遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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関東風の捌き

2018-04-30 05:04:27 | グルメ

ふくしまの店構え

店内のお品書き

金沢文庫の義兄・義姉宅にお邪魔していたときは連日の歓待を受けた。この日は駅まで降りていって鰻をご馳走すると言って案内された。駅近くのお店でなまえは「ふくしま」小じんまりした店構えでいかにも職人が手作りで料理を供すると言った風情の居心地の良い店だ。夫婦二人の掛け合いもぴったりだ。

聞けば、鰻は三河一色産を使用しているとのこと。焼き方は関東風の蒸してから焼くあっさり仕上げ。わが町のやまへいによく似た味がした。お重にびっしり敷き詰められた鰻はむしろスッキリとした味わいで、山椒がきつく感ぜられるほど。

ここでも日本酒の冷酒をいただき、堪能した。昨日の義兄の独り言「こんなに幸せでいいのかなあ」に、「me too」である。

蕎麦屋で昼酒

2018-04-29 07:20:48 | グルメ

私にはなぜか大ぶりの猪口が

定番の板わさ

鎌倉での昼食は近くの蕎麦屋ということになった。街道沿いの小粋な蕎麦屋に入って畳の上にテーブルを置いた和洋折衷の席に陣取る。蕎麦・酒と看板に書いてある清海波というお店だ。お酒好きの義兄が「ちょっとだけゆくか」と誘う。義姉が運転なので申し訳ない気持ちもしつつ、元々嫌いでないので「少しだけね」と応ずる。

純米吟醸の酒に、ツマミは板わさ、だし巻き、ねぎ味噌焼きと定番中の定番を注文する。関東・東京圏だけあって出し方も小粋である。特にねぎ味噌焼きはつまみに絶品である。

義兄がボソリと「こんなに幸せでいいのかなあ」とつぶやいたのを私は聞き逃さなかった。たしかに。

昼酒はよく回る。一合ちょっとの日本酒に、すっかりいい気分になった。

禅とお茶と竹の庭

2018-04-28 06:31:30 | グルメ

報国寺入り口

山門すぐの庭

入り口横の通路

本堂前の枯山水

瑞泉寺から向かったのは、家人たちと落ち合うべく示し合わせた、報国寺。ここは女性が好むお寺だと義兄が言うので、どんなところかと言ってみれば、山門をくぐるとすぐ左手は行き届いた手入れの庭。

このお寺は足利尊氏の祖父足利家時が開いたと言われ、足利一族のお墓があるそうである。

拝観料を払って通路を通ると、孟宗竹の竹林が広がる。着物姿の若い女性が前後して入場するが、この庭にとても良く似合っている。林の中は枯れた竹の葉を縫ってあちこちに竹の子が顔を出している。

竹林の奥に茶店があり、水音がする中でお抹茶をいただける。このシチュエーションは正に和の極地だ。しばし茶店に腰を据えお茶を頂いた。言葉はいらない。ただ肌で感じるだけで良い。

なるほど女性に人気のあるお寺だと納得するが、もちろん男性にも文句のあろうはずがない。心洗われる場所であった。


竹の庭

茶席 休耕庵

休耕庵前の竹の子

茶席から庭を見る

お茶をいただく

庭先に滴る水

山深い名刹

2018-04-27 07:15:54 | 行ってきました

入り口

旧階段(この右が新階段)

入ると梅の古木に取り囲まれる



本堂

鎌倉に入ってまず立ち寄ったのは北東にある瑞泉寺。ここは夢窓国師が開山し、源の基氏が中興したお寺だそうです。鎌倉公方の菩提寺として鎌倉五山に次ぐ関東十刹(じっせつ)の筆頭に列せられた名刹です。

拝観料を払って中に入ると、すぐ石段があり参拝客とすれ違う。右が新階段で左が旧階段。新のほうが少し緩やかな感じだ。山門をくぐると両側に梅の古木、ここは秋の紅葉と梅の名所とのこと。

狭い土地を自在に活用して作り上げた庭は緑に埋もれて良い雰囲気である。一番奥の御堂の横に座禅屈が掘られてある。

吉田松陰がここにとどまったと言う碑がある。黒船を見に来た折に立ち寄ったのだろうか。他に久保田万太郎、大宅壮一の碑もあるらしいが、目には止まらなかった。

ここで金沢文庫の自宅に電話して昼飯の蕎麦屋を指定し、次の報国寺で落ち合うことにして瑞泉寺を後にした。


座禪窟

鎌倉の小道




鎌倉への道

2018-04-26 06:27:53 | 行ってきました

円海山の案内図

眺望は霞に遮られ鎌倉霊園方面は靄の中

切通しを越える

格好の散歩道

通過した切通しを振り返る

義兄夫婦はとても面倒見の良い人たちで、滞在中は毎日夫婦揃って歓待してくれた。お宅は金沢文庫にあるのだが、二日目は鎌倉へ歩いて行こうと誘われた。自宅から裏の山を越えると鎌倉霊園を見ながら、建長寺などの鎌倉へ出る。以前2度ほど歩いたことがある。

