遅いことは猫でもやる

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永遠の0

2013-04-30 18:51:41 | 雑感


「永遠の0」百田尚樹著 講談社文庫 2006年刊

嬉しいことに、鈴蘭会の会合で山仲間の友人が「絶対面白い」と薦めてくれた一冊。
こういう情報はとても嬉しい。

久々に胸が熱くなる小説を読んだ。
「錨をあげよ」「プリズム」などで本屋大賞を受賞した百田尚樹の小説。
題名から暗号を解くミステリーかと思ったが、戦時中の戦闘機乗りを題材とした人間ドラマである。

戦後再婚した祖母のはじめの夫(祖父)の人物を調べてゆくという筋立て。戦友をひとりひとり訪ねてインタビューして人物像を確定してゆく。話を聞く人が変わる度に、まるでページを捲るように祖父の新しい側面が見えてくる趣向が気が利いている。戦闘機乗りの戦争での役割、日本軍の戦い方の描写、作戦の無謀さ、現場パイロットの優秀さ、大本営・指揮官などエリートの限界などの批判も間にはさみながらストーリーは展開され、やがてあっと驚く結末を迎える。人間の清冽な生き方、権力の側の正義の薄っぺらなこと、マスコミ批判なども織り交ぜ,クライマックスに向け、盛り上がる。今の官僚が責任を取らない体質が、すでにこの大戦中の軍に合ったことなど、小説とはいえ説得力がある。

寝不足になるほど面白かった。題名のゼロは零戦のゼロ、人生のゼロであった。

同年会

2013-04-28 11:55:04 | 雑感


厄年(数え年40歳のころ)にお祓いを一緒に受けた仲間が、その後も何かと親交を深めて早くも30年続いた会がある。

地元の神社の氏子(実際は小中学校の同窓生)を中心とした厄年同年会である。

こういう会は大抵は前厄、本厄、後厄の3年間で解散するのだが、何故か我々の会はその後も続いている。最盛期は、花見の会、薄墨桜植樹の会、総会、親睦一泊旅行と年4回の会合を重ねていた。さすがに最近は、総会と一泊旅行に縮小されたが、古希を迎え、内容を変えようという動きが出てきた。一泊旅行を日帰り旅行に変えて回数を増やそうと言うのだ。



今年はその試行錯誤の年。第一弾として、名古屋七福神めぐりという企画だった。恵比寿、福禄寿、大黒天、寿老人、毘沙門天、布袋尊、弁財天をめぐる。八事興正寺、笠寺笠覆寺などのお寺にバスで回って参拝し、御朱印を授かってくる趣向。あいにくの冷たい雨でせっかくに新緑を楽しむ余裕もなく、参拝客も少ない境内を巡った。

とは言え、狙いはバス内のと、昼食時の親睦である。ほとんどリタイアし、のんびり毎日を送っている身分の仲間が、健康や、家族の他愛もない話に興ずる。まさに命の洗濯をしている様相だ。こうした会に出席できる幸せをかみしめるかのようだ。

発足した当時は勢いの良い人が多かったが、今は過激に攻撃的な性格の人間もおらず、結構人のいい者の集まりなので和気藹々である。こんなことを感じるのは、ひょっとしたらボケの始まりか?



逆だったか

2013-04-21 07:53:42 | 雑感

イエローハットの創業者で、「日本を美しくする会」を主宰している鍵山秀三郎さんの本を読んでいて、ガーンと撃たれたことがある。

「したたかな人間」と言う項目である。かねて私自身、もう少し、したたかにならねば、と思いっていた。また、日本は国際社会の中では正直すぎて、或いは周りのことを気にしすぎている。この点では韓国、中国、や欧米の国々を見習わなければと感じていた。ところが鍵山さんの言は次のようである。

「したたかな人間になってはいけません。人間は何歳になっても純情な心の人でありたいものです。その上で小さなことにも傷つきやすく、心ときめかせながら経験してゆく事が大切です。実践だけで人生を築いてきた人の中には往々にしてしたたかな人間が多いような気がします。したたかな人間は周りの人まで不幸にします。」と諭されている。

そうなんだ。危うく間違うところだった。たしかにしたたかな人間や国は、バイタリテイはあるかも知れないが、その人の嫌な面、国の嫌な面はそこからきている事が多い。長い目で見ると決して良いことではないようだ。なーるほど心せねば。

