遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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雪冤

2019-02-20 00:58:18 | 


大門剛明「雪冤」角川文庫 2009年刊

雪冤とは「無実の罪であることを明らかにすること」の意だが、この小説は息子の無実を証明しようとする父親が主人公である。かなり緻密な構成で、テンポよくストーリーは進む。読者の予想よりは展開が早く、スピード感もある。

ただ最後に来て2転3転とはなしが入り組む。ここのところが理解力の衰えてきた自分にはかなり複雑に思える。若干無理筋にも思える。まさに自分の命に代えて罪を被るところの描写が少し不足しているような気がする。論理はわかるが小説として共感を得るには、説得力には少し欠ける。

しかしストーリー展開、心理描写などは緻密で面白い。あらすじを暴露しては興味が半減するので控えるが、かなりの力量のある作家ではないかと推察する。

医者の趣味

2019-02-18 06:44:09 | 


知念実希人「螺旋の手術室」新潮文庫 H25年刊

前にも医者で作家の作品を読んだことがあるが、時折出てくる専門用語がこれみよがしで、どことなく馴染めない。
そればかりではないだろうが、状況説明が丁寧すぎて面白みに欠ける気がする。犯人に迫ってゆく謎解きもかなり綿密だが、かえってリアリティに欠ける。

犯人を追ってゆき、謎解きをするのがほとんどカルテや病院の診察体制、や診察制度の中で行われてるのだが、門外漢の我々にはピンとこないことも多くそれが「これみよがし」という印象を与えているのだろう。

犯人は一番怪しくない人物だったという結論はいいにしろ、犯行に踏み切るだけの必然性が不自然である。といったわけで本編は私としては必ずしも推奨はしない。もちろん一定のレベルは超えているが、医者の趣味として書いたものならかなりのレベルだと言える。

もう一つ加えるのならば、格闘場面はなかなかのものがある。柔道の心得があるのだろうか。

将棋界の隆盛を作った

2019-02-16 03:55:51 | 雑感


両国の寄席、両国亭の脇に高札が立っていて、「伊藤宗印屋敷跡」とある。江戸時代大橋家本家、分家、伊藤家が持ち回りで名人位を継いでいたと言われます。囲碁の世界の頂上争いは、百田尚樹の「幻庵」に詳しいが、将棋の世界には疎く、よくわからない。

看板によると、この3家はいずれも本所に屋敷を構えていたのだが、伊藤家だけが明治に入って戻ってきて棋士の育成に力を入れたとあります。名前だけは聞いたことのある名人関根金次郎、その弟子永世名人木村義雄などが修行したと言われる。

実力名人位制をとったのが、この関根で、木村、大山、升田などに続く将棋界の隆盛につながった。最近また一段と盛り上がってきた将棋人気を支えている、羽生、藤井などの活躍を彼はどんな具合に見守っているのだろうか。


鬼平の剣友

2019-02-14 03:23:01 | 行ってきました



池波正太郎の鬼平犯科帳の舞台はここ墨田区両国、本所界隈に点在するが、実在の人物だけあって登場する橋や地名お寺なども、あちこちに登場する。

墨田区業平にある春慶寺は平蔵が通った道場の剣友岸井左馬之助が寄宿したお寺として登場する。映像では江守徹が扮していたことがあり、彼の筆になる「岸井左馬之助寄宿の寺」なる石碑がお寺の玄関先に飾ってある。

この寺には鶴屋南北の墓もあり、池波はその縁もあり小説の舞台に選んだのではないかという説がある。

ただ大都会の中のお寺なので、ビルの一角に玄関があり、風情も何も消えてしまっているのが惜しい。


新ランドマーク

2019-02-12 02:58:04 | 雑感

タワービュー通りからのスカイツリー

東京のランドマークといえば、東京タワー、東京都庁、皇居、ちょっと古くは霞が関ビル、丸ビルなどなどであったが、今はなんといってもスカイツリーだろう。

ビルの谷間から眺めるとそれほど高く感ぜられないが、航空写真などで見ると、高層ビル群がぐんと低いところにあり、圧倒的な高さを誇っている。

散歩で近くまで行ってみると、通りの名前も「タワービュー通り」に変わっている。定食屋さんのウィンドウには「タワー天丼」なるやたらに盛り上げた天丼が供されている。

その通りから見上げると首が疲れるほどの角度まで上を向かないと、てっぺんが拝めない。構成している鉄パイプも直径1メーター以上はありそうである。姿は見慣れているせいか東京タワーのほうが優美に見えるのだが、どうしてだろう?

どういういわれか知らないが、業平の名前もあちこちに見られた。何かとても平和な感じがする。

首都の雪

2019-02-11 06:29:47 | 雑感


珍しく東京に雪が降った。昨年の大雪にも驚いたが、このところ東京は一ヶ月以上雨、雪に見舞われていないので、ちょっと意外であった。朝起きてみたら家々の屋根が白い。空からも白い雪片が落ちてくる。幸い道路には積もるほどではないが、街路樹には雪がうっすらついている。

雪に不慣れな都会では、5cm積もっただけで大混乱に陥る。幸い今回はそうはならなかった。北海道では雪だけでなく大寒波が襲来しているという。寒さで名高い陸別では-30℃を記録したそうだ。

東京でも最高気温は3℃と予想されている。ブルブル、街中震え上がっている。今日は外出も控えよう。

由緒正しい病気平癒の神様

2019-02-10 07:39:42 | 行ってきました

正面

本殿

撫で牛

撫で牛由緒書

町内の掲示板に牛島神社例大祭の張り紙があり、徒歩10分位の学校の横に牛島神社の別社がある。本殿は区役所の奥、隅田公園の一角にあり、せっかくなので覗いてみることにした。

