遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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もう一歩踏み込め

2019-10-30 03:32:22 | 


ケント・ギルバート「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」講談社文庫2017年刊

義兄が見繕ってくれた本で、手軽に読めそうな題名なので、手にとって読んでみて、ちょっと驚いた。
人口に膾炙している俗説をなぞらえ、日本人に迎合したような本である。学問的にどうこうというものではなく、中国人は儒教をもとに自己中心的な性格を強めている。韓国人は日本人を弟分として一段低く見ている。というのが論議の出発点である。

欧米人特有の分かりやすい論拠ではあるが説得力、根拠には乏しい。しかし主張は明確で紛れがないので、情感にはストレートに入ってくる。嫌韓・嫌中のムード醸成には有効だろうが、「だからどうしてこの困った友人たちとの状態を改善するのだ」という回答はない。ちょっと危険な感じがする本である。

日本人に「自信と誇りを持て」と言われても。根拠のないそれほど危ういものはないと思う。この本が発売以来15版も発行を続けているのが何やら不気味ではある。

池井戸ワールド

2019-10-28 02:39:30 | 

池井戸潤「7つの会議」集英社文庫2012年刊

お馴染み池井戸潤の企業内事件小説だ。「下町ロケット」「陸王」「ノーサイドゲーム」などで企業内外の人間模様を描き、その機微に触れ読者を飽きさせない力量は流石である。

本書はは少し趣向を凝らし、8篇の短編からなるが、それぞれは同じ企業内のエピソードを語り、底辺に流れるテーマと微妙に絡んでゆく。それだけではなく、初めの方にそれとなく出てくる登場人物が、実は全体を左右する重要なキーマンだと。最後の8篇目で解き明かされる。

銀行員やサラリーマンを描かせたら天下一品の著者がここでも力量を発揮して、読むものを引きつける。お得意の世界にグイグイと引っ張ってゆく。サラリーマンの野心、意気込み、悲哀などが多方面から描かれる。

エンターテイメントとして、また病院の備え付け文庫として最適な読み物のような気がする。

水の公園(3)

2019-10-26 09:28:10 | 登山・ハイキング

美しい水の公園が続く

せせらぎが流れる

振り返れば焼岳

川は流れる

整備されたみち

キラキラと太陽を反射させて水は流れる

河童橋からも梓川右岸を遡る。林の中の整備された木道を木漏れ日の中、快適に歩く。空は雲ひとつない快晴。川は太陽を反射しキラキラと煌く。紅葉にはまだ少し早かったが、それでも十分楽しめたハイキングであった。

明神橋を渡り(いつも味わう嘉門次小屋の岩魚の骨酒は今回自粛した)明神館前のテーブルで昼食をとり、ソフトクリームを味わう。これも見場は悪いがミルク味が濃くなかなかイケた。ここからは左岸の林の中の土道をのんびり下る。小梨平にはいつもの絵描きおじさんのテントも健在だった。

退院後大正池から約10kmの歩行は初めてであったが、大した支障もなく歩き通せたことも嬉しかった。水の公園上高地はいつ来ても、何度来てもいいところだ。



この木道のすぐ先に明神池がある

明神橋が見えた

橋に到着

橋から河原を見る

橋を渡る

徳沢への標識

明神岳の偉容


左岸にもきれいな水が流れる

小梨平に到着


水の公園(2)

2019-10-24 04:02:12 | 登山・ハイキング

至るところに水が流れる

梓川沿いの道

随所に顔を覗かせる穂高連峰

梓川も瀬音を響かせ流れる

右岸の道

河童橋到着

橋の袂、右岸のベンチ

橋から覗く稜線

今年はまだ冠雪が来てない

それにしてもよく晴れ、雲ひとつ浮かんでいない。右岸をずーっと遡り、シンボル河童橋に到着。以前よりまた一段と外国人、特に中国人が多いように感じる。

河童橋付近では、河原でも、道端でもポーズを決めて記念撮影に余念がない。ちょっと傍若無人である。ヨーロッパ系と思しき外国人もいるが、彼らはどこか思索的で物静かである。

中国人が道端で撮影をしていたので、横切るのを控えていたら「謝謝」と声をかけられた。少しずつ彼らも進歩しているのだろう。日本人も農協旅行で名を馳せた時代はこんな具合だったのだろう。

河童橋から少しの間、水の脇を歩く。相変わらず右岸の道だがここは遊歩道として整備してあり、イワナが戯れる水辺は快適である。のんびり明神池に向かって歩を進めた。



林の中の道

ここにも水が奔る

よく整備された木道

まさに水の公園だ

木のオブジェ


水の公園

2019-10-22 02:58:17 | 登山・ハイキング

焼岳がお出迎え

立ち枯れの木も多少残っている

大正池・焼岳ををバックに

大正池に映る穂高連峰

林の中の快適な道

少し前だが、体育の日を挟む3連休のこと。大型台風来襲の前二日間が快晴だと知って、急遽日帰りで上高地に行くことにした。

早起きのせいか、ウイークデイのせいか、沢渡の駐車場は比較的空いていた。が、大正池で降りてみるといっぱいの人。流石に人気観光地である。それでも澄み渡った空気の中大正池と焼岳がお出迎えをしてくれる。