鈴蘭会

2013-04-19 18:15:40 | 雑感


すずらん会という勉強会の名残の会がある。
名前は綺麗だが、むくつけき男ばかりの会である。この会の名前の由来は、若いころ一緒に学んだ仲間が、鈴蘭高原にあった先生の別荘に時々集まったことによる。

海軍経理学校を2番で卒業したという経歴の先生を中心にした勉強会で、10年ほど前に先生が亡くなるまで、続いていた。
メンバーは経営者層ばかりで、いずれも人のよい方ばかりが十数人残ったのだが、その中の一人、面倒見の良いこまめな人が皆に呼びかけてくれるので、その後もこの会が続いている。

何というテーマも目的もないのだが、お互いの元気さを確認するという、学校の同窓会みたいなものだ。私が一番年配で、10歳以上も若いメンバーも居る。だが、後に続く人も目白押しで、皆さんそろそろ会長、相談役になりかかっている。
ただ私のように全くのフリーの人はまだない。むしろその立場になることに不安を持っているとさえ思える。こんなに良い環境と立場なのに、もっと皆に「ハッピーリタイアメント」をお知らせしなければ。
近況報告もまだまだ現役の報告が続き、お酒もすこぶる強い。この会にいると何やら現役の気分にもどったような錯覚に陥る。その意味でも元気になる。

それにしても、このごろ、小学校の同窓会、JC時代のスタッフ会、まもなく厄年同年会、とよく続くものだ。やはり歳を取ってきたとつくづく感じる。


運動公園の春

2013-04-14 05:48:01 | 雑感


久しぶりに茅野市の運動公園を散歩した。
陽が緩んできたこの地にも本格的な春がきたようだ。



ここで老人達にポピュラーになっている、マレットゴルフに沢山の人が遊び、林の木々は確実に芽吹いている。
林の立木に看板が貼ってあった。「おねがいです、持って行かないで、ぼくたちのために」リスの絵が描いてある。
必要以上に貪るのが人間、だがこの叫びを上げているのも人間だ。捨てたもんじゃない。



足下にはたんぽぽが咲き、柳が芽を出し、モクレンが蕾をふくらませる。桜はまだ三分咲き。池の水も少しぬるくなってきたようだ。
遠くの山のゆきも少し減ってきている。山国の春はじっと我慢してきたことを一気にはじけさせるような季節である。

夜の高遠桜 絢爛

2013-04-13 15:14:23 | 雑感


出来心でふと高遠へ立ち寄った。弘前、吉野などと並ぶ桜の名所です。
大奥の御年寄絵島が歌舞伎役者生島と浮名を流したという科(実は政治的陰謀らしいでこの土地に流されたところでもあります。

それはさておき、夕方に伊那インターを降り、高遠城址公園についたのは午後七時を回っていた。
ライトアップはされているが、岡崎公園などの都会と違い、光源は豊富ではなくまだらに照らされた桜が幻想的に浮かびあがています。

肝心の桜は「タカトオコヒガンザクラ」という山桜の一種で、樹勢が今が盛りとみえ、満開間近の桜が電光に映えて実に綺麗でした。
ここの桜は、斜面に生えているせいもあり、足元、目の高さ、高い梢と視野全体に桜の花が圧倒的に広がっています。
ウイークデイであったが人出はそこそこあり、売店も賑わっていました。



駐車場の係の人も素朴で感じがよく、おやきや、たこ焼き・お好み焼き屋、高遠そばの売店の係の人も、町の青年部か婦人会の人が取り仕切っているようでした。
真面目な応対で、街場の露店のようなテキヤの人ではないのが好感を持てました。

信州の事ゆえ、夜は底冷えのする気温で、花見の人達はあんまり盛り上がっていなかったが、薄暗い城内には、三味線・笛・太鼓・歌の行列がしみじみと練り歩く行列もあり、絢爛と咲き誇る桜とは対照的に、浮かれ騒ぐ花見とは一味違った桜鑑賞会でした。
今年は隅田川公園、刈谷の亀城公園、に続き三度目の花見だ。確かに、桜の花は艶やかであるだけ逆に寂しさを感じさせる。

小学校同窓会

2013-04-10 15:50:06 | 雑感

寄せ書きならびに協力金の贈呈

この写真は雰囲気が出ていないが、会場は盛り上がった。

小学校6年生の時のクラス会を開催した。

なにせその当時の担任の先生が、81歳を迎える今もピンピンされている。
美術の先生だがとにかく情熱的である。現在は息子と内装業を営んでおられるが、その気分の若さは我々も圧倒されるほどだ。

