遅いことは猫でもやる

まずは昔メールした内容をひっぱってきて練習...
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旧都オビエド(北スペイン)

2014-08-30 13:57:23 | 行ってきました
 大聖堂の尖塔
 市役所
 市の紋章伝説の十字架がデザインされている
 銀の十字架のレプリカ
 街角で演奏する学生たち
 特産のシードル
 市役所へ通じる道

914年レオンへ移るまでスペインの都だった都市。日本に例えて言えば鎌倉とか奈良のようなところか。本日の宿泊地レオンへゆく道すがら、昼食に寄った土地。大聖堂がそびえ、市役所が置かれているのは、ヨーロッパの都市としてはよくあるパターン。大聖堂の前に聖人の蔵があったが、名前は忘れた。
大学もあるらしく、学生が街頭で演奏をしていた。

全体には落ち着いた街で、旧都らしく何やら文化的な感じがした。

 オビエドの街角
 市場は酪農品が豊富だ

シードルの名所らしく、ウエイトレスは例によって高い位置からグラスに注ぐパフォーマンスを見せてくれた。多少こぼれても平気な顔をしているところがスペインらしい。昼食は名物の牛肉カツ、サラダ、生クリームのオムレツ、であった。おなかがいっぱいになったが、この際経験しておこうと無理して食べた。旧都オビエド(北スペイン)

 シードルはこうして高い位置から
 サラダも量が多い
 名物のカツレツ(食べかけ)
 デザートの生クリームオムレツ

秋の匂い

2014-08-27 14:49:38 | 雑感
曇空に伸びる薄の穂
 路傍のマツムシ草

この頃の季節は捉えづらい。夏だというので暑い日が延べ10日位あっただろうか。天候が不順である。晴れ間が少ない上に、時折集中的な豪雨が襲う。ここらが山沿いだから、ということもあろうが、とにかくグズグズした天気が続く。今日は曇空ではあるが雨がないのを幸い散歩に出た。

まだ8月ではあるが、しばらくぶりに外に出てみたらススキの穂がたくさん出ていた。勿論まだ白くはなっていないが臙脂色の穂が沢山天に向かっていた。道端には他に、マツムシ草、月見草などの花、栗の木ももう小さなイガを付けていた。自然の営みは着実に季節の移ろいを示している。

暦を繰ってみれば今は「処暑」の次候=天地始めて粛(さむ)し、である。まさに暑さが和らぎ風の音や虫の声が秋の気配を感ぜさせるころである。二百十日もこの頃で、昔は台風のはしりが来たような記憶があるが、今年は5月から来襲したり、各地に発生するゲリラ豪雨や竜巻など激しい天候が続く。静かでしみじみとした秋はもう昔話となってしまったのだろうか。

 月見草
 小さな栗のイガ

小さな世界遺産(北スペイン) サンタマリア・デル・ナランコ教会

2014-08-25 16:26:22 | 行ってきました
 なだらかな丘は絶好の放牧地だ
 窓から眺める集落
 廃棄された街道沿いの教会

美しい村サンティジャーナ・デル・マルを後にして本日は珍しく8:45分出発。何でも本日最終到着地の世界遺産の教会の閉鎖時間に間に合わせるため、15分早めたのだそうだ。一行がわずか6名の団体なのでその辺はかなり臨機応変にできる。

スペインは基本的には農業国なのだろう。バスの窓から見る景色は牛、馬、やぎ、羊などの放牧地が次々と現れる。時折協会を中心とした集落が現れる。街道沿いに珍しく廃棄された教会がみられた。
 これが宮殿と言われる住居
 柱の彫刻
 板に従事の紋章が
 丘から見下ろす景色

オビエドに到着したら市街地を突っ切って郊外の丘へまっしぐら。オビエドはスペイン王国発祥の地だという。8世紀(711年)イスラムに侵攻されたスペインは、722年反撃開始。レコンキスタ(国土回復運動)が終了するまで続いたがその発祥がこの地だといわれる。
オビエド郊外のナランコ山腹にあるサンタマリア・デル・ナランコを訪ねた。古いロマネスク様式の小さな教会の遺跡、壁が厚い。そこから歩いて5分ほどのところにある住居(ガイドは宮殿というがそれほど大きくない)と管理人が一人で受け持っており、受付を交互にやっている。建物も素朴で石(レンガ?)作りの2階建ての小さな建物だ。世界遺産は規模ではなく歴史的な意義も認定の要素なのだろう。

