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郷秋<Gauche>、神奈川新聞を褒める

 いつもは神奈川新聞を厳しく批評している、元へ、愛すべき神奈川新聞がより良い新聞となるためにと、労を惜しまず叱咤激励を続けている郷秋<Gauche>であるが、今日は神奈川新聞を大いに褒めたいと思う。ちなみに郷秋<Gauche>が神奈川新聞のためを思い、どれほどの記事を書いているのかは、画面右側下の方にある検索窓に「神奈川新聞」とキーインして検索していただきたい。その数は、数えるのが大変な程であるはずだ。

 前置きが長くなったが、何故今日、郷秋<Gauche>が神奈川新聞を褒めるのかと云うと、同紙がこの度、日本新聞協会が主催する「第30回新聞広告賞 新聞社企画部門・本賞」を受賞したからなのである(see here)。正確を期せば、郷秋<Gauche>が神奈川新聞を褒めるのは、賞を取ったからではなく、受賞ももっともと思う程の素晴らしい企画記事を作成したからである。

 その記事とは2006年6月から2010年3月までに12号が発行された「横濱開港新聞」である。「横濱開港新聞」は通常の日刊紙の中に更にもう一部の新聞が挟み込まれた体制で「浦賀沖 黒船現る」「日米和親条約締結」「5カ国と通商条約」「イギリス商人3人殺傷(生麦事件のことだ)」など、幕末から開港100年まで、取り分け明治初期までの「事件」を、当時、今のような新聞があったなら、きっとこんな風に報道するだろうと云ったスタイルで新聞を作成したものである。

 折からの「横浜開港150周年」の記念事業として企画された「横濱開港新聞」であるが、郷秋<Gauche>は「創刊プレ号」(云うなら「プレ創刊号」じゃないかと云う気がするが)から毎号楽しみに、隅から隅まで読んで、「神奈川新聞もやるものじゃないかと」感心していたのだが、この度は目出度く受賞との報、まったく同慶の至りである。

 今日の神奈川新聞18面にこのことが大きく報じられているのだが、この「横濱開港新聞」、もちろん企画は神奈川新聞であるのだが、記事を執筆したのは横浜開港資料館の調査研究員であったことが明かされている。記事内容が実に正確で紙面全体に破綻がないことから「おかしいな」と思い続けてきた郷秋<Gauche>であったが、今日、ようやくその謎が解けた。

 横浜開港資料館が神奈川新聞から原稿執筆の依頼を受けたのは2006年4月のことなのだという。「創刊プレ号」発行までにしても2か月の間があるわけで、それだけの時間があれば、練りに練り、念には念を入れた記事が書けるわけである。

 速報性が命の「本物の」新聞の場合には悠長に2か月もかけて記事を書いていられるわけもない。神奈川県内の事件・事故だとしても、時に現場でPCのキーを叩き書いた記事をインターネット経由で本社に送り、即レイアウトされ刷りに入るというようなこともあるだろう。生練りのタイトル、事実誤認の可能性を残した不正確で読みにくい文章、記者の博学、薄学をさらけ出したお笑い物の記事も少なくないのにも理由がない訳じゃない。

 しかしだ、いくら速報性が命とは云っても、記事に間違いや誤解の「タネ」が潜んでいたのではお話にならない。だって、新聞社の記者は「早書き」のプロなんだから。そしてカメラマンは写真のプロなんだからピンボケ写真の掲載なんて、許されないのである。

 神奈川新聞の企画は素晴らしい。しかし自社の記者が書いた記事に問題多発では全くお話にならない。良い企画を、そして毎日の紙面を自社の記者の正確で読みやすい記事で埋められる日を楽しみに、一日も早く期待に適う新聞になる事を願いつつ、郷秋<Gauche>は神奈川新聞をとり続けるぞ。


 写真に解説を加えるなど、俳句に説明(解釈)文を付けるに似た愚の骨頂であるとは知りつつも、今日は書いておくことにしよう。
 一番手前の緑は、刈取り後の稲の株からのひこ生え。その奥に、脱穀までを済ませる大型コンバインで刈り取った後の田んぼに干された稲藁。更に竹林をバックに色づき始めた柿木が並び、画面右端、雨上がりの陽にあぶられた畑からは湯気が上がっている、図。
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