唐松林の中に小屋を建て、晴れた日には畑を耕し雨の日にはセロを弾いて暮したい、そんな郷秋<Gauche>の気ままな独り言。
郷秋<Gauche>の独り言
GXRシステム用のマイクロフォーサーズユニットが登場?!
リコーのモジュール式デジタルカメラ、GXRにマイクロフォーサーズ用センサーモジュールが登場するという噂があるようだ。
これまでの登場しているカメラユニット(レンズとイメージセンサーを一体化したモジュール)は50mm F2.5+23.6×15.7mm(つまりAPC-Sサイズ)のセンサー、24-72mm f2.5-4.4+1/1.7型のセンサー、28-300mm F3.5-5.6+1/2.3型のセンサーの3種類でである(焦点距離はいずれも35mm版換算)。
高画質を謳う割には50mmのユニットを除いてはコンパクトタイプのデジタルカメラと同じサイズのイメージセンサーと使っており、物足りなさを感じさせるものだったが、そこにマイクロフォーサーズ用のイメージセンサーを搭載したモジュールが登場すると云う噂だ。
今現在、RICHO(リコー)はフォーサーズ、マイクロフォーサーズ規格の賛同企業ではないが、フォーサーズグループとしては賛同企業が増えることは歓迎だろうから、リコーが希望さえすればすぐにメンバーになれるのだろう。
この噂が現実のものになったとすると、GXRの本体にマイクロフォーサーズのモジュールをセットし、更にそこにマイクロフォーサーズのレンズを装着することになるのか。と云うことは、他ブランドのレンズを装着するためのアダプタを使うとニコンやキヤノンのレンズ、更にはライカやツァイスのレンズも装着可能になるということだ。GXRとは別にマイクロフォーサーズ規格のカメラを出せばよさそうなものだが、それはリコーのプライドが許さないということなのか。なんだかややこしい話だ。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、「何だなんだ?運動会だ!」。
これまでの登場しているカメラユニット(レンズとイメージセンサーを一体化したモジュール)は50mm F2.5+23.6×15.7mm(つまりAPC-Sサイズ)のセンサー、24-72mm f2.5-4.4+1/1.7型のセンサー、28-300mm F3.5-5.6+1/2.3型のセンサーの3種類でである(焦点距離はいずれも35mm版換算)。
高画質を謳う割には50mmのユニットを除いてはコンパクトタイプのデジタルカメラと同じサイズのイメージセンサーと使っており、物足りなさを感じさせるものだったが、そこにマイクロフォーサーズ用のイメージセンサーを搭載したモジュールが登場すると云う噂だ。
今現在、RICHO(リコー)はフォーサーズ、マイクロフォーサーズ規格の賛同企業ではないが、フォーサーズグループとしては賛同企業が増えることは歓迎だろうから、リコーが希望さえすればすぐにメンバーになれるのだろう。
この噂が現実のものになったとすると、GXRの本体にマイクロフォーサーズのモジュールをセットし、更にそこにマイクロフォーサーズのレンズを装着することになるのか。と云うことは、他ブランドのレンズを装着するためのアダプタを使うとニコンやキヤノンのレンズ、更にはライカやツァイスのレンズも装着可能になるということだ。GXRとは別にマイクロフォーサーズ規格のカメラを出せばよさそうなものだが、それはリコーのプライドが許さないということなのか。なんだかややこしい話だ。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、「何だなんだ?運動会だ!」。
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ニコンの新しいマウント
SLR(一眼レフカメラ)の特徴の一つはレンズの交換が可能なことであるが、レンズの交換が可能と云うことは、当然カメラ本体(ボディ)とレンズを自由に脱着できるということである。撮影のためには当然レンズが必要だから普通はボディにレンズを着けた状態で使用するし(顕微鏡や望遠鏡に着けて使う場合もある。もっとも顕微鏡も望遠鏡もレンズであることに変わりはないが)、レンズを付けたまま保管されているケースが多いと思うが、ボディの数が増えてくると、レンズを着けたままの状態での保管は場所を取るために、保管の際にはレンズを外しておき、撮影の前に、その時の撮影に応じたレンズを着けて出かけるようになったりする。