イスラムの猛烈な攻勢に命懸けで反撃を開始した、この土地の当時の人々は物凄く勇気があったのだろう。それともこの時代のキリスト教徒は現在のイスラム信徒に匹敵するくらい戦闘的だったのだろうか。

壮大な教会を想像していたのだが、8世紀という時代のことだからか、或いはまだこの程度の影響力しかなかったからなのか、いづれにしてもこじんまりとした教会である。
小さな建物にそんな歴史が刻まれていると思うとその窓から見える眺めにも感慨が湧いた。

 小さな教会

素朴な巡礼宿の村 サンティジャーナ・デル・マル(北スペインの思い出)

2014-08-22 17:16:47 | 行ってきました
 牧草地が続く北スペイン
 本日のお宿
 フロントも家庭的だ
 反対側から見たホテル玄関

北スペイン3日目の宿はサンティジャーナ・デル・マルという巡礼街道沿いの村の小さなホテル。貝印のロゴも付いているこじんまりした平屋作りのホテル。教会などがある集落の入口に建っている。この村はスペインでも「美しい村」として名高いそうだ。チェックインを済ませ、村落にはいる。BARや土産物屋が立ち並び、石畳には轍の痕も付いている。村落の奥一段高いところにゴシック様式の教会が建ち、その前には水場があり手足を洗ったのだろう。いかにも旅の疲れを落とす風情が街角に満ちており、巡礼の人々が軽く一杯やって旅の疲れを癒していそうである。
 BARのテーブルと看板代わりのシードルの空き瓶
 街角
 土産物屋
 街角
 BARでくつろぐ旅人
 村役場跡
 広場から路地を見る


小さな村落だが、教会もホテルもBARもあり、小さな広場には村役場が面している。ヨーロッパにはこうした広場が多い。集会をするのか、軍隊が整列するのか、市場が立つためなのか、いろんな機能を果たすのだろう。街に潤いをもたらしている。こんな小さな村なのに3箇所も広場があった。石畳の街は風情がある。ここでのんびり時を過ごすのも悪くない。四国のお遍路にはうどん屋さんが付き物だが、こちらはBARがここかしこに店を開いている。シードルの空き瓶を店先に飾り存在感を主張する。
教会横の牧場には馬やロバが放牧されていかにも牧歌的である。
 教会前の階段を登る子供 教会の横手
 夕日を浴びる教会 広場から見た教会 教会入口

古びた教会にも入ってみたが、ロマネスク様式の歴史を感じさせ、石の棺がそこかしこに置かれていた。スペインの田舎を満喫した。

 この村のメインストリート
 ホテル前の街道
 ホテルのBAR横の巡礼街道を表すロゴ
 博物館にも巡礼路のロゴが
 教会横の坂道
 教会横の牧場
 牧草を運ぶ車

リベンジ花火

2014-08-21 09:50:54 | 行ってきました


諏訪湖大花火大会は例年通り8月15日挙行された。例年通りと言うのは、昨年65年の歴史上、初めて中止となったからである。それほどものすごい豪雨に見舞われたのである。
昨今ゲリラ豪雨は珍しくないが、昨年の雨、雷鳴はものすごく外で見ていた観客はカッパや傘では追いつかず、やむなく中断して建物の中へ避難したほどである。

諏訪湖畔に夕暮れが迫る

この花火を楽しみにしていた妹や他の姉妹は中断した花火をすごく残念に思っていた。一年後ほぼ同じメンバーでホテルに集まり、リベンジの時を待った。夕暮れが迫り、屋台の灯りが湖畔に浮かび、40万とも50万ともいわれる人が押し寄せてきた。
辺りに夕暮れが迫ってきた午後7時合図の前触れ花火を皮切りに38~42ブロックに区分され、40000発の花火の祭典が幕を開けた。

 百花繚蘭大迫力

よく見ると花火はそれぞれに趣向があり組み合わせや、大きさ、色、形に工夫が凝らしてある。40000発は全国的にも最大級であるが、一時間半を越える打ち上げ時間があっという間に過ぎ、最後の見せ場「湖上スターマイン/キス・オブ・ファイアー」4kmに及ぶ仕掛け「ナイアガラの滝」のフィナーレになった。ところが30分ほど前から雨が落ちてきて雨足が増し、煙幕が非常に濃い状況になり、湖畔からは煙しか見えない有り様となった。そこだけは残念であったが、花火はおおむね鑑賞でき、大迫力の打ち上げを堪能した。やはりここの花火は別格のような気がする。

