富士見高原療養所といっても病気の話ではない。歴史上の建物のお話。
約85年前(大正15年)開設されたこの療養所は、主に結核の治療施設として存在感を示していた。
久米正雄、堀辰雄、藤沢恒夫、竹下夢二などの文人・芸術家、呉清源などがここで治療したことで有名である。
設立当時、亡国病として猛威をふるった結核は治療薬がなく、若い青年の命を奪い、富国強兵を旗印に国づくりに邁進する国策の支障となっていた。
この療養所は上流階級の人の治療にあたったらしく、初代院長は慶応大学から赴任している。
また付き添いの人に加えて、お手伝いさん同伴で入所してくる人もいたという。治療の一部ともなっている食事は豪華なもので、看護婦が羨むほどであったらしい。
設立からの歴史をとどめた、往時の施設の一部に資料が掲示され資料館として保存されていたが、この度廃止されることとなり、残念ながら85年余に及ぶ歴史に幕を下ろす事になった。
それに伴い一般展示が今週いっぱい行われたので、せっかくなので見に行ってきたのである。
松林に囲まれた立派な病院の一隅に、木造2階建ての建物が残されていた。
空気清澄、湿気の少ないこの地が療養に適していたのか、ここでの回復率は、症状軽減者を含めると85%近くに上り、安静、日光浴、栄養補給を軸とする療養が効果をあげていたと推測される。
ギシギシと鳴る床を踏みしめながら、各々の文人たちは窓の外の松林を見つめて、何を想っていたのだろうか。当時はもっと時間がゆっくりと流れていたのだろう。
ここは今では高原病院として結核のみならず、老人医療、リハビリテーション、保育園まで併設し、医師20数名を擁する総合病院として経営されている。
この治療所の初代正木俊二院長は、俳句を嗜む文人で句集も残している。多くの文人が集まってきたのもそのせいかもしれない。
またこの病院を舞台にした映画も沢山撮影され、「月よりの使者」(根上淳、入江たか子)「風立ちぬ」(山口百恵、三浦友和)や、題名は忘れたが、お笑い芸人の南原清隆など出演の映画が撮られている。こんな山奥が恋愛映画の舞台となるのはちょっと不思議な気がするが、日本映画大学校長の佐藤忠男氏は「富士見高原病院は、日本の恋愛映画の原点になった場所です」と言っておられる。
こういう資料館が解体されるのはちょっと残念だが、時代の流れだからやむをえないだろう。
二階への木製階段(内部は残念ながら撮影禁止)