桐は今が実のなる頃である
大きな葉が茂る
「桐一葉落ちて天下の秋を知る」は、豊臣家の没落を揶揄した川柳だと思っていた。中々含蓄のある句とは感じていたが、これには下敷きがあった。「一葉(いちよう)落(お)ちて天下(てんか)の秋(あき)を知(し)る」《「淮南子(えなんじ)」説山訓の「一葉の落つるを見て、歳のまさに暮れなんとするを知る」から》落葉が早い青桐(あおぎり)の葉が1枚落ちるのを見て、秋の来たことを知る。わずかな前触れから将来の大きな動きを予知できることのたとえから来ているという。
中国の故事から来ているとは知りませんでした。それはそれとして、散歩道に立つ家の前に大きな桐の木が植えてある。このあたりで他では桐の木は見かけないので、おそらく家主がわざわざ植えたのだと思う。実が黒々とついて葉が茂る。大きな葉で一枚でも落ちれば確かに目立つ。
確かに散れば気になる存在である。この葉の散りざまを秋の予兆と捉えたのは卓見だろう。一強を誇った安倍政権も、とうとう耐えきれなくなって凋落の兆しを見せ始めている。これほど本心とは別の言い訳を平気でする輩を見たことがない。
ふと見ると栗も大きくなってきている。一週間前にはまだ親指の爪ほどだった実が、今は軟式野球のボールより少し小さいくらいに育っている。イガの針でみっしりと武装し、葉の間にあちこちに姿を現しているのは、何故か可愛い。
そういえば、淡い紫の可憐な花をつけるマツムシソウの数が減ったのか、あんまり見かけない。たしかに秋はそこまで来ている。
栗の実も大きくなってきた
今年は栗の豊作か