一年ぶりのリベンジを果たし姉妹たちも満足したようである。


北スペインの思い出 ビスカヤ橋

2014-08-20 16:22:49 | 行ってきました
根元に飾ってあるアヒルの風船
 ゴンドラは道路と同じ高さで車を迎える


グッゲンハイムの美術館から宿泊地のサンティジャーナ・デル・マルへ向かう途中立ち寄ったのがビスカヤ橋。
エッフェル塔の設計者が建てたというこの橋は橋脚が高くそびえ、運河を通る船に差し障りがないようにしている。組み上げられた鉄骨はエッフェル塔を彷彿とさせる建築美を漂わせていた。通常の車や通行人はワイヤーで吊り下げられたゴンドラで渡される。一寸変わった橋である。

何故か橋梁の根元には黄色で大きなひよこの風船が飾ってあった。こういう独創的な作品を尊重する空気がスペインにはあるのだろうか。エレベーターで橋の頂上に登り、運河を眺めながら徒歩で渡った。保護の金網が巡らせてあり危険は全く感ぜられないが足元を見ると相当な高度なのでやはり竦んでしまう。帰りは下へ降りゴンドラで戻った。
観光地というほどのことはないと思うが、印象には残る建物だった。

 橋梁上部に通路が設けられている

 上部からの展望

 車や人を運ぶゴンドラ

歴史捜査(操作)

2014-08-19 12:13:54 | 


明智憲三郎「本能寺の変」文芸社文庫 2013年刊

著者は明智光秀の末裔。これは小説ではなくあまねく知られている歴史通説を検証する書である。著者の言を借りるならば「歴史捜査」の書である。

添加の秀才の光秀が癇癪持ちの暴君信長の仕打ちに腹を据えかね、中国討伐のため本能寺に滞在していた信長を討った。
家康はほうほうの体で逃げ帰り(神君伊賀越)其の仇は秀吉が討った。

以上が我々が漠然と描いている本能寺の変であるが、著者は一寸待てと疑問を呈す。
このあらすじは変後秀吉が編纂を命じた「惟任退治記」によりつくられたもので、少なからず勝者に都合の良い筋書きが描かれている、というのが著者の言い分である。

たしかに、450年前の桶狭間の合戦は「小よく大を制す」「油断大敵」の教訓として帝国陸軍が流布したものであることは、郷土史家の地道な努力により明らかになってきています。また米国の原爆投下及び事後処理についてもやっと少しずつ真実が明らかになってきております。
この著者も膨大な関連図書を読み(若干我田引水的なところもなくはないのですが)、戦国武将の行動を解き明かしています。

本能寺の変は家康殺害の舞台を光秀が利用し、家康は其のことを承知していた。光秀謀反は中国にいた秀吉も知っていた。
この著者の見方のほうが壮大な歴史ドラマとして真実味があります。内容を詳しく紹介すると興味が半減しますので述べませんが、明智光秀に関する誤解は解けたように思います。
。暑い夏の読み物として面白いと思いました。お勧めです。

アウトドアでコーヒーを

2014-08-17 16:12:28 | 雑感
 乙女滝の前の長男


今年のお盆休みは雨の日が多かった。晴れたのは2日位だったような気がする。
昨年豪雨で中止になった諏訪湖花火大会も、取りやめにこそならなかったが、途中から雨になり、屋外で見ていた人たちは途中から席をたつ人も多かった。

お盆休みに長男が慰問と自己発散がてら、単独で遊びに来ていたのだが連日の雨続きでうずうずしていた。晴れ間が出ていたのでお昼近くに横谷渓谷に誘った。
以前彼が贈ってくれた屋外用のコーヒーミル、イタリア製のパーコレータ、ガスバーナーでアウトドアコーヒーを楽しもうという寸法だ。あそこは遊歩道が整備されており、緑陰の濃いさわやかな渓谷だ。お盆のことなので人出が多いのが懸念されたが、駐車場を見て一安心。10台ほどしか駐車してなかった。
 駐車場横の標識

