遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
更新は猫以下の頻度です。

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愛知牧場

2009-05-26 09:31:08 | 行ってきました



参加家族
受付
プログラム説明

社員行事の親睦会に出かけた。土曜日のことである。

快晴、風は少しあるが、気温が高いので気持ちが良い。

目的地は愛知牧場。ここでBBQ、乳搾り、バター作りをやるのだと言う。


牧場遠景
案内板

名鉄電車に乗って1時間30分。目的地に到着。大勢の家族連れで賑わっていた。
幹事役の人の蛍光色のジャンバーがなにくれとなくお世話をしてくれる。



受付、班分け、行事予定、現地案内などキビキビと気持ちが良い。「近頃の若者を
みなおす」自律的行動力だ。

バター作りインストラクター正ちゃん
バターの素
ひたすら振った

まずはバター作り。生乳とクリーム入りのコップをひたすら振る。案外簡単に完
成。プレーンクラッカーにつけて食べてみたら「うまい!」自分が作ったからで
はなく、マジにおいしい。

手作り看板
ホルスタイン
指導員
搾ってみると意外に難しい

次は乳しぼり。黒いぶちの少ないホルスタインが乳房を一杯にさせてスタンバ
イしている。スタッフに簡単に絞り方を習いいよいよ地際にしぼる。お手本のよ
うにはスムーズに行かない。何でも見るのとやるのは大違い。乳首が7~10c
mほどあり、そこを搾るだけで、水鉄砲のように牛乳が出てくる。下手な人間に
搾られて、牛はいい迷惑だろうな。

気温も高く、ちょっとした作業も行ったので、BBQのときのビールのおいしかっ
たこと。野外での宴だったので余計であった。オーストラリア出身のキャサリン
と話が弾んだ。

童心に返り、動物とふれあい、癒された一日でした。
これらを企画、運営した社員親睦会の幹事の皆さんのお陰です。準備も心遣いも大変だったろうなあ。

もう一つの現実

2009-05-25 10:31:58 | 
 知人から勧められた、岩波新書ルポ「貧困大国アメリカ」堤 未果著 をよんだ。

私たちがそこはかとなく抱く、自由の国アメリカ、アメリカン・ドリームに象徴される、活気あふれる市民生活、などとは対極にある、貧困層の発生と増大がこの国で進行している様が描かれている。

 サブプライムローンの発生と意図、ハリケーン・カトリーナの被害発生と対処、膨大な医療費、学費ローン、などから、中間層が次々と貧困層へ転落してゆく実態。しかもその層を貧困解決法として、軍隊リクルーターが狙い撃ちをして待ち受ける。社会システムとしては、さらに医療も、軍隊までも民営化され、利益第一の哲学の下に運営されてゆく。患者の健康よりも収益、戦争の大義より収益が優先されている実態が報告されている。

 派遣切りでたちまち難民化する日本でも、既にその兆候は始まっているが、民営化で追求される、「効率化」は果たして医療などにそぐうものか。資本主義、自由主義は、制限されるべき限界が出てきているのではないか、などと、いろいろ考えさせられるルポである。この本は日本エッセイイスト・クラブ賞を受賞している。視点を変えてくれる書である。

国宝 世界遺産

2009-05-19 10:34:52 | 行ってきました

尾道からの帰途、姫路に途中下車した。
世界遺産で国宝の姫路城を見るためである。

駅からもそびえている天守閣が見え、歩いて10分くらいの距離だ。




さすがに堂々としている。中は木造であるが、概観、城の構造は、ナポリの卵城や、
チェコのプラハ城を思い出させた。

戦いの現場はどこも同じなのだろう。
名古屋城よりスケールは大きい。勿論保存状態は格段に良い。

内部は太い柱や、梁、磨き上げられた床板が残っており、槍や鉄砲掛けも保存されている。
畳に昆布を編みこみ、戦い専用のトイレを三口作っておくなど、戦いの準備に怠りなかった
頃が偲ばれる造りである。