そうは云ってもレンズを外したままではミラーボックス内に埃が入り、デジタルの場合には厄介なことになるし、マウント開口部の中に間違って指などを突っ込みミラーを触ってしまったりしないように、レンズを外したボディには蓋をしておく。そのための蓋はボディキャップと呼ばれるが、マウントの形状がカメラのブランド(メーカー)によって違うから、当然メーカー別にそのマウント専用のものがある。そしてNikon(ニコン)のSLRのマウントは、1959年の「Nikon F」登場以来ずっと「Fマウント」である。
右側の、Nikonの刻印の下に小さくF mountと書かれているのがニコンのSLR、つまりFマウント用のボディキャップで、左側のNikonとだけ書かれている物が、ニコンが新しく登場させるマウント用のキャップである。と云うのは嘘。ニコンユーザーなら誰でもすぐにわかるように、左側が従来から慣れ親しんだキャップである。
旧来からのボディキャップには「F」もしくは「F mount」と云うような表記はされていなかった。ニコンのSLRのマウントは唯一、FマウントのみだからNikonの刻印のみがあれば十分だったのである。そこに先月登場したのが右の「F mount」と刻印されたキャップ。これはもうFマウント以外のマウントが近いうちに登場し、その新しいマウントと従来のFマウントを区別するためとしか、郷秋<Gauche>には思えないのである。
ところで右側の新しいタイプのボディキャップ、キャップだけを買ったわけじゃないんです。ちょいとクリックしたら届いてしまった「黒い物」に、このキャップがついていたのでした(^^;
追記:9月12日に書いたFマウント以外のニコンマウント?もどうぞ併せてお読みいください。
そうは云ってもレンズを外したままではミラーボックス内に埃が入り、デジタルの場合には厄介なことになるし、マウント開口部の中に間違って指などを突っ込みミラーを触ってしまったりしないように、レンズを外したボディには蓋をしておく。そのための蓋はボディキャップと呼ばれるが、マウントの形状がカメラのブランド(メーカー)によって違うから、当然メーカー別にそのマウント専用のものがある。そしてNikon(ニコン)のSLRのマウントは、1959年の「Nikon F」登場以来ずっと「Fマウント」である。
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右側の、Nikonの刻印の下に小さくF mountと書かれているのがニコンのSLR、つまりFマウント用のボディキャップで、左側のNikonとだけ書かれている物が、ニコンが新しく登場させるマウント用のキャップである。と云うのは嘘。ニコンユーザーなら誰でもすぐにわかるように、左側が従来から慣れ親しんだキャップである。
旧来からのボディキャップには「F」もしくは「F mount」と云うような表記はされていなかった。ニコンのSLRのマウントは唯一、FマウントのみだからNikonの刻印のみがあれば十分だったのである。そこに先月登場したのが右の「F mount」と刻印されたキャップ。これはもうFマウント以外のマウントが近いうちに登場し、その新しいマウントと従来のFマウントを区別するためとしか、郷秋<Gauche>には思えないのである。
ところで右側の新しいタイプのボディキャップ、キャップだけを買ったわけじゃないんです。ちょいとクリックしたら届いてしまった「黒い物」に、このキャップがついていたのでした(^^;
追記:9月12日に書いたFマウント以外のニコンマウント?もどうぞ併せてお読みいください。
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郷秋<Gauche>、神奈川新聞を褒める
いつもは神奈川新聞を厳しく批評している、元へ、愛すべき神奈川新聞がより良い新聞となるためにと、労を惜しまず叱咤激励を続けている郷秋<Gauche>であるが、今日は神奈川新聞を大いに褒めたいと思う。ちなみに郷秋<Gauche>が神奈川新聞のためを思い、どれほどの記事を書いているのかは、画面右側下の方にある検索窓に「神奈川新聞」とキーインして検索していただきたい。その数は、数えるのが大変な程であるはずだ。
