遅いことは猫でもやる

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すごい人がいる

2007-02-22 08:15:40 | 雑感


名古屋ターミナルホテルと言うホテルをご存知かだろうか。

昭和49年、当時の国鉄とJTBが立ち上げ、
名古屋の五摂家と言われる財界と名古屋観光ホテルの指導で
万全のスタートをしたホテルだ。

ところが平成11年に名古屋駅ビルが改装され、
ツインタワービルにマリオットホテルが入り営業開始すると共に
たちまち倒産の危機に見舞われる。

設備、規模、新しさどれをとっても太刀打ちできない。
経営陣は幕引き役にこの人を送り込んだ。



国労の専従から、総務部長、現在専務取締役総支配人になった
柴田秋雄氏がその原動力となった人である。

幕引き役と思われた彼の元で、2005年の愛知万博の年には
稼働率95%近くの営業成績を上げる優秀ホテルへと変身。
おそらく名古屋のホテルの中で社員の賞与は最高レベルだと思う。


隣接する名古屋高島屋の今年のバレンタイン祭りに出店したところ、
世界から集めた名店86店の中で、堂々7位の成績。
14日間で500万以上の売り上げを上げた。
毎日の売り上げ速報が、その日の11時過ぎに携帯に入って来る。
「報告をしろ」と言っているわけではないのだが、
嬉しくて上司と喜びを分かち合いたくて、
一日の最後に報告が来るのだそうだ。

その秘密は、徹底したES(社員満足)追求の姿勢。
「世界一幸福な社員と家族を作る」と経営方針に明記してある。
そして具体的に一つ一つ実行している。

・経理の公開
・誕生日会の実施
・全社員ミーテイング
・お客様から褒められた人への表彰
・アルバイト・パートを含めた社員・家族感謝の夕べ

などなど。

ロビーには社員の実家にあったお雛様がかざられ、
また西尾の能画の大家磯部氏の絵が5点飾られている。
無料出展だそうだ。





働いている人に聞いたら、

「仕事に来るのが楽しくてしょうがない。
 3日休むと職場の雰囲気が変わってしまわないかと心配だ」

とのこと。

どん底から、ここまで質を高めてきたのは、
社員が第一であると言う揺るぎの無い確信である。

株主も大事である。お客様も大事である。
何よりも社員を大事にする(しかも現場を)姿勢が
急速に立て直した核心である。


癒しの国へナマステ(1月1日)ナガルコット~バクタブル

2007-02-20 09:50:24 | ネパール紀行
元旦の朝。
部屋の前の屋上に続く鉄の階段を登る音に目が覚める。

6:30分頃我々も屋上へ。

ダウンを着ていても寒い。
うっすらとヒマラヤ山脈が見える!ピンク色に浮かぶ山々の峰。
あそこがエベレストとちっちゃなピークを教えられるが、
それより雄大な連峰に目を奪われる。




運転手のプレンさんが、こちらがランタンヒマール、
あちらがガネッシュヒマール、
うっすらと見えるのがマナスルだと教えてくれた。
我々よりはるかに目が良い。

靄の中から上がる2007年の初日の出をここで拝む。
日が上がる頃には、だんだんガスが上がってきて、
景色はますます見えなくなる。
サランコットから来た人は、向こうもガスが出ていて景色には恵まれない。
今日は良い方だと慰められた。




朝飯はバイキング。

食欲はあまりなかったので、少しとっておしまい。
ラム君は遅く起きてきた。




8:30出発。

村には朝から人が大勢出ていた。
肌の色は我々より少し濃い目だが、
髪の毛は黒く、背丈もそんなに違わない人が多いので、
なんだか親しみを感じる。

昨日来た道を下るが、陽が差してきて暖かくなってきた。
プレムさんは結構スピードを出して走る。
すっかり下ってきたところで、急にガスが濃くなり、視界が30m位になる。
町並みが出てきて、学校へ行く子供が多くなってきた。