建築上も、軍事上も貴重な遺産であろう。内部は急な階段の連続であったが、国宝を堪能できた。

たまがんぞう

2009-05-18 10:25:20 | 行ってきました

尾道で入った居酒屋。

海岸通の小さなフェリー乗り場の前にある居酒屋。
一階に水槽や野菜が置いてある。前を通ったら、掃除をしていた男の店員が「上
でやっている居酒屋です。5時から開きますのでよろしく」と声がかかった。7
時くらいに行くと、「申し訳ありません。今一杯なので、携帯の番号を教えてく
ださい。空いたらおしらせします。そのとき他のお店に入っておられて、来られ
なくてもかまいません」と誠実そうにおっしゃる。時間つぶしに海岸通りを散歩
したらよさそうな店構えのお店が沢山ある。居酒屋激戦区なのか?このあたりは
「オコゼのから揚げ」が名物のようだ。30分位して連絡あり入店。



たまがんぞうは地魚の地方名(でべらという岩メバルの仲間らしい)。この干物
もおいしかったが、このお店は、刺身も尾道野菜のサラダも、絶品といってよい
くらいのうまさだった。

尾道野菜のサラダ
おばんざい(食べかけ)


そのほかにオコゼのから揚げ、カワハギの肝和え、おばんざい盛り合わせ、太に
んにくの芽の天麩羅、たけのこご飯竹皮蒸し、など8品、ビール、焼酎500ml
壜で何と・・・・・円。
なぜか、店長は念のため2度ほど計算したそうである。

髭の川野店長も、他の店員も親切で程が良く、感じも良い。地元の人と、観光客
とが半々くらいのお客である。

隣に座った若い二人連れが、何と山形からのお客だった。息子がお世話になった
山形なので、つい話が弾んだ。そんな気軽な雰囲気のお店である。

帰り際、店長はさりげなく下まで見送りにきてくれた。錦のおねーちゃん方のよ
うなわざとらしさはない。

もし、尾道を訪ねることがあったら、是非立ち寄る価値のあるお店である。
味も、サービスも、価格も、店構えも。お勧めする。近かったらちょくちょく行きたい店である。

尾道で感じたのは、町の人それぞれが、一言づつ声をかけてくれるのが、柔らかくて嬉しい。商売抜きの親切心を感じる。一村一品運動、一店一品運動の前に、このような、一客一声運動をしたら、訪れた人はづっとその町が好きになるのではなか

すっかり満足してホテルに戻った。


尾道ラーメン

2009-05-15 11:31:16 | 行ってきました


尾道きってのラーメン屋である(とガイドブックに書いてある)。商店街のはずれにある。
2時過ぎに着いたがまだ行列が出来ていた。

「朱」さんの店といわれる。杖を突いたこの店のおばあちゃんと思われる人が出てきて、帰り際、並んでいるお客の3歳くらいの子供に話しかけていた。つれてきた若い夫婦の知り合いなのだろうか。何かほのぼのとする。


 20分ほど並んで店内へ。テーブル5つ、カウンター6席の小さな店。メニューもラーメン、チャーシューメン、餃子、ワンタン、などだけでシンプル。だから回転率が良い。入ってすぐ注文をしてお金を払い、セルロイドの食券を受け取りカウンターで待つ。



 ほどなく味の濃そうなスープのラーメンが来た。煮干と鶏がらのスープ、しょうゆ味のこってりでもなく、あっさりでもない適度なラーメン。チャーシューはあっさり目。麺は中細。美味しいがごく普通だ。

「尾道ラーメン」と街中にあるラーメンの特徴は何なんだろうか?