前置きが長くなったが、何故今日、郷秋<Gauche>が神奈川新聞を褒めるのかと云うと、同紙がこの度、日本新聞協会が主催する「第30回新聞広告賞 新聞社企画部門・本賞」を受賞したからなのである(see here)。正確を期せば、郷秋<Gauche>が神奈川新聞を褒めるのは、賞を取ったからではなく、受賞ももっともと思う程の素晴らしい企画記事を作成したからである。
その記事とは2006年6月から2010年3月までに12号が発行された「横濱開港新聞」である。「横濱開港新聞」は通常の日刊紙の中に更にもう一部の新聞が挟み込まれた体制で「浦賀沖 黒船現る」「日米和親条約締結」「5カ国と通商条約」「イギリス商人3人殺傷(生麦事件のことだ)」など、幕末から開港100年まで、取り分け明治初期までの「事件」を、当時、今のような新聞があったなら、きっとこんな風に報道するだろうと云ったスタイルで新聞を作成したものである。
折からの「横浜開港150周年」の記念事業として企画された「横濱開港新聞」であるが、郷秋<Gauche>は「創刊プレ号」(云うなら「プレ創刊号」じゃないかと云う気がするが)から毎号楽しみに、隅から隅まで読んで、「神奈川新聞もやるものじゃないかと」感心していたのだが、この度は目出度く受賞との報、まったく同慶の至りである。
今日の神奈川新聞18面にこのことが大きく報じられているのだが、この「横濱開港新聞」、もちろん企画は神奈川新聞であるのだが、記事を執筆したのは横浜開港資料館の調査研究員であったことが明かされている。記事内容が実に正確で紙面全体に破綻がないことから「おかしいな」と思い続けてきた郷秋<Gauche>であったが、今日、ようやくその謎が解けた。
横浜開港資料館が神奈川新聞から原稿執筆の依頼を受けたのは2006年4月のことなのだという。「創刊プレ号」発行までにしても2か月の間があるわけで、それだけの時間があれば、練りに練り、念には念を入れた記事が書けるわけである。
速報性が命の「本物の」新聞の場合には悠長に2か月もかけて記事を書いていられるわけもない。神奈川県内の事件・事故だとしても、時に現場でPCのキーを叩き書いた記事をインターネット経由で本社に送り、即レイアウトされ刷りに入るというようなこともあるだろう。生練りのタイトル、事実誤認の可能性を残した不正確で読みにくい文章、記者の博学、薄学をさらけ出したお笑い物の記事も少なくないのにも理由がない訳じゃない。
しかしだ、いくら速報性が命とは云っても、記事に間違いや誤解の「タネ」が潜んでいたのではお話にならない。だって、新聞社の記者は「早書き」のプロなんだから。そしてカメラマンは写真のプロなんだからピンボケ写真の掲載なんて、許されないのである。
神奈川新聞の企画は素晴らしい。しかし自社の記者が書いた記事に問題多発では全くお話にならない。良い企画を、そして毎日の紙面を自社の記者の正確で読みやすい記事で埋められる日を楽しみに、一日も早く期待に適う新聞になる事を願いつつ、郷秋<Gauche>は神奈川新聞をとり続けるぞ。
写真に解説を加えるなど、俳句に説明(解釈)文を付けるに似た愚の骨頂であるとは知りつつも、今日は書いておくことにしよう。
一番手前の緑は、刈取り後の稲の株からのひこ生え。その奥に、脱穀までを済ませる大型コンバインで刈り取った後の田んぼに干された稲藁。更に竹林をバックに色づき始めた柿木が並び、画面右端、雨上がりの陽にあぶられた畑からは湯気が上がっている、図。
前置きが長くなったが、何故今日、郷秋<Gauche>が神奈川新聞を褒めるのかと云うと、同紙がこの度、日本新聞協会が主催する「第30回新聞広告賞 新聞社企画部門・本賞」を受賞したからなのである(see here)。正確を期せば、郷秋<Gauche>が神奈川新聞を褒めるのは、賞を取ったからではなく、受賞ももっともと思う程の素晴らしい企画記事を作成したからである。
その記事とは2006年6月から2010年3月までに12号が発行された「横濱開港新聞」である。「横濱開港新聞」は通常の日刊紙の中に更にもう一部の新聞が挟み込まれた体制で「浦賀沖 黒船現る」「日米和親条約締結」「5カ国と通商条約」「イギリス商人3人殺傷(生麦事件のことだ)」など、幕末から開港100年まで、取り分け明治初期までの「事件」を、当時、今のような新聞があったなら、きっとこんな風に報道するだろうと云ったスタイルで新聞を作成したものである。
折からの「横浜開港150周年」の記念事業として企画された「横濱開港新聞」であるが、郷秋<Gauche>は「創刊プレ号」(云うなら「プレ創刊号」じゃないかと云う気がするが)から毎号楽しみに、隅から隅まで読んで、「神奈川新聞もやるものじゃないかと」感心していたのだが、この度は目出度く受賞との報、まったく同慶の至りである。
