乃南アサ「禁猟区」新潮社 2010年刊
前に知人が貸してくれた本の中にこの作家の本が沢山あった。ミステリーというよりは刑事のご苦労の心理描写が主のシリーズだったが、なんとなく惹かれていた。
それがあって、今回も図書館でつい借りてきた。
4篇からなる短篇集だが、いずれも警察の監察部署が最後に登場して、権力を利用して脅し,貪る(そんなに単純ではないが)悪徳警官を逮捕するという筋書きだ。
捜査の謎解きとか、犯人のアリバイ崩しとかなどではなく、この作家らしく、犯罪を犯す警官の人間関係や客観状況の描写に重きをおき、逮捕に至る過程などはあっさりと処理している。
警官が度々罪を犯すことはこの頃は珍しくなくなってきた。「立場を利用した密猟者=警官を細心の注意を払って狩り出す。そこはまさに禁猟区」と帯にあるのだが、権力の中枢を握っている警察内部の犯罪は、闇に葬られることが多かろうというのは容易に想像できるが、この小説のように淡々と摘発されることを願うばかりである。
来週からオーロラを見に北欧に行ってこようと思っています。
せっかく行くのだから、写真に撮ってこようと機材を買いに行ってきた。
カメラ、三脚、予備電池、など使い方の説明も受けてこれでどうかと、夕方の星空を写してみた。
まずまずであった。ちゃんと星が写っていた。これで用意万端だと思ったが、ちょっと微調整をしようと、絞りを変えてみようとするのだが、なかなか肝心の表示が液晶画面に出てこない。いまどきのカメラは機能がたくさんありすぎていじり方が複雑だ。取説とにらめっこで調整してみるか。
零下20度の現地でもたもたできないなあ。ちょっと不安です。
真山仁「コラプティオ」文藝春秋社刊 2011年7月
表題の「コラプティオ」はラテン語で汚職、腐敗の意。
真山仁は「ハゲタカ」などの経済小説で企業合併、買収の内幕などを描くのが得意な作家。
今回は政治小説。総理大臣とそのスタッフ、新聞記者、権力争いをする政治家などが、震災後の日本復興の中で蠢(うごめ)く。アフリカの小国への援助、資源(ウラン)獲得の国際的な争いのなかで現実の姿を見て苦悩する。
ドロドロした政局の内幕ではなく、標榜する正義と現実、政策実行とマスコミ対策、などの局面が取り上げられている。
小説としてはもちろん面白いが、いかにもこうだろうということでは、先の現役官僚が書いたフィクション「原発ホワイトアウト」のほうが小説の出来とは別に迫力がある。本書の刊行にあたっては、震災発生に遭遇し、著者は大幅に加筆訂正したそうだが、現政権の人気ぶりを示唆していて面白い。マスコミは功罪半ばするが、民主主義国家では権力をチェック、セーブする役割は非常に大きい。特定秘密保護法はこうした役割を「目の上のたんこぶ」と感じる、官僚、政治家にとっては是非ともほしい武器なのだろう。この法律は、政策の効率的運用を進めはするだろうが、民主主義にとっては大いに危険な性格を持っている。現在進行形の政治状況と照らし合わせると納得行くなと、この小説を読んで感じた。
散歩の途中で見つけた金柑の木。
畑の片隅で一本だけ育てられているが、見事に実をつけている。このところの寒さをものともせず、鮮やかな金色の実をいっぱい実らせている。
子供の頃風邪をひくと、これを無理やり食べさせられた。味はそれほど嫌いというわけではないが、無理矢理感がイメージとして残り、嫌いになったのだろう。おかげで「金柑のど飴」までさけるようになった。きっとビタミンが豊富に含まれているのに違いない。食わず嫌いの典型であろう。
それはさておき、冷たい風のなかでいっぱいの黄金の実をつけているこの木は見事であった。
昨日は大寒。一年で一番寒い頃だという。
さすがに風が冷たい。日本は「四季に恵まれて」というが、この頃の寒さはどこにいても動きが億劫になる。
寒さの中、風を切って近くの田んぼへ行ってみた。なんと広い耕地がすでに耕されている。使用されたトラクターがぽつんと置いてある。こんな寒さの中で、もう明日のための準備がされているのだ。周りの田んぼもほとんど耕されている。真冬のさなかに着実に来るべき春の段取りをしている。土を扱っている人の逞しさ、勤勉さを感じた。
横山秀夫「半落ち」講談社 2002年刊
友人が貸してくれた本で、刈谷に持ってきた本を読み尽くしたので、久しぶりに図書館に通い何冊か借りてきた。
警察機関の内幕の描写では定評のある著者の作品。今回もその範疇だが、組織は警察内部と検察の主導権争いだ。いずれもマスコミ対策がかなり影響があるように書かれている。これが本当だとすると、マスコミはかなり重要な役割を果たしていることになる。特定秘密保護法が彼等権力にとって望まれるわけだ。
「半落ち」とは「完落ち」に対する警察用語で自白をまだ十分にしていない状態のこと。
ストーリーは定年間近で、教育掛かりを務める温厚な警部がアルツハイマーの妻を殺して自ら出頭するが、犯行後の2日間についてはガンとして口を割らない。その二日間に何があったのかをめぐり、警察と検察のメンツをかけた争いが展開する。何処の組織にもゴマすりと正義漢は存在する。その辺りの描写はややありきたりだが分かりやすい。
