遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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噴煙見ゆ

2014-09-29 18:42:22 | 登山・ハイキング
 肩のあたりから噴煙が

土曜日の御嶽山噴火のニュースには驚いた。歩いたことのある頂上付近の道がほとんど灰色の火山灰に覆われている。
どれくらいの速さでああなったのかが不明だが、硫化水素ガスが流れているとするとかなり危険である。

風下にある我が家付近では,距離もあるせいでうっすらと灰が降っただけで、ほとんど影響はなかった。
野次馬根性旺盛な私としては、これを見ようと急遽入笠山に出かけた。
 蔦はもう秋の色だ

 入笠湿原

天気は絶好、山はまだ紅葉には早く蔦が色付いている程度だ。入笠湿原は草紅葉が色付き、白樺の幹の白さと絶妙なコントラストを見せていた。沢入登山口から約1時間半で山頂に到着。遠くに富士山、北アルプス、近くに甲斐駒、南アルプス、八ヶ岳連峰。そして、いたいた、まっすぐ上に噴煙を上げる御岳!高気圧に覆われているせいか霞たなびく山ひだの向こうに巨大な噴煙の柱が真上に立っている.時には二本になったり、上部が風に流されたりしているが、青空に左肩からくっきり、はっきり噴煙を上げている。これだけ距離が離れていると全く音が聞こえないがそれにしてもダイナミックだ。
 まさに霊峰
 八ヶ岳もくっきり
 噴煙はいろいろ

くっきりとした秋空には月が白い姿を見せていた。

小川の庄おやき村

2014-09-24 08:17:06 | 行ってきました
 おやき村入口
 囲炉裏端で焼くおやき
 両面を焼いたら脇へよけて焼く

一度は行ってみたいおやき村、平均年齢が70歳を越えて運営している村おこし成功例だ。

好天の一日、大町方面の山岳博物館、栂池自然園などと組み合わせて出かけた。運転好きの長男にハンドルを任せ、とりあえず小川の庄おやき村へ向かう。安曇野ICで降り、国道を進む。
信州新町を抜け、いよいよ小川村、案内標識が頻繁に出てくる。山道が次第に細くなってくるが、対向車がほとんど来ない。車一台がやっとの道路をうねうねと登りやっと峠の上の建物に着く。
駐車場は道の端に縦列してくれというところである。

入ると売店、そば打ちどころ、蕎麦食堂があり、おやきを焼いているところはそのずっと奥であった。女性1人、男性2人の三人組が作業をしている。囲炉裏に大きな平鍋をかけそこに丸めたおやきをエイっと叩きつける。おばあちゃんの手並みは鮮やかだ。年配の男性は焼きあがったおやきをひっくり返したり、囲炉裏端に移したりする。囲炉裏の火加減を調整し、移したおやきの側面を焼くのも彼の役目だ。一番若い人香側面を回したり、注文を取ったり、勘定をする。
 いただきまーす

おばあちゃんは種を入れた河を器用に丸めながら、周りに目を光らせ、あれこれと男性陣に指示を出す。ここは完全に女性管理職の役割を果たしている。男性の手際は頗る悪いのだが、ここで効率を語ってはつや消しである。なにせここは小川の庄なのだ。のんびりゆっくりを楽しみに来ているのだから野暮なことを言うのはやめよう。ゆっくりじっくり焼きあがるのを待とう。さすがに焼きあがったおやきは美味しかった。日の硬さと香ばしさが絶妙であった。ハフハフと口を尖らせ、吹きながらゆっくりと味わった。
 鷹狩山展望台
 見晴らしは良い
 帰りの山道

そこから大町に出て、鷹狩山展望台へ上がり、大町の平野を一望し(残念ながら鹿島槍、針ノ木岳など後立山連峰は雲に上部が隠れ見えなかった)、うも間から帯状のカーテンに似て地上に射す陽の光を見た。そこで残念ながら時間切れとなり、棚田も見そびれて帰途についた。
まあ楽しいドライブであった。