そこは世界遺産のパクタブル。

ヨット部での体験  

2007-02-15 12:40:29 | 雑感
私の知り合いの息子でとても仕事ができて、
感じの良い青年がいる。

一緒に酒を飲んだ時の話はなかなか面白かった。


彼は大学時代ヨット部に所属しそこでモーレツに活動した。
ヨット部の将来が気になり、6年間在籍した強者である。

そこで得た結論は、

「結局我慢したものが残る。我慢しきれないものが脱落する」

つらいのは皆同じだが、作業や訓練、鍛錬の意味を自分で見つけ出し、
その中で耐えてゆける者が残る。
続けなければ何事も上達しないし、成し遂げられない。

例えば彼は暇ができれば艇の掃除をした、という。
昨日もやったのに、また今日も艇を磨く。
1gでも軽く、少しでも抵抗を少なくするにはどうするかのヒントが掃除から得られた。
汚れのつき具合により艇の形や抵抗が自然に認識された。

レースに影響が大きい明日の天気は、結局のところ完全にはわからない。
その日の現場は予想通りにならない事のほうが多い。
しかしできるだけの予測をして準備は怠らない。
そこがきちんとしていると、いざと言う時の動揺が少ない。

長距離レースでは、状況がいろいろ変わったほうが面白いが、
チームの精神的な安定が何より大切である。
自然条件は変わるが、それを乗り越えてゆくのは人間の意志である。
精神の安定は細かい事の積み重ねが大切。
だから、小さなミスやロスが不安を生み出す。
小さなことにも手を抜かない、それが良い結果に繋がる。


彼の体験は、私達の仕事の計画と、実際(現実)にも当てはまる事だと思う。

癒しの国へナマステ(ネパール紀行) 2日目-ナガルコットの夜編

2007-02-06 16:13:39 | ネパール紀行
パタンでの昼食を終え、一路本日の目的地ナガルコットへ。
ヒマラヤの展望台と言われる標高2000mの丘である。



つくまではかなり長い山道を車は進む。
九十九折で、時々牛が横切る。
ヤギや鶏も放し飼いだ。
山の斜面に点在するレンガ造りの家々。

埃を上げながらプラムさんの上手な運転で、リゾート地ナガルコットへ。




ホテルが点在する地域に入って、HOTEL UNKAI(雲海)の看板。
日本人がよく来るところらしい。
丘の上の五階建てのホテルが本日の宿ホテルヴューポイント。
一階のフロントから5階の部屋まで狭い鉄階段を上る。

重いスーツケースを運ぶのに閉口して、
担ぎ上げてくれた少年たちに100ルピーのチップを弾んだ。
大喜びだった。

部屋は最上階で、ここからヒマラヤが見える。
まさにホテル名どおりの部屋。

シャワーのみの粗末な洗面、ポットにはお湯が入っていない。
暖房はなし。TVはつかない(紅白歌合戦などダメ)。照明は暗い。

ホテルとしては粗末な部屋だが、
山小屋と思えば、清潔、立派な個室である。

ダブルベッドとシングルベッド。
重い布団も添えてある。




時間があるので、近くを散歩した。
途中で毛糸の帽子を買う。120ルピー。
40分ほど歩いて、日が沈みかけたので、
サンセットを見るべくあわててホテルに戻り、屋上へ。
赤い夕日は見えるが、全体にもやっておりヒマラヤはうっすらとしか見えず。

夕食まで、あとは一杯やるしかないとレストランへ。
日本人もちらほら。暖炉に火が入り良い雰囲気。
エベレストビールを二本、
プラムさんは紅茶、ラム君も飲まないという。

食事は昨日のホテルと同じ、少し雑なカレー料理。
でもおいしい。ワインを頼んで大晦日を祝う。
ラム君も一杯付き合う。


9:30に部屋に戻るも、寒いだけ。
またレストランに戻り暖炉のそばでホットウイスキー。
日本人が7~8人。若い人がほとんど、遅くに家族が一組参加。
欧米人も7~8人。彼らは陽気だ。自然に2グループに分かれて歓談。