それより、空が暗くなってきたのが気になったが、とりあえず乙女滝へと向かった。昨日までの雨のせいで轟々と水音を上げる滝は、とても「乙女滝」と言うような嫋やかなイメージには遠く、まるで壮年滝とも言うべき勢いで落下していた。遊歩道に覆いかぶさる木々の枝の下をのんびり息子と歩く。もう成年の域を越えた彼は、ハンディのVDTを撮影スティックの先につけ、自分たちを映しながら賑やかに会話しながら歩く。私に気を使ってくれているのだろうけど、若者は元気で賑やかなのが一番だ。

雨で増水した渓流沿いの林の中をのんびり歩く。奥入瀬渓流を少し縮め急流にしたような風情だ。旅館の横を過ぎ緑陰の陰からミストを浴びるよな滝傍に出ると「霧降りの滝」。20000/CCのイオンが発生するそうだ。なんだか気分がすっとする。と同時に雨がパラパラ落ちてきた。樹の枝で遮られるのでそのままゆるやかに登る。ここらは滝が多い。氷瀑コースを取り、屏風岩まで来て遊歩道に合流する時点で雨足も強くなってきたので帰ろうと決断。
 霧降の滝

ただ息子が「コーヒーの儀」はどうする?というので、雨足を確認し「よし決行」と即断。ミルで豆を挽き、バーナーを組み立て、ポットにお水を注いで準備する。息子は息子でアルコールコンロでチタン容器にお湯を沸かす。パーコレータが湯気を立て、コーヒーが入った頃、息子が私のコップに沸かしたお湯を差す。エスプレッソ仕様で濃く出たコーヒーにはちょうどよい。ゆっくり楽しんでいたら雨が豪雨に変わった。1時間100mmの勢いだ。慌ててウィンドブレーカーを羽織るが、ずぶ濡れ。一向に雨脚は衰えず早速撤収して帰途につく。
 アウトドア・コーヒーセット

ポツポツと出会った人たちはどうしているのだろう。ズボンもぐっしょり濡らして道路に流れる雨の流れを蹴散らし、やっと車に駆け込んだが、上半身も撥水のブレーカーを通して濡れていた。とんだアクシデントだったがこれも思い出に残るだろう。息子滞在の最後の日のイベントとして強烈なインパクトがあった。

足元の自然

2014-08-07 00:09:46 | 雑感


おかげさまで、ここ蓼科は朝晩とても涼しい。ひんやりとして爽やかである。

坂道を散歩してもそれほど汗はかかない。名古屋のむっとする暑さとは比較すべくもないが、空気は乾燥している時が多く、早朝などは肌寒いくらいである。

時として夜に雨がぱらついたことがあり、足元を見るともうきのこが出ていた。温度と湿度が秋とおなじになったのだろうか。

写真はハナビラタケと言って食用になるそうだが、盛りを過ぎているようなので来年に回すことにした。

散歩の途中でいろいろな花に出会うが、今日はオニユリに出会えた。


北スペインの思い出ーグッゲンハイム美術館

2014-08-06 17:05:38 | 行ってきました
船のような遠景
 玄関前の階段
 犬の形の花壇=これはまさに美術作品だ

北スペイン・ビルバオにあるグッゲンハイム美術館は所蔵する美術品の質や量で名高いのではなく、美術館の建物自身が有名である。
蓼科で言えば、八ヶ岳美術館、康耀堂美術館であるがスケールが全く違う。ちょうどオノ・ヨーコの作品展をやっていた。

 入り口
 遠くのビルと並ぶオブジェ

街の一角がこの美術館群で占められている。アメリカ人フランク・ゲーリーの設計になるもので、無規則な局面を使い、戦闘機を設計するCADソフトを使用したそうだ。工業都市だったビルバオが衰退し始め、復興策として建てたこの美術館は今や年間100万人の来館者を迎えるという。この中には我々のように美術館には入らず、外観だけを見る者は含まれているのだろうか。

 建物とマッチするいろいろな作品

バスが近づくと、その特異な建物がまず目を引く。薄いチタンの金属タイルとガラスを組み合わせた曲線と、素材や光沢の違うオブジェが点在する。玄関前には花で飾られた巨大な犬の像立体花壇というべきか)が我々を迎える。川の畔に立つ建物にも池が配置され、ステンレスボールを組み合わせた葡萄の房のような彫刻、10っもあると思われる蜘蛛のオブジェ、どの角度から見ても楽しい。多くの観光客は私達と同じで美術館の外周を楽しんで散歩していた。さすがガウディの国である。建物自体で人を引きつけるのはすばらしい。

 道路さえも建物に適合している