後一週間で

2014-09-23 19:29:42 | 行ってきました
 白駒の奥庭

この処長男がよく遊びに来てくれる。家庭や職場でなにかトラブルがあって、ストレスが溜まっている風には見えないので、基本的には我々の慰問と自己発散なのだろう。次男が今国内にいないのでその穴埋めという気持ちもあるかもしれない。こちらに我々だけで生活しているのに、何かしら危なっかしさを感じているのかもしれない。

とにあれ我々としては大歓迎である。精力的で賑やかすぎるくらいだが、滞在中は退屈することがない。単身でフラっと来るのだが、よく家庭で許してくれると思う。
この連休中は、八子ヶ峰、大町、白駒池と好転に恵まれ毎日出かけた。

ハードな山登りは避け、適当に体を動かす程度の運動になるところを選んで誘ったのだが、なんといっても爽やかな気候に恵まれ連日楽しい外出となった。
本日の白駒池も、麦草峠手前の公共駐車場から40分ほど歩いて湖畔に到着。そこで持参のバーナーと、コーヒーサイフォンで山コーヒーと洒落こんだ。

湖畔はナナカマドなどぼつぼつ色づき、あと一週間したら紅葉の最盛期を迎えるだろうと期待できる。湖面に空を映し、まだ緑濃い木々と、早くも色づいた木のコントラストが美しい。
 色付き始めた青苔荘前のボート乗り場

 樹間から白駒池を望む

 湖畔の紅葉

一枚のハガキ

2014-09-19 12:47:41 | 雑感


三連休明けの16日一枚のハガキが届いた。姪からである。

かねてから闘病中であった妹が9/8に亡くなったという知らせであった。姪は若くして姉を失っており、今年2月に父を送り、そしてこの9月に母を送り、とうとうひとりになってしまった。

妹の美学として、痩せさらばえた姿を誰にも見せたくないという強い意志で、危篤状態になってもまわりには一切知らせるなと、医者である自分の子供に頼んであったらしい。姪は一人で葬式を出し、母親を送ったという。

妹は私と同じで人手不足の中、大手のメーカーを辞め、家業の事務を任された。「家業から企業へ」という思いは同じように強く、公私の混同については、よく兄などを諌めていた。甥っ子が入社してからもそのことについては東京などでよく指導をしていたが、とにかくある種の使命感をもっており、近年の会社のあり方を未だに嘆いていた。

私とは年子の生まれで、子供の頃は時々喧嘩をした覚えがある。その反面、協力的なところもあり、いつぞやの大晦日など、二人でお櫃に残ったご飯を一生懸命片付けた(食べた)記憶がある。

女性の特徴であろうか、実務的な処理については判断が早く、中小企業の経理・庶務にはうってつけの人材であった。東京へ嫁いでからも、東京営業所を手伝ってもらい、無くてはならぬ人材としてかなり長く頼りにされた。まさに家業から企業へということで、私が東京の責任者の時、身を引いてもらったが、何故わざわざそんなことをするのか、と当時の東京の所長からは恨まれた思い出がある。

私より一歳下で亡くなり、これでこの3年間は毎年一人ずつ兄弟姉妹を失ったことになる。
年代とはいえ寂しい。

きたーっ。

2014-09-18 20:35:47 | 雑感


この三連休には、次男の嫁さんが孫を連れて刈谷の家へ遊びに来た。
現在三歳と9ヶ月、可愛い盛りである。

我が家の直系男子であり唯一の男の子の孫である。両親の愛情を一身に受け、聞き分けの良い子に育っている。
もう少し我儘であってもいいと思うくらいだ。

この連休は幸い天気に恵まれ、大府の運動公園に出かけた。あそこはいろいろな遊具が設置してあり、孫はジャングルジムで上り、大きな滑り台で下りる遊具に何度も何度も繰り返し滑り降りては遊んだ。
後何回?と聞くと5回と答える。後3回でおしまい、というとじゃあ4回と駆け引きをする。しかしそう決めるときちんと4回で打ち切るのが可愛い。精一杯体を動かし、いい運動になった。翌日もまた午前中ここで遊んだ。よほど気に入ったらしい。



コンクリートのお山に登るときには同じくらいの年齢の子どもとすぐ声を掛け合うようになった。子供はこうしてコミュニケーションを取るようになるのだろう。

帰り際、刈谷駅に送りに行ったら、改札口での別れ際、こちらを振り向き「また明日も遊ぼうねー」「アリガトウゴザイマシター」と元気な声で言い残して階段を降りていった。一寸ジーンと来た。