今日の神奈川新聞18面にこのことが大きく報じられているのだが、この「横濱開港新聞」、もちろん企画は神奈川新聞であるのだが、記事を執筆したのは横浜開港資料館の調査研究員であったことが明かされている。記事内容が実に正確で紙面全体に破綻がないことから「おかしいな」と思い続けてきた郷秋<Gauche>であったが、今日、ようやくその謎が解けた。
横浜開港資料館が神奈川新聞から原稿執筆の依頼を受けたのは2006年4月のことなのだという。「創刊プレ号」発行までにしても2か月の間があるわけで、それだけの時間があれば、練りに練り、念には念を入れた記事が書けるわけである。
速報性が命の「本物の」新聞の場合には悠長に2か月もかけて記事を書いていられるわけもない。神奈川県内の事件・事故だとしても、時に現場でPCのキーを叩き書いた記事をインターネット経由で本社に送り、即レイアウトされ刷りに入るというようなこともあるだろう。生練りのタイトル、事実誤認の可能性を残した不正確で読みにくい文章、記者の
しかしだ、いくら速報性が命とは云っても、記事に間違いや誤解の「タネ」が潜んでいたのではお話にならない。だって、新聞社の記者は「早書き」のプロなんだから。そしてカメラマンは写真のプロなんだからピンボケ写真の掲載なんて、許されないのである。
神奈川新聞の企画は素晴らしい。しかし自社の記者が書いた記事に問題多発では全くお話にならない。良い企画を、そして毎日の紙面を自社の記者の正確で読みやすい記事で埋められる日を楽しみに、一日も早く期待に適う新聞になる事を願いつつ、郷秋<Gauche>は神奈川新聞をとり続けるぞ。
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写真に解説を加えるなど、俳句に説明(解釈)文を付けるに似た愚の骨頂であるとは知りつつも、今日は書いておくことにしよう。
一番手前の緑は、刈取り後の稲の株からのひこ生え。その奥に、脱穀までを済ませる大型コンバインで刈り取った後の田んぼに干された稲藁。更に竹林をバックに色づき始めた柿木が並び、画面右端、雨上がりの陽にあぶられた畑からは湯気が上がっている、図。
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猫になれない郷秋<Gauche>
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暇を持て余して大あくび重ねているだけかと思えば、どうした訳か急に背筋を伸ばしキリリといした表情で辺りを見渡したりもする。いったい何を考えているのか知る由もないが、媚びず恐れず侮らず、大人然とした猫の表情が哲学者風に見えるのは郷秋<Gauche>の気のせいだろうか。
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猫になりたい郷秋<Gauche>
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横浜みどり税
横浜市では2009年度から5年間、独自の市税として「みどり税」が導入された。個人の場合には年額900円、法人はその規模により年額54,500~3,270,000円と定められ、年平均の税収規模は個人16億円、法人8億円、合計24億円を見込み、その税収は公有地化等樹林地・農地の保全、緑化の推進、維持管理の充実による緑の質の向上、市民参画の促進などの施策・事業に充てるとされている(詳細はこちらを参照)。
横浜市内の森林や農地が保全され、更に緑地が増えるのならば、郷秋<Gauche>としては大賛成なのだが、はたして具体的にはどんなところにどんな風に使われるのか、お役所仕事の常でさっぱりわからないまま課税2年目となっていたのだがつい最近、極小さなものだが、こんな看板が立っているのを発見した。
立てられた看板には「じじ池水利組合」と書かれているが、場所から云って「白山谷戸水利組合」と同じもを指しているのだと思われる。この立て看板のすぐ右わきには灌漑用(農業用)の井戸のポンプ小屋があり、更に北西200mのところにもポンプ小屋がある。二つのポンプ小屋のちょうど中間あたりに、田んぼに水が入る時期だけに出現する小さな池があり、これがおそらく「じじ池」なのだと思われる。
