クリスマス・リース

今日、ようやく玄関ドアにクリスマス・リースを飾りました。イエス・キリストの降誕を待ち望む降誕節(アドベント)は、今年は1127日に始まりました。本当はリースもツリーも27日に飾るのが良いのだと思いますが、何とか約一週間遅れで飾ることができました。

 

ところで、リースはクリスマスだけのものではないようですね。だからクリスマスに飾るものを特にクリスマス・リースと云うわけですが、ではなぜリースは丸い、つまり円形なのか。郷秋<Gauche>の勝手な想像ですが、丸が完全な形だからではないかと思うのです。三角形や四角形は辺の長さによっていろいろな形のものが存在するけれど、丸はただ一つ。つぶれていたらそれは楕円形であって、丸、つまり円ではないですからね。

 

それともひとつ、丸には終わりがない。三角形や四角形だって終わりはないけれど角がある。丸は常に滑らから曲線で形成されて終わりがない。だから、例えば良い事、幸福が途切れなく循環するように。あるいは丸が完全であることから、邪悪なもの、悪魔を寄せ付けないようにとか。日本で行われる地鎮祭では祭壇の周りに四本の笹竹を刺し、縄を張りますね。これはその中は聖域であり、穢れたものが入らないようにするためだそうですが、丸いリースには同じ意味があるんじゃないかと思ったりするわけです。

 

クリスマスの楽しいオーナメント(飾り)の一つに、アドベント・クランツがあります。これは、クリスマス・リースをテーブルの上に置き、その内側に四本のロウソクを立てたものです。降誕節(アドベント)最初の主日(日曜日)に最初のロウソクに火を灯します(教会であれば礼拝の時。家庭であれば夕食の時でしょうか)。第二主日には一本目と二本目のロウソクに、第三主日には一本目と二本目と三本目、そして第四主日にはすべてのロウソクに火を灯します。四本のロウソクに火が灯ると、いよいよ降誕日(クリスマス)がやって来るわけですね。

 

 

今日の一枚は、我が家の玄関ドアのクリスマス・リース。夕方になってから取り付けたものですから、写真はストロボ頼り。昼間ならもう少し綺麗に撮れるのですが(^^;

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ビビッドに伝える?

 今日の神奈川新聞の「デスクノート」に「(前略)寄せられる支援情報をビビッドに伝える手だてに腐心した日々がよみがえると書かれていた。3.11震災後の紙面作りに苦心したことを書いているのだが、「ビビッドに伝える」とはいったいどういう意味なのだろうか。

 

 「ビビッドな色使い」などと使うことはある。「生き生きとして鮮やかな」と云う意味だ。広辞苑には「目のさめるようなさま。新鮮なさま」の前に「いきいきしたさま。真に迫ったさま」と書かれている。高田氏はこの「いきいきしたさま。真に迫ったさま」の意味で使ったのだろうと思われるが、例えば、高齢者や中学生に正しくすんなりと伝わったであろうか。

 

カタカナ語が多用される風潮に批判的な記事を書くのも新聞である。その新聞が国民に広く認識されているとは思えないカタカナ語を使って記事を書くのはいかがなものか。すべての読者に優しい新聞作りのためには、文字を大きくすればそれで良いと云う事ではないだろう。カタカナ語や妙な略語を使わないことだって大切なことのはずである。

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