分岐点から10分ほどで蓼科荘到着。ここは7合目登山口からの人たちが多く登ってきて、賑わっている。

   ぬかるんだ道には丸太が敷いてある
   展望が開け八ヶ岳連峰が見える
蓼科山の雲も取れ始めてきた。小屋はすぐそこだ
   蓼科荘到着

暫く蓼科荘前で休憩をしたあと、いよいよ蓼科山最後の急登にかかる。岩が少し大きくなり手を使うほどの急登、クサリ場もある。ストックが邪魔なほどの急斜面であるが、ペンキの標識が頻繁についておりコースに迷う心配はない。

蓼科山は学生時代、6,7年前の女神茶屋コースに次ぎ3度めであるが、学生時代はもう50年以上前なので、同じコースでもすっかり忘れている。それでも最後の登りだと我が身を励まし、両手両足をフルに使ってよじ登る。40分ほど登って山頂ヒュッテに到着。そこから5分ほどで山頂標識に着く。11時丁度3時間かかって登ったことになる。コースタイムの1,5倍である。

ここの山頂は凹地になっていてだだっ広い。何故か山頂の記憶だけは学生時代のことがある。まだ雲が残っている山々の展望を楽しみながら昼食。今回はコンロを持ってこなかったけど、コンビニで仕入れたおにぎり、稲荷、巻きずしなどは皆美味であった。

登山者で賑わう将軍平からの登り。クサリもある。
   もう少しで頂上だ
   山頂ヒュッテ到着
   2530m登頂記念撮影
   頂上から南アルプス方面
   八ヶ岳方面
   3角点と北アルプス方面
   だだっ広い山頂

景色と昼食を堪能してゆっくり楽しみ、12時に腰を上げ頂上に別れを告げる。登ってきた急な道を今度も手を使って降りる。下に登ってきた蓼科荘が緑の林に埋まったように見える。下りも登りとほぼ同じ時間を費やし将軍平に到着。蓼科荘の前に商売用のテントが張られ、結構繁盛していた。ここは先日地方TV局で取り上げていたが、東京で働く奥様が毎週末ここへ来て働いているそうだ。

この前の常念岳の下りのこともあってか、長男がしきりに足のことを心配してくれる。私はストックを意識的に置いてきたのだが、自分のを使えと勧めてくれる。3度も勧められ、傾斜もゆるくなってきたところで、片方を借りることにした。それなりに歩行は安定し楽でもあった。有り難い。

見上げると空は青く秋の様相だ。足元のスギゴケも色鮮やかで綺麗だ。ここからは流石に下りなので、登りよりは20分位は早く降りてこれた。現在の自分の体力と技術ではこれぐらいが丁度よいレベルの登山である。何くれと無く気遣いをしてくれる長男にも感謝したい。今回も楽しい登山になった。

    緑に埋もれる山小屋
    蓼科荘前の営業テント
    秋のうろこ雲
    足元のスギゴケ
    登山口に戻ってきた