遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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天然水

2016-08-31 13:23:49 | 雑感
    水汲み場
    蛇口は流しっぱなしだ
    奥に駐車スペースがある

前回少し触れたが、散歩道のほぼ最高点に水汲み場がある。二つに蛇口から冷たい水が流れている。以前は沢の脇の木の枝ににゴムホースがかけてあるだけだったが、結構大勢の人が水を汲みに来ていたらしく、こういった設備を整えたのだろう。

ここの水は冷たくおいしい。湧き水を引いたものだが、かなりの低温である。この辺りは湿度が低く過ごしやすいのだが水は豊富である。水道もほとんど消毒なしで飲めるし、味もいい。おかげでお茶や珈琲がひときわおいしく感じる。

天然のミネラルウォーターと言っていいよ思う。天然に対して人工水、人造水というのがあるかどうか知らないが、ここの水はとにかく美味しい。ここで水を汲みに来た人から「この水は2週間以上腐らない」と聞いたことがある。私の山小屋に遊びに来た人にも汲んで帰ることをお薦めしている。

冬もこの水は止まること無く流れ続けている。それでも前にも触れたように、洗車禁止だの、大量の採取禁止だのの貼り紙があるのが少し気になるが、この水の美味しさには変わりがない。

ヤンマ

2016-08-29 13:52:50 | 雑感
画面中央の岩に頭だけ見せている(シオカラトンボ?)
    水面に遊ぶアメンボウ
 水面スレスレに止まっているヤンマ(左下)
    アキアカネ

山小屋のデッキの上によくヤンマが飛来する。大型のトンボであるが、刈谷では希少であった。

子供の頃夏休みに近所の田んぼや神社に蝶やセミ取りにゆくと、ときおりヤンマがやってくる。数が少ないのと、飛行スピードが早く、少し高いところを飛んでいたので、めったに網に入らず殆ど捕まえることが出来なかった。ある意味憧れのトンボの親玉的存在だった。

それがすぐ前に池があるせいかよく飛来する。交尾期だろうか、2,3匹つるんで飛んでいる。翅を光らせ、一瞬停止するがすぐに身体を翻して飛び去る。なかなか止まらない。

池の脇まで降りて撮影にチャレンジしてみた。アキアカネやシオカラトンボに混じり、水辺近くに飛来している。20分位粘ってようやく撮影出来た。

ウイキペディア=「ヤンマ」ヤンマはヤンマ科である。
飛翔は回遊性でかなりの速度である。飛翔力が強く、力強くまっすぐに飛ぶ姿は爽快である。他方、海を越えるような広域移動をする力はトンボ科のものほどではないようで、大抵はそれほど広い分布域を持たない。

   やっととらえた ヤンマ2題

木下闇

2016-08-27 00:01:18 | 雑感
   木下は確かに昏い
   水汲み場

俳句の季語に「木下闇」というのがある。闇というのはちと大げさかと思うが、夏の明るい陽と緑陰のコントラストを考えるとむべなるかなである。

晴れ間を選んで散歩に出てみると、道脇の緑は今が最も濃い時節を迎えている。目も眩むような強い日差しが降り注ぐ中、道脇の谷間は正に木下闇だ。視力、明暗の調整能力が衰えてきているせいか、樹間はまさに昏い。

散歩の最高点に、水汲み場が設けてある。10年前はただゴムホースが樹の枝にかけてあっただけの水汲み場だったが、やがて蛇口が二つ設置された。ここの水は冷たく美味しい。天然のミネラルウオーターだ。

ただ、貼り紙がしてあって洗車は禁止だの、一度にペットボトル10本以上の採取は遠慮してほしいなどの通知がある。二つの蛇口からは絶えず流しっぱなしにしているのに、なぜだろう?ちょっとセコいような気がする。

水汲み場で喉を潤し、真夏の強い日差しの中道を下った。

「木下闇 時速一キロ 帰途はるか」
あまりうまくはないが常念岳からの下山道、疲れて麓の森を歩いた時の句である。

   夏の陽が樹々に降り注ぐ
   木の下は昏いだけでなく涼しい

季節の名残り

2016-08-26 09:27:10 | 雑感
   朝の阿弥陀岳シルエット
   車に止まる蝶
   雲はまだ夏の様相

相次いで来襲する台風の影響で、スカッと晴れる日が殆ど無い、夏には珍しい天候が続く。朝晩は涼しく、ここらは標高が高いので、22度前後の快適な気温である。季節は確実に進み、秋の気配が忍び寄ってきているのだが、日常はまだまだ夏の季節だ。

雲を見るとそれがよく分かる。足下には依然として蝶が舞う。車や、初夏の花アザミにさえ蝶が訪れている。入道雲が湧き、鳶が悠々と青空に遊ぶ。上昇気流が強いようだ。

気圧配置が分安定なのか、昨日は珍しく晴れ間が広がったが丸一日天候が安定することがなく、午後には八ヶ岳の主峰付近には雲が掛かって来た。権現岳まで雲がかかり、かろうじて編笠岳の山頂が見えているくらいだ。

暫くは夏の季節を楽しもう。

   アザミに止まる蝶
   悠々と空に舞う鳶
   雲湧く夏空
   雲迫る編笠山

秋の気配2

2016-08-24 03:06:04 | 雑感
   コスモスの群生
   ゴールデン・アカシア
   紫の花
   花に遊ぶ蝶

台風の影響もあって、このところ雨が多い。リオ五輪も日本勢の大活躍で終わったと思っていたら、日本では真夏の風物詩、高校野球も決勝が行われ、久しぶりに作新学院が優勝していた。

雨の合間を縫って今日も散歩に出た。一昨日とは別のコースである。こちらのコースではコスモスが乱舞している。秋桜と書くくらいで秋の花だが、空気が澄んでいるせいか色鮮やかに咲いている。

