遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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韓国のビジネスマン

2010-03-31 13:10:30 | 雑感
韓国光明駅(ソウルの次の新幹線駅) まるで空港のような作りの広い駅である。空港、港湾、鉄道など運輸については戦略的な思考が感ぜられる。


 韓国仏教会との商談があり、出張し、その代表理事に会ってきた。

 大学の先輩が、中規模財閥企業集団の技術顧問をしている縁である。その財閥の前研究所長とも歓談する機会があった。その方は今子会社の社長に抜擢されている。45歳くらいに見えるが、
グループ統括社長の技術面の右腕として活躍している方だ。

 韓国は、というよりその企業集団(コーロン社)は、厳しい実績主義で、2年間で実績を上げないと、簡単に更迭されてしまうそうだ。研究所長時代、土日によく顧問の先輩に質問の電話がかかってきたそうだ。

「部下に任せればいいのに、なぜ貴方は、自分でそこまでやるのか?」
「私は技術の最高責任者です。主な課程はやはり自分で把握しておかないといけない。部下からの報告だけでは不十分と思ったからです。ウイークデーは所長としての仕事があるので、実験が切れ切れになります。だから土日に一気にやっていたのです」「でも本当は仕事が好きだったからでしょうね。まだまだです」と彼は言った。

 そして論語に次の言葉があります。といって次の言葉を書いてくれた。
「知之者 不如好之者 好之者 不如楽之者」
(知識のある者も好きな者にはかなわない、好きな者も楽しむ者にはかなわない)
「無汗不成」(汗を掻かずに出来上がることはない)

 聞くと彼は地方の名門家系の出身で、漢文の素養があるとのこと。しかし若くして経営幹部に上り詰めたのには、こういう哲学を実践してきたからなのだろう。日本のスピードを凌ぐ最近の韓国の企業成長を見るにつけ、韓国にもこういう人材を排出しているのだ、という感を強くした。

 また彼が紹介してくれた、旧正月に配られた今年の家訓は次のようなものである。(彼の家では毎年家長がこのようなものを配るのだそうだ。)

  庚寅年誠念

夫之於婦未誠不能和之家庭 (夫が妻に不誠実であるならば、家庭の和は保たれない)
婦之於夫未誠不能順之家道 (妻が夫に不誠実であるなら、家道は順調ではない)

 皆さんの家庭では心当たりはないですよね?

武器材料?

2010-03-28 06:57:15 | 雑感
信大の先輩に連れられて、韓国ソウル、釜山へ行って来た。

K先輩が、韓国の中堅企業(といっても企業ランク23位の小財閥グループ)の
技術顧問をしており、その関係で、公安委員長まで勤められた韓国仏教会の方を
紹介してくださるということで、半分商用であった。

先輩はさすがに韓国生活が長く、いろいろ珍しく、かつおいしい料理を案内して
くれた。本格焼肉は勿論のこと、豆でできた麺、キムチうどん鍋、蜆汁、海鮮料
理、黒山羊、ふぐ料理、と普通の観光客が味わえない、数々の料理が味わえた。

ご存知の方も多いと思うが、韓国では突き出しが沢山出る。料理を注文すると、
キムチやナムルなど10種類以上の皿が、テーブルに並ぶ。これだけで十分お腹
も膨れるし、満足してしまう。本格的には24~18種類くらいも並ぶのだそうだ。
料金は取らず、お代わりも自由だとのこと。

ある人は次々と運ばれてくる、皿を見て「私はこれらを頼んでいない」と叫んだ
そうだ。キムチも3種類以上並ぶ。これがまたおいしい。お土産に自家製キムチ
を買った。

帰途釜山空港で、手荷物検査を通る時、係員にちょっと別のところに連れて行か
れた。仲間とも離れ心細い。そこでにこりともせずに、「この中に何が入ってい
るか」と私の手荷物を指差す。「お土産のキムチですが」「これは機内持ち込み
禁止品である。直ちに処分するか、別便で送りなさい」「これはキムチですよ」
「今説明したとおりです」→やむなくもう一度外へ出て、チェックインカウンターで預ける。

何故キムチが危険物なのか?テロリストの武器になるのか、良く判らない。強烈
なにおいが、威嚇の材料になるのか、それとも醗酵したものが爆発物の原料にな
るのか?よくわからない。

それにしても日本語が通じてよかった。釜山空港は親切な人が多い。


春が来た

2010-03-15 10:53:00 | 雑感

昨日は20℃近い陽気だった。いよいよ春である。

朝の散歩の道すがら、土筆ん坊がにょきにょきと顔を出しているのをみつけた。
季節の料理をしなくなったのか、農薬散布の被害を恐れているのか、沢山生えて
いる。

例年より一週間くらい早いような気がするのだが、田んぼの脇に目の余り良くな
い私にも判るほど一杯生えていた。季節は確実に巡ってくる。

中高生の頃は春休みの頃、近くのあぜ道に良く摘みに行った。
あの頃は、風が少し肌寒いなかで、地中から出てくる土筆に燃え立つような生命
力を感じていた。この頃は、四季の移り変わりに微妙に寂しさを感じる。

母がなくなる年の春、病院の近くの公園に車椅子を引いて、花見に行った。
その時母は桜を見上げ「この花を来年は見ることができるのかねえ」とポツリとつぶやいた
のを思い出す。

土筆は、ちょっとほろ苦い卵とじが、私は好きである。

法隆寺

2010-03-01 10:45:32 | 行ってきました
法隆寺南大門参道

小学校の修学旅行以来の法隆寺に行って来た。

実は平城京に大極殿が完成し、遷都1300年を迎えるということで行ってみたのだ
が、残念ながらまだ工事中で、資料館は休館中であった。

そこで急遽法隆寺へ。しかし奈良は渋滞の多い街である。12km足らずの行程にに、30分
もかかってしまい、閉館まで45分の4時15分に滑り込んだ。


金堂五重塔

奈良・飛鳥時代の五重塔、金堂は素朴で優美であった。五重塔の一階には粘土で
の塑像があり、地下には仏舎利があるという。(日泰寺にあるのが本物だと思うが)

金堂内部の壁画はレプリカではあるが、シルクロードの雰囲気を漂わせた、鮮やかな色彩が保存されていた。

急いで宝蔵院へ回り、夢違観音、玉虫厨子、百済観音像、などを拝観する。17か
条の憲法は版木があった。これで沢山印刷をして全国に配布したのだろう。

この時代の仏像は、いずれも下がり目で、口元も少し緩んでいるようだ。鎌倉時代の仏像より
しまりがないようにも思える。笑いが貴重だ、経験的に分かっていたのだろうか?

聖徳太子の2歳、7歳の像がいずれもよく太っていたのも、面白かった。食料が潤
沢ではなかっただろうこの時代で、太っているのは憧憬の的だったのか。

玉虫の厨子はイメージより大分大きく、2m近くある。沢山の玉虫が要ったのだ
ろう。



講堂脇に白梅が満開の枝を見せていた。

案内所の二階で、あの伝説の宮大工棟梁、西岡常一の道具展示をやっていたが、
時間がなく見れなかったのが心残りであった。