今回も家の上の公園から取っ掛かり、手入れのされた散歩道を登る。ジョギング、ウオーキング道路をたどり、途中から石段を登る。元気の良いおばちゃん集団とすれ違う。切れ目なくおしゃべりが続くようだ。石段が途切れ眺望が開けると円海山の峠。広大な鎌倉霊園は靄に霞む。

そこから、新緑の中の遊歩道を快適に進む。横浜市と鎌倉市の市境の石標のあたりに鎌倉六国峠「天園休憩所」の木の標識が立つ。カラマツの林がきれいである。林の中をしばらく歩き、尾根筋に出ると天園・瑞泉寺の分岐点に出る。貝吹地蔵の前を通り鎌倉へ下り始める。


新緑の中の遊歩道

天園休憩所標識

落葉松林の中の道

天園・瑞泉寺方面の分岐点

貝吹地蔵

瑞泉寺到着

義兄宅を出てから1時間足らずで鎌倉のお寺へ到達。新緑の林の中の散歩道は素晴らしい。都会でこんなに自然と密接した環境にあるのはとても贅沢のような気がする。

横浜港クルーズ

2018-04-25 02:53:42 | 行ってきました

マリーンシャトル号が近づいてくる

最上階の観覧デッキ

赤レンガ倉庫を楽しんだあとは、目の前の埠頭から出ている、港内クルーズに繰り出した。60分コースを選択したら、20分コースのシーバスより二回りくらい大きなマリーンシャトル号が近づいてきた。堂々たる客船である。最上階の観覧デッキまで直行し、ゆったり着席。ウイークデイでもあり席に十分余裕はあった。

波止場をでると、かなりスピードを上げて走る。20km/時だという。さすが横浜港だけあり、港内表示が完備しており、港内停泊船舶も多い。寸胴型の船は自動車運搬船、沖合に停泊しているのは検疫や通関手続きの一部を行っているとのこと。雑貨の積み下ろしを行っている船もある。さすが日本の中心的な港らしく、活気に満ちている。

漁船?釣り船?らしき船も一隻追い抜いた。遠くに見えていたベイブリッジもみるみる近くなり、その下を潜る。遠くに海ほたるも見えて、火力発電所や、植物園、体育施設など見るものが多い。赤灯台の脇を遠て再び港内へ。


いよいよ岸を離れる

ベイブリッジが見えてきた

ベイブリッジをくぐる

山下公園前で途中下船。新緑の公園は花がいっぱいに咲いていた。バラはこれからしいけど、とにかく手入れが行き届いているのか、色んな花が咲き乱れていた。近くで軽く昼ごはんを食べて、再び船上へ。引揚船氷川丸と白灯台(外国船が衝突して破損したのを修理移築して氷川丸の横に設置したのだそうだ)の横から発進。

再び赤レンガ倉庫前に戻り、MM方面にブラブラと歩く。水陸両用バスが試運転をしているのを横目で見ながら桜木町駅方面に向かって散歩。義兄は学生時代ここらあたり(確か野毛地区とか言っていたなあ)に出没していたらしく、懐かしそうであった。


山下公園の新緑

山下公園前埠頭の白灯台

MMを桜木町駅方面に歩く

MMの赤レンガ倉庫

2018-04-24 01:57:26 | 行ってきました

ランドマークタワーを中心とするみなとみらいベイエリア

赤レンガ倉庫2号館遠景

1号館を回ってみる

1号館

2号館のほうが少し長い

上京の折お世話になった義兄、義姉の宅でのんびり過ごしていたら、義兄が「今日は横浜へ出よう」とみなとみらい(MM)を案内してくれた。赤レンガ倉庫は噂には聞いていたが、じっさいには行ったことがない。

ここも観光地らしく沢山の人で賑わっていた。赤レンガ倉庫はみなと横浜のシンボルとして1911年に2号館、1913年に1号館が竣工し国の保税倉庫として、エレベーター、消化水栓などを備えた近代的な建物としてスタートした。