名前の知らない紫の大きな花が沢山咲いていた。やはり蝶が止まっている。秋の気配濃厚だが中にはまだ夏の勢いを保っている樹々もある。黄金(ゴールデン)アカシアは鮮やかな緑を保ち、輝いている。この木は本当に生命力を感じさせる木だ。

2016-08-23 00:57:00 | 雑感
  左下の花に止まっている

この辺りは蝶々が多い。というより虫がたくさん生きている、と言ったところだろうか。まだたくさん花が咲いている(アザミさえ残っている)ので、蝶もよく翔んでいる。さすがに元気はないけれど、モンシロチョウ、モンキチョウも時々見かける。

色々な蝶にみとれていたら、そばを大きなトンボが横切った。ヤンマだ。スイスイと周りを飛ぶが止まらないのでカメラに収めにくい。刈谷では珍しかったので子供の頃夢中で追いかけたのを思い出す。季節から言えばアキアカネなのだが、条件反射かついヤンマに目を奪われる。

秋と夏が入り交じる季節だ。空が徐々に高くなってきた。

秋の気配

2016-08-22 08:31:52 | 雑感
すすきの穂が出始める
   マツムシソウも咲いている

オリンピックの喧騒が終わって、常念岳下山時のダメージもようやく癒えたので、久しぶりに散歩に出た。

周りにはいつの間にか秋の気配が漂っていた。24節気は立秋。旧暦7月7日はこのあたり。中国では乞巧節(きっこうせつ)といい、機織り上手だった織姫にあやかって針仕事が上達しますようにと祈ったのだそうな。現在では身の回りで針仕事を見なくなって久しい。

まだ暑い日が続くが道端にはススキが穂を出してそよいでいた。秋の花であるマツムシソウも沢山咲いていた。季節は確実に進んでいる。

まともな感覚

2016-08-16 00:45:56 | 


垣谷美雨「70歳死亡法案、可決」幻冬舎文庫 2012年刊
「世の中の役に立たない老人は70になったらとっとと死ね」というような荒唐無稽な小説ではない。それでは先日の相模原障害施設の犯人と同じ発想である。
しかし、高齢化社会の進行は確実にいろいろな歪を生む。しかも現実の政権下では若者の正社員就業難や、ブラック企業の存在、介護職の過酷な現場の問題は山積している。

この小説はそれに加えて専業主婦の問題にまで踏み込む。というか其処が主たる舞台だ。主婦業という逃げ場があると皆ダストシュートのように周りがそこに全てを投げ込む。肉体的なことよりその孤独感からくる精神的なプレッシャーがきつそうだ。
それらをバランスよく、的確に取り上げ、問題点をうまく描く。この辺りの著者の感覚はかなり常識的だ。

考えてみれば、日本中の企業にある定年制で、サラリーマンはどれだけ救われていることか。70歳死亡法案は言ってみれば人生の定年制みたいなものだ。しかし現実に設定してみるといろいろな問題点が浮かび上がってくる。
その最大点は余生の20年限定化である。それをどう過ごすか。目に見える期限が示されたことで人生について深く考える機会が与えられる。

物語の結末はちょっと安易のように見えるが、作者の言いたい結論は、「他人にむやみに依存するな。己でやれることは極力自分でやろう。どうしてもできないことは他人に頼ろう」というシンプルなものだ。今の誰かに尻拭いさせようという制度は確かにおかしい。
言われてみればその通りだ。

この小説はあらゆる意味でまともである。奇をてらったものではない。避けることの出来ない社会構造に正面から取り組んだとも言える。自分自身の生涯を考えるきっかけともなる。

孫帰る

2016-08-15 00:36:42 | グルメ


盆休みの終りとともに遊びに来ていた孫が帰った。一挙に静かになった家の中を静かに風が流れる。両親も爺婆も孫を中心に動いていたことを思い知らされる。

よく、孫は「来てよし、帰って良し」と言われるが、この子に限っては「来てよし、帰って淋し」といえる。大人が構い過ぎることがあってもあまり凭れてくることがないのがそこらあたりの原因だろうか。

今朝はデッキに出ての朝食だった。食事を楽しく進めるのは良いが、話すのに夢中で箸が遅い。なかなか食事が終わらない。親から爺婆から集中的に「早く食べなさい」の掛け声が飛ぶ。一人テーブルに残って皿の上を片付けるのに奮闘する。3ヶ月前よりは改善はしているがこれだけあれこれ言われるのを見るとつい可哀想になる。しかし習慣がつくまでのこちらの辛抱だ。親もなかなか辛抱強い。根気よく指導している。私たちの時代にはこんなに根気よくしつけはしなかったように思う。

愛情の別表現だと思うが、これだけ手をかけられればきっと良い子供に育つだろう。それにしても彼等が帰った後の家の中は薄暗くガランとしている。

光ケーブル

2016-08-14 00:54:35 | 雑感


先日,NTT系列の会社から工事の連絡があり、今週初めに光ケーブルに変えるということであった。工事は順調に進み数時間で終わった。ところがである。家の中(ネットワーク=パソコンとTV)の工事は別だということで、急遽今度は次男に接続を頼んだ。

彼も気分良く来てくれ、接続に奮闘してくれた。パソコンのスピードが早くなるのと、ひかりTVは50チャンネル接続可能だということである。折しもオリンピック競技の中継ラッシュなのでこのタイミングを逃す訳にはいかない。おかげでパソコンのスピードは早くなり、ストレスが減少した。

だがせっかく散歩の習慣が付いてきたのに、またテレビっ子(TVじじい?)に逆戻りになる危惧は避けられない。どうしたもんだろねえ~。