同年会で一泊旅行。
上田ー野沢ー小布施ー須坂の旅。
最初が上田城。
大河ドラマ 山本勘助にあやかり、かなり意気込んでいた。
◎南櫓(一時城下に移築され遊郭に改造されて利用されたとのこと)。
この下は千曲川の波打ち際であった。
◎お堀跡。一時電車がここを走っていた。
ケヤキがライトアップされておりきっと夜はきれいだろうな。
◎しだれ桑。上田は戦前は養蚕の盛んなところ。
信州大学繊維学部もここにある。そこで使われた蚕のえさ。
◎真田石 名古屋城ならさしずめ清正石というところ。
真田昌幸の子信之(関が原の戦いで徳川方に付いた)が
松代に移封されたときに、持ち去ろうとしたが不動であったと言う伝説が残る。
城内はまだ、桜が半分くらい残っており、
日曜日の名残の花見をしている人が50人ほどいた
掘深く、石垣高く、千曲川を防御に利用している城。
慶長5年(1600年)徳川秀忠軍を足止めし、
関が原の戦いに参戦できなくした昌幸、幸村父子の篭城戦は有名。
上田ー野沢ー小布施ー須坂の旅。
最初が上田城。
大河ドラマ 山本勘助にあやかり、かなり意気込んでいた。
◎南櫓(一時城下に移築され遊郭に改造されて利用されたとのこと)。
この下は千曲川の波打ち際であった。
◎お堀跡。一時電車がここを走っていた。
ケヤキがライトアップされておりきっと夜はきれいだろうな。
◎しだれ桑。上田は戦前は養蚕の盛んなところ。
信州大学繊維学部もここにある。そこで使われた蚕のえさ。
◎真田石 名古屋城ならさしずめ清正石というところ。
真田昌幸の子信之(関が原の戦いで徳川方に付いた)が
松代に移封されたときに、持ち去ろうとしたが不動であったと言う伝説が残る。
城内はまだ、桜が半分くらい残っており、
日曜日の名残の花見をしている人が50人ほどいた
掘深く、石垣高く、千曲川を防御に利用している城。
慶長5年(1600年)徳川秀忠軍を足止めし、
関が原の戦いに参戦できなくした昌幸、幸村父子の篭城戦は有名。
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