1920年の関東大震災で半壊するも耐震技術のおかげで倒壊を免れ、1号館は半分の大きさで改修されて生き延びた。1945年終戦、アメリカに接収され、アメリカ軍港湾司令部として使用される。第二次世界大戦で海外との貿易は途絶え、戦争における軍事物資の補給基地となった。終戦後はアメリカ軍に接収され港湾司令部として使用された。

こうした歴史を経て、横浜市が国から譲り受け、2002年に改修工事を完成させ、赤レンガ倉庫は文化・商業施設として甦った。中に入ってみると、当時の瓦・鉄骨などの部材や扉金具などが保存され、一方お土産売店やレストランが営業して賑わいを見せている。

終戦直後のアメリカからの援助物資などはここから荷揚げされ、我々の給食の脱脂粉乳などが届けられたのだという感慨にちょっぴり耽った。赤レンガの建物はあちこちに残るが、なにか文化の趣があり懐かしい思いを掻き立てる。

飲茶の名店

2018-04-23 06:12:10 | グルメ

日曜日とあってお祭りのような人出で賑わう

街頭の肉マン売り

聘珍樓の店頭

大看板

店内の飾り

上京の折の日曜日家族4人で、久しぶりというか初めてというべきか、4人揃って横浜中華街に昼飯を摂るべく繰り出した。天気もよく街は大勢の人で賑い、駐車場も満車状態があちこちで見られた。中華街はお祭りのような賑わいで、何故かこんな所に出店している「すしざんまい」の横を通り抜け、料理店が林立する街頭へと紛れ込む。どこの店も行列ができるほどで賑わい、店頭の肉マンがよく売れていた。

比較的落ち着いた佇まいで、行列もできていない大店、聘珍樓で飲茶という選択をするまでスムーズに決まり、スマホの案内で難なく到着。照明は落とし気味で落ち着いた店内の席に案内され7,8種類の料理を頼む。

出てきた料理はいずれも薄味で上品である。日本料理とは少し趣が違うが、出汁というか下味というかしっかり効いていて醤油や酢が全面に出てこず、美味しかった。仕上げに頼んだお粥と麺も後味が爽やかでこれも満足。
美味しくてうっかりカメラを向けるのを何種類か忘れてしまう程であった。

店員の接客態度もよく訓練されていて感じがよく、味も含めて日本社会をよく理解しているようにおもう。世界中に中華街があるのはこんな感性の経営者がいるからだろう。ここは名店と言っても間違いないのではなかろうか。


卓上の調味料はシンプルに3種

飲茶の数々


仕上げのお粥と麺

現代の錬金術

2018-04-22 15:34:41 | 


相場英雄「偽金 フェイクマネー」実業之日本社文庫 2008年刊

社会派ミステリー作家相場英雄が放つ、現代の錬金術電子通過の世界を舞台とするミステリー。都市銀行→消費者金融→起業という道をたどった主人公が、マネーロンダリングを電子マネーの世界で出来ることを見抜き、ゲームオタクと組んで短期決戦を目論む。

そこに将棋会所の女性席主、キャスターを目指すフリー女子アナ、現代ヤクザが絡み、巨額マネーを巡って疾風怒濤の展開となる。最近のビットコイン事件を彷彿とさせ、リアリテイを持ってはいるが、我々の預かり知らぬ、ネット上の電子マネーの世界のことだけにある種フィクションの世界と突き放して味わえる。

作者得意の警察小説の分野ではなく、銀行或いは金融小説の分野である。

このマネーロンダリングや、外国移転が現実に可能だとすると、現政権に信頼をおいていない中国富裕層はこぞって利用するだろう。現実に中国政府が電子マネーの統制にやっきとなるのも、こうした背景があるのだということがよく分かる。

現実の変化に材を取った面白い小説である。

下町の名残り

2018-04-21 00:42:57 | 雑感

駅構内にある横綱栃錦像


江戸川河川敷

江戸川区の小岩というところに来てみた。駅を降りると何やら力士の像がある。両国からもそう離れていないので、相撲人気にあやかっているのかと近づいてみると、名横綱のほまれ高い第44代横綱栃錦像だった。このあたりの出身だそうだ。TV普及の頃の栃若時代の熱狂を思い出す。

駅前は放射線状に道路が並び、タクシーが地下に潜って再び顔を出し順番待ちをするするという不思議な構造になっている。駅付近は適度な下町風だが10分もバスに乗ると江戸川の堤防に出る。住宅地が広がり上品な町並みになるところが面白い。河川敷には休日とあって少年野球やサッカーのゲームが繰り広げられ、堤防道路はジョギングの人がひっきりなしに通る。

小岩というところは高級住宅地とはいい難いが、かと言って純然たる下町ではない不思議なところである。