食堂にあったお酒。この時はそれどころではなかった。
午後4時頃待っていた仲間が到着した。リーダーのTさん、Sさん、Kさんの面々。我々が一杯やっていた談話室に直行してくれた。まずは再開を祝しビールで乾杯。ひとしきり話が弾んだ後、皆は部屋に行き、温泉に浸かってくるので一旦退出。
我々は相変わらず飲み続けた。待てど暮らせど彼らは戻ってこない。5時近くになりKさんが顔をのぞかせ、事故があったと報告。
「Tさんが温泉から上がった時に立ちくらみをし、柱にぶつかって額を切った。救急車の出動を要請している」と報告があった。お風呂へ飛んでいくと、廊下にTさんが寝ている。見知らぬ人がそばに付いていてくれ、「傷は大きいが、心配はいらないと思う」と少し気分が落ち着くようなコメント。傷口を検めると、額にぱっくりと7,8センチの傷。本人も「傷の痛みはするが、その他には異常はない」といたって冷静。そのうち小屋の方らしき中年の人が来て、瞳孔などを見たり、他に異常はないか聞き取りなどし、「ヘリは手配がつかないが救急車は林道の途中まで来る。そこまでは歩いてゆこう。介添えが必要なので、1,2名ついてきてくれ」と話を進め、5時半過ぎに4人で小屋を出た。
日頃あまり飲まないビールを再会の喜びでTさんに薦めたのが悪かったのか、と一瞬後悔する。登山道での遭難ではなく山小屋内の事故というのがなんとも不運だ。残った我々はとりあえず晩御飯を食べる。我々の席には5人分の食事が用意されているが、3人分は下げてもらう。「良かったらおあがり下さい」と小屋の人が薦めてくれるが、我々の顔つきを見て「とてもそんな気分ではないですね」と引き上げてくれた。
標識
この日はいい天気
羊歯が生い茂る道
味気ない思いで晩飯を済ませ、とりあえず談話室に戻ると、先ほどTさんを見てくれていた人が、私は町田で老人福祉関係の仕事をしていますが、こんなことはしょっちゅうです。見たところは大きな事にはならないと思う。救急病院はすぐ決まるでしょうが、処置には立ち会わねばならないし、検査を色々やるでしょうから連絡は11時くらいまで取れないでしょう。まあ気を落ち着かせてこのお酒でも飲んで下さいと沖縄焼酎を薦めてくれる。しかし我々はそんな気分ではない。9時くらいになってやっと連絡が取れ「今救急車の中。行く先は佐久総合病院。救急隊の話ではとりあえずは大事なさそうだ。」と報告がある。
ホット一息。薦められたお酒に手が伸びる。10時頃、付いて行ってくれた人が戻られ、付き添いは2人までなので戻ってきた。私はこの小屋の常連で、こういう事故の時には駆り出されるんです。アルバイトの若い人も何かと頼りにしてくれる。八ヶ岳には1000回くらい来ているし、ヒマラヤにも行っている。救急医療の資格も持っている。
などと、自己紹介をしてくれた。とても親切な人である。町田の人も、明日、二人の荷物を持って下りるなら、我々が持ちましょうか。我々も稲子湯まで下りるだけですから。と同行の人と交々いってくれる。
つくづく親切な人が多いのに感激した。ヨットで遭難した辛坊氏じゃないが「日本に生まれてよかった」と感じる。
日本最高の野天風呂2150m
案内板
翌日、日本最高標高にある野天風呂を眺めにゆき、残っている荷物を調べ、この分なら前後振り分けで背負ってゆけばいけると判断し7時ころ小屋を出発。久しぶりによく晴れた山道を下った。途中、「なんで荷物を前後に背負っているのだ」と二人ほどに不思議がられたが、一寸届けものです、と曖昧に答えてやり過ごした。来るときにも増して好天で緑が輝き、最後出迎えてくれたTさんの包帯姿に出会えた時にはさすがにホッとした。稲子湯で5人揃い、温泉に入り、今度はノンアルコールと生ビールで乾杯し、またムードメーカーのSさんの話を拝聴し、一段と盛り上がって今回の山行を終えた。目的の天狗岳には登れなかったけれど、アクシデントの発生に伴い沢山の人(同行のメンバーは勿論だが、小屋の人、常連の人、町田の人など)の心遣いに包まれ、又別の楽しさ?に触れた山行であった。
お疲れ様でした。
稲子湯
合流した3人。Tさんの頭の包帯が痛々しい。