刑事、検察官、裁判官、新聞記者、刑務所管理官関わってくる構成も面白い。それぞれの立場にあるものが、それらしい考え方で行動する。
しかしながら、組織はいつもこんな具合に腐敗してゆくのだろうか。それでも現場はいくらか良さを保っているのだが・・。
友人が貸してくれた本で、刈谷に持ってきた本を読み尽くしたので、久しぶりに図書館に通い何冊か借りてきた。
警察機関の内幕の描写では定評のある著者の作品。今回もその範疇だが、組織は警察内部と検察の主導権争いだ。いずれもマスコミ対策がかなり影響があるように書かれている。これが本当だとすると、マスコミはかなり重要な役割を果たしていることになる。特定秘密保護法が彼等権力にとって望まれるわけだ。
「半落ち」とは「完落ち」に対する警察用語で自白をまだ十分にしていない状態のこと。
ストーリーは定年間近で、教育掛かりを務める温厚な警部がアルツハイマーの妻を殺して自ら出頭するが、犯行後の2日間についてはガンとして口を割らない。その二日間に何があったのかをめぐり、警察と検察のメンツをかけた争いが展開する。何処の組織にもゴマすりと正義漢は存在する。その辺りの描写はややありきたりだが分かりやすい。
刑事、検察官、裁判官、新聞記者、刑務所管理官関わってくる構成も面白い。それぞれの立場にあるものが、それらしい考え方で行動する。
しかしながら、組織はいつもこんな具合に腐敗してゆくのだろうか。それでも現場はいくらか良さを保っているのだが・・。
百田尚樹「モンスター」幻冬舎文庫 H24年刊
こう寒いと暖房のきいている部屋を離れたくない。読書にせいがでる。
今もっとも売れている作家の作品。
稀代の醜女が悲惨な青春時代をすごし、短大を卒業して製本会社に就職し、美容整形の存在を知る。手術によって一歩一歩美人への階段を登り、やがて絶世の美女へと変身する。それにつれ周りの自分に対する反応が少しずつ変わってくる。男の女性への対応が外見でいかに変わってくるか、本音はどこにあるかなどが、あますところなく暴かれる。主人公はそれを冷徹に見据え、あざ笑うかのように手玉に取る。主人公の行動と復讐心理は戦慄的といってもいい。
さすが百田と思うのはその舞台作りの旨さだ。プロの作家である。又男性でありながら女性心理(特に怨念)を抉りだすように描いているのが凄い。
エンターテメントとして一級であろう。
横山秀夫「半落ち」講談社 2002年刊
友人が貸してくれた本で、刈谷に持ってきた本を読み尽くしたので、久しぶりに図書館に通い何冊か借りてきた。その内の一冊。
警察機関の内幕の描写では定評のある著者の作品。今回もその範疇だが、組織は警察内部と検察の主導権争いだ。いずれもマスコミ対策がかなり影響があるように書かれている。これが本当だとすると、マスコミはかなり重要な役割を果たしていることになる。特定秘密保護法が彼等権力にとって望まれるわけだ。
「半落ち」とは「完落ち」に対する警察用語で自白をまだ十分にしていない状態のこと。
ストーリーは定年間近で、教育掛かりを務める温厚な警部がアルツハイマーの妻を殺して自ら出頭するが、犯行後の2日間についてはガンとして口を割らない。その二日間に何があったのかをめぐり、警察と検察のメンツをかけた争いが展開する。何処の組織にもゴマすりと正義漢は存在する。その辺りの描写はややありきたりだが分かりやすい。
刑事、検察官、裁判官、新聞記者、刑務所管理官関わってくる構成も面白い。それぞれの立場にあるものが、それらしい考え方で行動する。
しかしながら、組織はいつもこんな具合に腐敗してゆくのだろうか。それでも現場はいくらか良さを保っているのだが・・。
昨年末一応終止符を打った早朝勉強会。
それでも毎年行っていた熱田神宮参拝はやろうということで、8人が集まった。
夕方5時集合ということでさすがに初詣の人も少なく、夕暮れの神宮の森には静寂と云う言葉がピッタリの静けさであった。
境内には数多くの神社(旅行の神様、知恵の神様など)が祀られている。まさに八百万の神様がおられる。広い境内には10社以上祀られているのではないか。今回発見してさすが熱田さんだと感心。
私は喪中なので、鳥居をくぐってはイカンという言い伝えを思い出し、鳥居横から入り,退出。やはり神社はこういう広大な森のなかにあるのがふさわしい。境内を歩くだけで厳かな気持ちになってくる。カラスの群れが30羽ほど地上に降り立っていた。カラスは鳥目ではないのだろうか。うす暗い中でも元気に活動している。八咫カラスは熊野大社のシンボルだが、神社とカラスはなにか因縁があるのだろうか。
参拝後、蓬莱軒で会席料理を味わい、よもやま話に花が咲いたが、定年後もまだ障害者活用のチェーン店展開を模索する人、リタイア後の自由生活を大いに楽しむ人、社会との関わりを保ち公職をこなす人など、多彩であった。どんな集まりか、と言うより、どんな人の集まりかによって会の性格は決まる。料理も美味しかったが、会も楽しいものだった。