実に可愛い。逢妻川の上流に新幹線を見に行ったら、土手に彼岸花が咲いていた。ここらもやっと秋が忍び寄ってきている。


戦友また一人・・・。

2014-09-13 17:54:12 | 雑感


入社した当時から何かと交流のあった、元部下のK君がめでたく定年を迎え、その歓送会(彼は嘱託として残る)と言うか激励会が東京の市ヶ谷で行われた。

彼は私の友人の甥っ子で、中京大学体育学部出身のスポーツマンである。世が世ならオリンピック選手にもなれるほどの素質のある選手だったが、学生時代、一寸麻雀に凝ってしまい、その素質を棒に振った。これは日本最多の金メダルを取ったあの中山彰規選手から直接聞いたのだから間違いあるまい。因みに中山選手は麻雀では彼にカモにされていたらしい。

しかし彼は主として営業畑を歩んだが、細かい配慮を見せ、担当する印刷物からはほとんどミスを出さないという点でお客様からの信頼は厚かった。定年間近ではあるが今でもNo1営業マンとして君臨している。細かい配慮は工程管理だけでなく、人間関係にも随所に現れ
担当のお客様からも良好な評価を受けている。

この激励会にはかって我が社に努めていた人、取引関係にあった人も駆けつけ、賑やかな会となった。幹事役はかっての部下、現在の部下が努め、彼の人望のあつさを物語っている。
私は東京営業所開設以来のパイオニアである彼とは、上司・部下という関係を越えたある種の戦友に近い感慨を持っている。一時気の迷いで我が社を離れたこともあったが数年で復帰を果たした。その折私が心配したのは、これらの転職は家族の了解を得ているのか、ということが気になり家人に直接聞いてみたがそこはコミュニケーションが良く取られており、本人の気まぐれではなかった。若い時によくある「となりの芝生がよく見える」というやつで、彼の実行力が成せる技であった。

現役の頃東京出張の際は努めて彼の担当先にフォローに伺ったのだが、ほとんど問題はなく、いつも楽しい思いをした。

そんな彼もいよいよ定年である。時の流れは早い。共に戦った仲間がまた一人戦列を離れる。寂しい限りである。

でっかいなあ~

2014-09-09 11:58:06 | 雑感


でっかいなあ~

秋の味覚といえばなんといっても茸でしょう。幸い私は食欲は年中ある方なので、「食欲の秋」はピンと来ないのですが、魚も果物もお米も美味しくなる秋は楽しい。このところの雨で、我が家にもキノコの女王「じごぼう(ハナイグチ)」が顔を出し、連日我が家ではきのこ汁に舌鼓をうっている。今年も昨年同様茸がよく採れる。茸は湿気、気温、それに若干の日照も必要なようだ。これ(じごぼう)はこれで美味しいのだが、香りが薄いのが玉にキズか。と贅沢なことをいっている。

松茸は歯ざわりもいいがなんといっても香りだ。フルーツも香りに左右されておるような気がする。味覚のかなり大きな部分を香りが占めている。サンマもウナギも焼ける匂いがたまらない
新米や新蕎麦のの仄かな香りやしっとりとした食感も食欲をそそる。

そんな妄想に浸りながらキノコ探しをしていたら、おばけきのこに出会った。名前は知らないが大きく育ったものだ。食べられないと思うので写真に撮るだけにしておいた。今年は松茸も豊作だろうという予想が出ていた。楽しみである。

なかなかスペイン/ポルトガル旅行記に手が進まないのを若干気にしつつ、それでもきのこ汁を楽しむ毎日です。

花咲く女神湖

2014-09-08 15:29:38 | 行ってきました
 木道がよく整備されている
 一列に並ぶスワンボート

週末、ひょいと長男がまた一人で遊びに来た。家族をほっておいて一人で出かけるのがいいのかと思うのだが、嫁さん以下彼の家族の自律心が強く、大丈夫らしい。
こちらは大歓迎だが、息子は息子なりに我々に気を配ってのことらしい。前回の横谷峡はあいにくの豪雨に祟られたので今回は空模様を見て、白樺湖の少し上の女神湖に誘った。
 何の花だろう
 オカトラノオ?
 オミナエシ
 フシグロセンノウ
 サワギキョウ?

