サラリーマン時代、大阪転勤で販売会社に出向していた際、当時四国支店長を務めていた先輩がいた。なんともスマートな方で、長身ハンサム、育ちも良く、女性のみならず男性社員にも人気があった。
高松のお宅にも大阪支店の連中と大挙押しかけていった記憶がある。彼は我々を置いて、当時まだ珍しかったゴルフにでかけ、我々だけで四国見物(屋島、金毘羅)などをした。ヨット(ディンギー)の操作を教わったのも彼からである。
その夜ご自宅でトランプに興じ、育ちの良い彼が一人負けの状況だった。そこへ夕食の片付けを終えた奥様(高松地裁判事の娘さん)が「面白そうね」「ルールを教えて。私も入れてくださいな」と参加してきた。傷が深くなるのでよせばいいのに、と思いつつ一緒に楽しく遊んだが、なんと明け方には旦那の負けを取り戻すだけでなく、一人勝ちの状態まで勝ち進んで「ああ面白かった」とおっしゃった。忘れられない思い出である。
その後彼は札幌支店、大阪支店、東京支店の支店長を歴任し、途中から役員に昇任して勤めを終えた。私が会社を離れてからは少し遠ざかったが、気持ちは通い合っていたようなきがする。彼は退任後は国の環境保全委員などを勤め、OB会に誘ってくれたのも彼である。彼の息子さんが我が社に入社する御縁もあった。
近年、体調を崩しOB会も欠席しがちで療養に専念していると言う話を聞いたが、先週の火曜日に亡くなったという訃報がもたらされた。ダンディな人だけに御見舞も避け、葬儀も家族葬でやると頑なにしていたと人づてに聞いていた。それでもお線香ぐらいは上げにゆきたいと、家族ぐるみで親しくしていた昔の同僚と訪れた。奥様は予想以上にお元気で大歓待してくれた。
きっと、もう少し立つと寂しさがどっと押し寄せるのだろう。それをあえて振り払っておられるようでなにか痛々しかった。彼の人は、ビジネスマンとしても人間としても、素晴らしい先輩であった。ご冥福をお祈りします。