癒しの町

2009-05-13 09:35:34 | 行ってきました
尾道駅周辺


尾道水道、海の見える坂道、文学、などという語感に誘われ、目的もなく、尾道に来た。

予想通りというか、予想以上に尾道は小さな、やさしい町だった。
水道は水清く、陽に煌き、山にはお寺が散在している。
尾道水道
石畳の坂道
千林時ロープウエイ


町の人は皆親切で暖かい。
居酒屋の男子店員、ラーメン屋のおばーちゃん、旧商工会議所の説明員、お寺で参拝の人、喫茶店の店員、尾道駅のみどりの窓口の係員、海産物みやげ物屋の販売員、皆商売や、役割を超えた、親切な言葉をかけてくれる。


商店街の入り口で、林芙美子の像に会った。鹿児島で会ったものと同じ作者みたいだ。



「海が見えた。
 海が見える。
 五年ぶりに見る尾道の海は
 なつかしい。」
この地は、志賀直哉、中村憲吉などの文人がが住んだところである。

日本の、心のふるさとにしても良い街だと思う。
(チャイダーというお茶と抹茶とサイダーを合わせた奇妙な飲み物:広島カープ応援飲み物だそうだ。
は、いただけなかったが)

グーテンベルグ

2009-05-12 10:21:43 | 雑感
現代の最新鋭ドイツ製印刷機


前の記事についての反響があったので、もう少しグーテンベルグの発明のついて補足します。

 彼は都市貴族階級(商人ギルド)のの生まれである。当時のドイツは生産に従事するツンフト(同職ギルド)階級と都市貴族層との主導権争いが絶えなかった。しかし彼らは通商を行い、かなり裕福であった。

 また、彼は彫金職人の技術を学び、手鏡の製造や、貨幣の鋳造技術を身につけていた。これらは金属活字の鋳造技術に生かされたものと思われる。

 彼の発明は大きく分けて①可変金属活字の鋳造、②圧搾型(ぶどう搾り機の応用)の印刷機の使用、③金属活字になじみやすいインクの調合、④これらを統合して印刷物を作り上げるマネジメント能力だといわれる。

 当時は宗教改革の機運が満ちており、「聖書に帰ろう」と言う動きがあったが、手書き、羊皮紙の聖書は高価なもので、庶民には手が出なかった。(嫁入りの持参金の代わりに書物を持たせた例があるくらいである。)この時代の宗教権力の強大さは、とても日本の比ではなく、精神的にも、世俗的にも日常生活に支配を及ぼしていた。免罪符などの発行で巨額の富を蓄積していた。ヨーロッパの教会のきらびやかな、たたずまいを見ればその一端は感ぜられるでしょう。

 この印刷術は、原料(紙、金属、インクの原料)、印刷機、多数の職人、などを抱えねば成り立たず、グーテンベルグが作った借金は町並みを二つ作れるほどの巨額なものだったと言う。

そう考えれば、現代の印刷術はスピードだけでなく、品質的にも、コスト的にも飛躍的な進歩をしていると思われる。

1000年間でもっとも人類の進歩に強い影響を与えた発明

2009-05-07 10:59:23 | 雑感
img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/14/4537cc63a78ca91faf1f1152b3677cec.jpg">
 少し前になるが、1997年産経新聞10月2日夕刊に掲載された記事に次のようなものがあったという。

 米国ライフ誌が紀元2000年の到来を控えて、過去1000年間における重要な出来事と人物の百選ランキングを発表した。
「最も重要な出来事に選ばれたのは、ドイツ人、グーテンベルグによる1455年の聖書の印刷。同誌によると、活版印刷技術そのものの起源は中国、韓国が早いが、宗教改革を刺激した他、聖書の普及で特定階級のものだった読み書き能力が大衆レベルに広がり人類の情報革命の先駆になったとしている。また二位にはコロンブスの米大陸発見が挙げられている。」

 これを読んで、活版印刷術の発明と普及が後世に与えた影響は、それほどまでに大きかったのか、といまさらながら感じいる人も多いのではないでしょうか。


 1455年、グーテンベルグが行った金属活版印刷は俗に言う「42行聖書」であるが、私もそのレプリカを2000年に渡欧した際、ドイツのマインツにあるグーテンベルグ博物館で求めてきたものだ。

 この原本の一つはなんと日本の慶應義塾大学にある。1980年10月アメリカで競売にかけられていたのを、丸善が7億数千万円で落札し,1996年に慶応大学が購入した。

 実は慶応大学の創始者福沢諭吉は文久二年(1862)遣欧使節団の一員として、サンクト・ペテルブルグの帝室図書館を訪れ、この聖書をみて、活版印刷を認識している。訪問者として福沢のの署名が残っている。
「学問のすすめ」を現した福沢諭吉であるから、当然この印刷についても関心があったに違いない。