W杯のことなど話題提供。
盛り上がってきたところで、カウントダウン。
若いカップルが皆にシャンパンを振舞う。

私が最年長らしく、カウントダウンの掛け声役を務め
「5,4,3,2,1ハッピーニューイヤー!」で乾杯。

ネパール人のガイドや、従業員がボンゴを持ってきて、
ダンスをはじめ、欧米人、日本人入り乱れて、シェルパ踊りを踊る。

歌の交換は我々は「スキヤキソング」「かえるの唄」。
但し「かえる・・」は輪唱がうまく機能しなかった。
異国の地での年越しはこうして楽しく過ごせた。




12:45明日の夜明けのヒマラヤを期待して就寝。
寒い。

癒しの国へナマステ(ネパール紀行) 2日目-パタン→ナガルコット編

2007-02-05 10:07:24 | ネパール紀行
パシュパティナートを後にして、
世界遺産の都パタンへと向かう。



沢山の観光客が集まる街。
サンスクリット語で、ラリトプルとも呼ばれ
「美の都」と言う意味だそうだ。

王家の宮殿、仏塔が林立している。
壁面、柱などにびっしりと彫刻が施されている。
紅がらの塗料(防腐剤を兼ねる)で、赤茶色の町並み。
修理中の建物があり、傷んでいるが、皆平気で入ってゆく。

世界遺産が粗末に扱われている。

沐浴場は今でも使われており、
洗濯物を持ってきた住民が洗濯をしている。
石造りのクリシュナ寺院には大勢の人が上がっていた。

ゴールデンテンプルは文字通り、金と銀で飾られた寺院。
境内の石の床には、革靴で下りてはいけない。
ズック靴ならOKだと言う。

祭壇の中のお供えを大きなねずみが食べていた。

入り口近くの食堂の屋上で、
モモとチャウ麺(焼きそば)ビールの昼食。

眺めが良い。









癒しの国へナマステ(ネパール紀行) 2日目-カトマンドゥ→ブダナート→パシュパティナート編

2007-02-01 15:56:29 | ネパール紀行
少し暑くて目が覚める。

朝食はバッフェ。
生水を警戒して歯磨きのすすぎもミネラルウオーターで。
だから、サラダは控える。



五つ星ホテルでもこんな風だ。
青豆の餡が入っているモモがおいしい。

チェックアウト。

水90
ビール165
ワイン1500ルピー
VAT13% 228

計1983ルピー。VATは消費税か?


ラズン、ラム、プレムがそろって迎えに来てくれる。
何かもうすっかり親しくなった感じである。



相変わらず埃っぽい街を通り、ブダナートへ。
途中、ラム君に水を買ってもらったら30ルピー。
ホテルの1/3。






ブダナートは、ネパール最大のステューパ(仏塔)
チベット仏教徒が一生懸命お祈りをしている。
果物や食べ物を、お祈りをしている人に差し出す人もおり、
貰った人がまた周りの人に分け与えると言うこともしている。

ステューパは昨日のブヤワンスナートの倍くらいの大きさである。
上に登って一回り。赤い衣の僧が行き来している。



近くの曼荼羅を描く工房に案内された。
無言で実に細かい筆使いをしていた。
一時間に3センチ四方くらいしか描けないのだろう。

ここには師匠と弟子がいて、
拡大鏡で見ると筆使いが歴然と違う。
価格も4倍くらいのさがある。

記念に一枚、師匠の作品を買う。交渉して125ドル。



パシュパティナートへ

ネパール有数のヒンドゥー寺院。
前を流れるバクマティー川の川岸で火葬を行い、
灰を川へ流す。煙が立ち昇り人を焼く匂いが鼻をつく。







川は緑灰色で流れはほとんどないくらい。
そこで遺族が沐浴をしている。
灰と一緒に川に投げ捨てられた薪を拾って乾かす人もいる。

上流と下流で身分により焼く場所が違う。
雑然とした中での火葬。嘆き悲しんでいる人は見当たらない。

サルの扮装をした人がいる。本物のサルも多い。
魂は不滅で肉体だけが滅びると言う教義である。
濁った川の水を飲む未亡人の習慣もあると聞く。

石造りの祠が並ぶところで食事をしている人も多い。
明るい陽の下で、人間の営みが感情を超えて淡々と流れてゆく。



近くにマザーテレサが作ったと言われるりっぱな孤児院があった。

「愛」の反対語は「無関心」だと彼女が言った言葉が
なぜか唐突に思い出される。