廃業相次ぐ老舗写真店

 先週金曜日の神奈川新聞に「廃業相次ぐ老舗写真店」と題するかなり大きな記事が掲載されていた。暫く前には横浜市中区の輸入カメラ専門店「千曲商会」が3月末で閉店することを伝えて神奈川新聞だが、金曜日の記事は同じく中区の「ろまんカメラ」が今月末で看板を下ろすことに触れての記事である。

 記事の中のデータによれば、ピークの1997年には年間4億8千万本を数えたフィルムの出荷本数が2008年には5500万本に減少していると云う。同じペースで減少していると仮定すると2009年は3500万本、2010年には2000万本となる。もはやフィルムを中心としたカメラとDPEでは商売は成り立たないと云うことだな。

 フィルムと印画紙による写真とよく比較されるのは1980年代にあったLPからCDへの世代交代だが、LPからCDへの世代交代と、写真がフィルムからデジタルへと代わるのとでは、郷秋<Gauche>はちょっと違う気がしている。

 音楽の場合には、再生の仕方が変わっただけだが、写真の場合には見る方法が変わった以上に撮り方が変わっているので。つまり、音楽は(一般的には)聴くだけだが、写真には自ら創る楽しみがあった。創って見るのが写真であった。その創る部分に自分でフィルムを現像してプリントする楽しさがあり、そこに写真が上達する大きな要素が潜んでもいた。フィルムからデジタルに変わることでその創る楽しさ、上達するための大きな要素がそっくり無くなってしまったのが、LPからCDへの世代交代と写真の世代交代との違いである。

 音楽ファンには今でもLPで聴くと云うコアなファンもいるし、一時と比べるとLPの製造・販売も上向いて来ていると聞くが、時代は更にネット配信へとシフトしている。誰かの演奏を聞く「だけ」のためにLPを用いる意義が更に薄れつつある時代を迎えていると今であると云えるが、その点では写真も同じである。

 単に昔を懐かしむだけではなく、そこに積極的な意味を見出さないと古い物は生き残れない。その点で写真は受け手としてだけではなく発信者、つまり制作者、情報の発信者となる事が出来るのだから、その制作者がアナログ(フィルム)かデジタルかを選ぶことの出来る余地が残されている。

幸いにして我が日本の富士フイルムがフィルムと印画紙による写真の伝承に積極的である。フィルムと印画紙、現像剤等の種類が少なくなるのは止むを得ないこととしても、自らの使命としてフィルムによる写真文化を支えることを表明しているのは実に心強いことである。


 例によって記事本文とはなんの関係もない今日の一枚は、箱根・宮ノ下の富士屋ホテル。実は、昨日今日と仕事で箱根に行って来た郷秋<Gauche>である。昨晩は湯本の富士屋ホテルに宿泊し、今日は宮ノ下の富士屋ホテルを見せて頂いた。宿泊でも食事でもないのが残念至極。しかし、考えてみると宮ノ下の富士屋ホテルもデジタル時代に生き残っているフィルムのような存在。マーケットは小さくなっても生き残る事が出来ると云う手本か。
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