隅田川沿いの公園は何やら工事中ではあったが、本殿は影響なく、風格ある佇まいを見せている。貞観年間(859-79)の頃慈覚大師が建立したと伝えられ、かつては牛御前社と称しており、その由来については、慈覚大師が一草庵で須佐之男命の権現である老翁に会った際の託宣により建立したと伝えます。本所総鎮守として崇敬を集め、明治時代には郷社に列格していました。

なんと1200年近い歴史を持つ神社で、病気平癒の神様だと称せられている。本殿横の撫で牛の該当部分を撫でれば願いが叶うと言われ、赤い涎掛けをした石の牛を見ると、下半身が艶々と光っていた。上半身よりお腹や下半身の故障が多いのだろう。

ここの神社は狛犬の代わりに牛が守っており、東京スカイツリーの氏神様でもあります。神社とスカイツリーの取り合わせがなにかそぐわない。

栗本鋤雲という人物

2019-02-09 03:27:43 | 雑感

ひっそりと立つ標識

家から5分とない定食屋さんの店の前にステンレスの柱が立っており、「栗本鋤雲居住地跡」と記してある。聞き慣れない人物なのでネットで調べてみた。

幕臣。父は幕府医官。嘉永元年(1848)家業を継ぎ奥医師となる。その後、職を解かれ、5年に函館に移住。山野の開拓、病院の造成などに力を注ぐ。文久3年(1863)に江戸に戻り、親仏派として外交交渉にあたる。軍艦奉行、外国奉行を務め、慶応3年(1867)フランス派遣。維新後は新政府に仕えず、明治6年(1873)郵便報知新聞に編集主任として入社、随筆類を寄稿した。没後、著述は『匏庵遺稿』(1900)としてまとめられた。

とある。幕末昌平坂学問所で褒賞を受けたほどの秀才で奥医師の家系である栗本氏の家督を継ぎ、ついで奥詰医師となる。讒言により、函館に赴任するが、梅毒駆除のための医学所(のちの市立函館病院)建設、七重村薬園(静観園を参照)経営、久根別川を浚い函館までの船運開通、食用牛の飼育事業、八王子千人同心らを移住させて養蚕をさせるなど地域の発展に尽力した。

さらに外国奉行に昇進し勘定奉行、箱館奉行を兼任した。幕府による製鉄所建設や軍事顧問団招聘などに尽力している。鋤雲の才能は新政府からも評価されていたため、出仕の誘いがあったが、幕臣として幕府に忠義を誓い、重用された恩があった鋤雲は新政府に仕えることを潔しとせず、それを謝絶して隠退した。

その後「横浜毎日新聞」に入り、翌年1873年(明治6年)に、「郵便報知新聞」の主筆を務め、福沢諭吉を訪ねてその門下生を記者に加えるなど貢献した[6]。以降はジャーナリストとして活躍した。また登山家としても知られ、渡仏中、日本人としては初めてアルプスに足を踏み入れた。

とまあなかなかの人物である。こうしてみると、幕臣には数々の人物が存在し、一人ひとりが大河小説の主人公になってもおかしくないほどだ。

高齢化社会を映す鏡

2019-02-08 04:21:59 | 


原田マハ「生きるぼくら」徳間文庫2012年刊

泣けてきた。本作品は情感に触れる傑作だと思う。引きこもりの若者が蓼科のおばあちゃんの懐に飛び込んで、しかも認知症を発症しているおばあちゃんのところで、少しずつほんの少しずつ自分を取り戻してゆく物語である。

考えてみるとこの舞台は何も小説向けに設定された特殊なものではなくて、現代社会ではどこにでも出現しそうな、ごくありふれた環境ではないのか。母子家庭、引きこもりの若者、過疎の田舎。ただ違うのはそこにいる人達が一皮むけば皆善意の助け合う人々であるというところだ。

後半の舞台が蓼科ということもあり、原田マハの共感を呼ぶ語り口とともに、高齢化社会の現実が迫る。そこに生きる若者もよく描けていると思う。美しい自然の中で少しずつ少しずつ心が解き放たれてゆくさまや、親切な大人たちのアドバイスが効いてくる状況など実によく描けている。

是非オススメしたい一冊である。

河竹黙阿弥終焉の地

2019-02-07 04:18:06 | グルメ


家から5分と行かない、大きなマンションの向に墨田区の教育委員会の案内板がある。「河竹黙阿弥終焉の地」とある。

「月も朧に白魚の、篝も霞む春の空……」と朗々と唄い上げる極めて洗練された台詞が特徴の黙阿弥作品であるが、「鼠小僧」「三人吉三」などで一時代を築いた人気作家である。

彼は江戸・日本橋の裕福な商家、吉村勘兵衛の二男に生まれたが、若い頃から読本、芝居の台本、川柳や狂歌の創作にふけるようになり、14歳で道楽が過ぎて親から勘当されてしまう。貸本屋の手代となって生計をたてるようになるが、仕事はそっちのけで朝から晩まで読書三昧の日々を送る。これが将来の糧となった。

昔も今もさんざん道楽した人の作品は面白い。太宰治や永井荷風などの作品はやはり面白いが、遊び尽くすとなにか達観するという領域に突入するのであろうか。しかし彼は死の直前身の回りをきれいに整理して亡くなったという。

真面目さが中途半端な私には理解できない世界ではある。消費都市江戸でこそ花開いた文学であろう。