20年ほど前に開催した時は、当時の人気女性教師を呼べと言われ、実現のために奔走したことがある。それくらい気分の若い人だ。

美術は二科会の所属であったが、思うとおりにかけ!と指導され、うまく書こうとすると叱られた。春の生き生きとした空を赤い絵の具で描いたら、「げんきがいいねえ」とほめられた記憶がある。ことごと左様に本音を大事にする人である。教師の在籍期間が少なかったせいか、担任してくれた我々を大切にしてくれる。

数年前から、ミャンマーへ学校を建てる運動に参加されていて、その御縁で安倍昭恵さんとも交流があるらしい。我々もほんのこころばかりの金額であるが、寄付金を募り贈呈した。

53名のクラスで、18名の出席者であったが、他愛もない話が弾み3時間を越す宴会となった。なお別れがたく2次会はカラオケ屋に雪崩れ込み、そこでも2時間近く過ごし、なんと12時に始まった会は6時にやっと解散となった。余生を過ごしている我々にとって、命の洗濯といった塩梅である。

交響曲第一番「 Hiroshima」

2013-04-09 10:00:32 | 雑感



いま話題の作曲家佐村河内守のものである。

NHKスペシャルで取り上げられているのをみて、俄然興味深くなり、早速取り寄せて購入し聴いてみた。

Nスペの紹介欄には次のように記されている。
「“現代のベートーベン”と呼ばれる日本人がいる。佐村河内守(サムラゴウチ マモル)、49歳。14年前に原因不明の病で両耳の聴力を失いながら、クラシック作品の中で最も困難とされる交響曲を書き上げた。現存作曲家の交響曲が演奏される事がほとんどない中、彼の「交響曲第一番“HIROSHIMA”」は、広島、東京、京都、大阪など5回も演奏されただけでなく、一昨年発売されたCDは、音楽チャートでTOP10入りを果たしJ-POPと上位を競うなど、“偉業”とも言える空前のヒットを記録した。」


重い曲である。75分に及ぶ曲の大半に打楽器が使われ、重々しい響きに満ち満ちている。原爆というのは本来こんな重大なものなのだ。福島原発の後処理もまだ不十分な今、この響きは我々に対する叱責にも聞こえる。

佐村河内氏はゲームソフト[鬼武者」の音楽などを手がけているが、殆ど聴力を失うなかでの作曲活動を続けている。幻聴に悩まされ続け、ひどくなるというので、日常は電灯の下での生活である。音は手に響いてくるかすかな振動で判断し、会話は読唇術で補う。この大作がこのような作曲家の頭のなかのイメージに依ってのみ作られたというのは驚異だ。こうした環境の中で作られた曲は、一切の余分なこと、或いは聴衆に阿るようなことは排除され、魂に直接語りかけてくるようだ。モーツアルトでさえ、聞き手を楽しませようという意図を感じるが、このシンフォニーはそれさえ感じさせない。

同番組で取り上げられた、東北大震災の被災者に向けた「レクイエム」(未発売)もぜひ聴いてみたい。

清明

2013-04-08 09:50:11 | 雑感

24節気の清明とは、全てのものが清らかで生き生きとするころのこと。若葉が萌え、花が咲き、鳥が歌い舞う、生命が輝く季節、春本番といったところです。

初候は「玄鳥(つばめ)きたる」。心なしかこのごろつばめを見ることが少なくなりましたが、以前は少し暖かくなると、家の周りにできた巣につばめが出入りし始め、春がきた事が確認できました。親鳥の運んでくる餌を、揃って口を開けて啼いて待つ子供の鳥はつばめの巣をみてだった。
渡り鳥の代表も春はつばめだったような気がする。もう少し、身近に季節を感じさせてくれる動物がこれだった。

魚で言えば、少し早いかもしれないが「目に青葉・・・」のカツオだ。マグロのトロもいいが、この魚はまさに清明を表しているような気がする。この時期のカツオは、脂のノリは少ないが、旨味はしっかりとあり、生姜・青じそなどの薬味で食べる叩きは最高である。
この時期は、桜の散り際に思いを馳せながら、日本に生まれてよかった、と思う季節でもあります。