学生時代にあんなにたくさんあった池の中の枯れ木はもう殆ど無く焼岳側の岸近くに数本を残すだけとなった。焼岳は噴煙も見えず静かな佇まいを見せている。

上高地は何度目になるだろうか。何度来ても懐深く抱かれるような安心感のある場所だ。地球のことを水の惑星と誰かが言っていたが、上高地は山と森の公園でもあるが一方水の公園でもある。
以前は山登りの通過点として利用していたが、近年は上高地自体を楽しむようになってきた。それくらい味わい深いところでもある。

ここには池、せせらぎ、川、池塘が豊富に点在しきれいな水が豊富に流れる。


河原の道を少しだけ歩く

西穂高岳・天狗岩

田代池に出た

済んだ水流れる田代池

西穂から奥穂高への稜線

夢の跡

2019-10-20 01:45:36 | 雑感


ロータリー時代の友人が上京の際、あなたの家のあとはこんなになっていますよ、と写真を見せてくれた。

そこには、数寄屋風の我が家と全く正反対の近代的な住宅が建っていた。45年間過ごした住居にはもちろん愛着もあったが、こうなると一層さっぱりとして後腐れがない。

一瞬、45年間の数々の思い出がよぎったが、まあその時々に全力は尽くしていた、ここで色々将来の夢をみていたなあ、と自分を慰めておこう。

こうして時代は刻一刻と進んでいくのだと実感した次第。

おおらかなアメリカ

2019-10-18 03:59:03 | 


原宏一「ダイナマイトツアーズ」祥伝社文庫 H20年刊

たしかこの作家の作品だと思うが、築地の魚河岸を舞台に情報屋が主人公の「やっさん」という著作があったような気がする。この作家の一つの特徴として、ありえない仕事を職業として成り立たせる構成力がある。

この小説もその類で、ぐうたらな生活を送っていた若者二人が、義父の死をきっかけに自立を迫られ、アメリカに逃げて、ビル爆破作業に従事するというのがメイン。最後の日本に舞い戻ってきて、昔いた商店街の爆破を手掛ける云々は、取ってつけたようなもので、それほど説得力はない。

アメリカでの修行生活は、拾ってくれた黒人や大雑把な生活など如何にもありそうである。おおらかなアメリカの国民性が出ているようだ。エンターテイメントとしては、前半から中盤にかけてが面白く、わくわくさせる。

それにしても、作家というのは因果なもので、この作品を書くのにはかなり爆薬や、爆破自体の研究をしたのだろう。お疲れさまです。




魁夷の描いた池

2019-10-16 10:58:31 | 雑感

静かな湖畔

東山魁夷の「緑響く」であまりにも有名な御射鹿池に久しぶりに足を伸ばした。昨年湖畔にバスと自家用車専用の駐車場を整備した。

そのせいもあり、結構人はたくさん立ち寄る。緑の濃さ、水の美しさ、空気の静けさ、など確かに雰囲気を兼ね備えてはいる。駐車場の整備以来、湖畔に降りら得なくなり、画伯のごとく写生する人もいなくなった。

車のCMにも出てきそうな雰囲気だが、きれいな景色と、それを保っておきたいと思う衝動とが微妙なバランスを作っている。大切にしたい池ではある。

秋本番

2019-10-14 00:59:13 | 雑感





いよいよ秋本番を迎える。24節気は寒露、72侯は「菊花開く」この辺りで迎える秋空を菊晴れとも言うそうだ。栗も本番を迎える。

余談だが尖石博物館の学芸員の話では、縄文時代の住民は、住居の移転に際してはどんぐりや、栗の木の移設を先んじて行っていたという。栗はそれほど貴重な植物だったらしい。花粉の考古学から判明してきたことだが、コレが弥生時代に先んじた、食物栽培に繋がらないか研究の余地があるとも言っていた。

そんな栗も小さなイガを見せ、実りの秋を知らせる。蔦葛は他の樹木に先駆け紅葉し始める。こうなると駆け足で秋はやってくる。そろそろストーブの準備がいる頃d

孝行SOS

2019-10-12 06:03:22 | 雑感



体調が本調子でないので、身の回りの作業を遂行するのに不便である。草刈り、下枝払、薪運びなどなんでもないことがどうも疲れやすくて手が出せない。
、唯ここから対応が分かれる。長男はすぐ着替えて作業にかかる。次男は昨日寝てないからと、布団を引いて睡る準備を取る。

駆けつけて来てからの行動にはちょっとだけ差がある。だが駆けつけてくれただけでも本当かいなと思う。
何という孝行息子達だ。本当かいなとなかなか信じられない。しかし現実に山までやってきた。

こんなふうな孝行息子目指して育てた記憶は一切ない。きっと家内のしつけが良かったのだろう。感謝しきりである。それにしてもいい息子達だ。今夜は皆で一杯やろう。