現地では、さわやかな秋風が吹き渡る湖畔の遊歩道に、そぞろ歩きの人がちらほら見受けられた。まだそれほど秋の深い空ではなかったが、頬を撫でる風がなんとも気持ち良い。2km弱の周回遊歩道を巡る。前半は、湿地帯の中に設けられた木道で、秋の花、夏の終わりの花々が色とりどりに咲いていた。湖最奥部に丸太ベンチが設置してあるところを見つけ、そこで昼飯、コーヒータイムとした。目の前は蓼科山が真正面だ。水際に水紋が建つかと見る間に、背びれまで見えてきた。鯉が沢山岸辺に押し寄せている。スワンボートや、立ち漕ぎのカヌー、鴨だろうか水鳥も来て、ずいぶん賑やかである。


魚もいじめなければ、池の鯉と同じで悠々と岸辺まで寄ってくる。そんな景色を見ながら、男同士の四方山話を楽しんだ。勿論そこで炊いたご飯や、コーヒーが彩りを添えたのは言うまでもない。

蚕糸博物館

2014-09-06 06:54:15 | 行ってきました
諏訪湖は良い天気だった

富岡製糸工場が世界産業遺産に認定されてこの方、岡谷にある地味な蚕糸博物館にも急に参観者が増えたそうな。改装して一ヶ月で入場者1万人を達成したという。野次馬根性旺盛な私としては行かずばなるまい。
早速諏訪湖畔を通り、岡谷にある現地に赴いた。

 管内は撮影禁止で残念

ウイークデイの事ゆえ流石に人は少ないが、確かに人は切れ目なく訪れている。

そもそも近代日本の富国強兵策の柱の一つとして絹糸及び絹織物の輸出があったように思われるが、歴史的には幕末この地方で蚕糸業が興った。「1765年、岡谷の小坂村で小坂桑が発見され、土
地柄にあった桑の栽培が始まると、冬が長く、寒さが厳しい諏訪地方では、農業の副業として、蚕飼い・生糸 づくりが盛んに行われるようになります。」
明治末期には中国を抜き世界一位の生糸生産国になった。国内では長野県に次いで愛知県が2位という。一寸意外だった。

こんなところに豊田佐吉の織機発明の気運もあったのだろうか。初期には糸の品質が悪く外国から悪評を買った時期もあった。そこを外国からの設備導入と組織力とで改善し、瞬く間にトップに躍り出た。
外国からの金属製の繰糸器を日本製の陶器と木製のもので安価で大量に生産した。そんな機械が展示してある。

この博物館の特徴の一つは、現役の製糸工場が併設されていることである。蚕糸の私の疑問は、繭から糸をどうやって引き出すのか、一つの繭から次の繭の糸をどうやって繋ぐのか、であったが、実際に昔ながらの手作業時かによる作業の中で納得した。
絹糸は表面が細かいうろこ状になっているとどこかで読んだことがあるが、そのことが解決の基礎になっている。機械があったら一度見られると面白い。

ついでながら、シルク石鹸というのも体験してみたが,その泡立ちのきめ細かさにも驚嘆した。1929年の大恐慌で生糸産業、絹織物は大打撃を受けて衰退するのだが、その細やかな肌合いを実現し、大量生産を果たした日本の技術に誇りを覚えた。ここらに来たらぜひ立ち寄られたい。

気配

2014-09-05 12:44:35 | 雑感
 乱視か、手ブレか

9月になって急に寒くなってきた。
晴れる日が相変わらず少なく、日照時間がまれなので、気温がなかなか上がらない。

二十四節気の「白露」が目前だ。夏の間よく飛んでいたヤンマに代わりアキアカネが見られるようになってきた。
美味い物が多くなってくる季節の到来だ。楽しみでもあるが、心配でもある。また脂肪を溜め込むのかなあ。

散歩の途中に早くもコスモスが咲いているのを見つけた。山は秋の訪れが早い。ここら辺りは秋の気配というより、もう秋そのものの到来である。