 諭吉がぺテルブルグに滞在したおりに残した走り書きには、「1440独逸にて出板/ラテン語の書批を/欧州第一の板本/なりと」とある。(原文のまま。板は版をさすと思われる)

「学問のすすめ」は当時22万冊(日本の人口3500万人)の大ベストセラーであったが、当然金属活版活字で印刷されたと思われる。世界の進歩に寄与したグーテンベルグの作品が、翻って日本の進歩にも寄与したかと思うと、何か因縁を感じる


 グーテンベルグの発明は、活版活字による組版、紙への印刷(プレス)などである。
手書きで書写するか、この後も平行して行われた木版刷りに比べれば、この方式は複写能力、耐久性などが格段に優れていた。

 活版印刷術が普及した原因は、一つには製紙法の普及により、紙が出回った事であるが、社会的には宗教改革による教会の文書合戦という事情も大きい。

 可動式の金属活字を使った印刷術はこの背景の中、瞬く間にヨーロッパ全土に広がった。この工程は、活字を組む文選工、インクを付けるインク工、印刷を行う印刷工の3人が分担した。
二色刷りの場合はこの倍の6人で行う。1000ページにもわたる42行聖書は当然複数ページを同時平行して印刷したのだろうから、6の倍数の膨大な人手が要ったのだろう。着手から販売までの時間的な経過を考えると、グーテンベルグがフストへの借金返済を滞らせたのは、充分うなづける。

 印刷による正確な伝達は、宗教界に聖書とその教義を巡って、軋轢を生み、カトリックは「禁書目録」を発行して統制を図ったが、逆にプロテスタントは、そこに挙げられた図書を読み漁るようになり、「禁書目録」は意図とは逆に、聖書の販売促進の役割を担ってしまった。

「第二グーテンベルグ革命」といわれる現在のデジタル化、インターネットの普及は何をもたらすのであろうか?我われはじっくり考えてみる必要がある。     

 グーテンベルグは借金のかたに印刷機や活字などを差し押さえられた。
ヨハンネス・フストはグーテンベルグに800グルデンを利息6%で貸し、さらにもう800グルデンを貸し、貸し金総額は複利計算で2020グルデンになった(と訴訟記録にある)。この金額は年金額が12グルデン、本は結婚する娘の持参金代わりにもなった、当時からすると膨大なものである。街の家並み(家ではなく「通り」)がふたつ出来る程であったという。
それほど価値のあった発明というべきだろう。
 
 完成度ーグーテンベルグの42行聖書は美しい活字で刷られている。一つの単語内の垂直な縦線は等距離で細めの横線がつなぎ、下線が揃っている。
レイアウトも、のど、天、小口、地の時計回りに余白が取られ、表裏の行もずれていない。現存する42行聖書は希少・歴史性だけでなく、美しいゆえに尊いのである。(レプリカ参照)

 発明ー美しい書体のデザイン、組版、省略記号付き活字、鉄製の活字父型、銅の母型、鉛活字、顔料によるインキ、見当合わせ装置付き印刷機、4ページ表裏の印刷、などなど、つい30年ほどまでやられていた活版印刷の原型は、殆ど彼の発明の中に含まれている。




 誕生日ー印刷業界では6月24日をヨハンネス・グーテンベルグの誕生日として祝っている。当時の教会の慣わしで、その日に祝う聖者の名:ヨハンネス祭が6/24である事からの類推である。歴史的には実証されていない。
また、彼には髭はなかったらしい。研究者によると、あの時代都市貴族は長い髭をたくわえなかった。長い髭は巡礼、或いはユダヤ人の象徴だった。後世の画家や彫刻家が、預言者的狂信性、意思的な行動力を表現するために付けたのだろうと思われる。

以上連休の暇つぶしにでもなれば嬉しい。