いずれにせよ、郷秋<Gauche>が納税した「みどり税」の(極々)一部が、この水利を利用する白山谷戸の田んぼの保全のために使われているらしいことが判ったのである。
稲刈り時の白山谷戸(2010年9月26日撮影)。
厳しい経済環境下、法人の場合には最低でも年額54,500円のみどり税は厳しいという経営者もいるかも知れないが、郷秋<Gauche>に云わせてもらえば、わずか月75円(個人の場合)でこの豊かな自然が保全されるのだとすれば、それは安いものである。
白山谷戸でも高齢化により休耕田が出始めている。こう云った休耕田が市民参画のプロジェクトで甦るのだとすれば素晴らしいことであるが、自然を育む営みは10年スパンで考えなければならない。みどり税は時点では5年間の時限立法のようだが、この制度がより充実しつつ永く続き、緑と心の豊かな横浜になることを願ってやまない。豊かな自然は人の心を育み、豊かな心こそが美しい自然を育むのだと信じたい郷秋<Gauche>である。
横浜市内の森林や農地が保全され、更に緑地が増えるのならば、郷秋<Gauche>としては大賛成なのだが、はたして具体的にはどんなところにどんな風に使われるのか、お役所仕事の常でさっぱりわからないまま課税2年目となっていたのだがつい最近、極小さなものだが、こんな看板が立っているのを発見した。
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立てられた看板には「じじ池水利組合」と書かれているが、場所から云って「白山谷戸水利組合」と同じもを指しているのだと思われる。この立て看板のすぐ右わきには灌漑用(農業用)の井戸のポンプ小屋があり、更に北西200mのところにもポンプ小屋がある。二つのポンプ小屋のちょうど中間あたりに、田んぼに水が入る時期だけに出現する小さな池があり、これがおそらく「じじ池」なのだと思われる。
いずれにせよ、郷秋<Gauche>が納税した「みどり税」の(極々)一部が、この水利を利用する白山谷戸の田んぼの保全のために使われているらしいことが判ったのである。
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厳しい経済環境下、法人の場合には最低でも年額54,500円のみどり税は厳しいという経営者もいるかも知れないが、郷秋<Gauche>に云わせてもらえば、わずか月75円(個人の場合)でこの豊かな自然が保全されるのだとすれば、それは安いものである。
白山谷戸でも高齢化により休耕田が出始めている。こう云った休耕田が市民参画のプロジェクトで甦るのだとすれば素晴らしいことであるが、自然を育む営みは10年スパンで考えなければならない。みどり税は時点では5年間の時限立法のようだが、この制度がより充実しつつ永く続き、緑と心の豊かな横浜になることを願ってやまない。豊かな自然は人の心を育み、豊かな心こそが美しい自然を育むのだと信じたい郷秋<Gauche>である。
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同時にやって来た2000日目と50,000 Hits
郷秋<Gauche>がblog版の「独り言」(つまりこのページのことだ)を始めたのが2005年4月20日。今から5年半前のことだが、当たり前のことだが、5年半前と云うのは約2,000日になるわけで、実は今日がそのめでたい(かどうかはわからないが)2,000日目に当たるのである。
2005年4月20日以降、毎日一本、時に二本の記事を書き続けて2,000日。多い日には2,000字、少ない日だと200字程度の時もあるけれど、毎日800~1,600文字(原稿用紙2~4枚)程度、欠かさず書いている。少なめに見積もって平均1,000字と仮定すると2,000日で2,000,000字、400字詰原稿用紙で5,000枚となる。
小説だと「渾身の1,000枚、待望の長編小説刊行!」なんてことになるんだと思う。そういう云い方をすると、郷秋<Gauche>は毎年一冊ずつ長編小説を書いたことになるが、何分内容の伴わない「駄文」だからなぁ・・・。駄文をいくら重ねても、人が読みたい長編小説にはなりえないな。トホホ。
読者諸兄・諸姉には2,000日で5,000枚分の駄文をお読みいただいたのと同時に、2,000枚の写真をご覧いただいたことになる。文章の方は「指から出まかせ」で、何とでも書けるが、写真はそうはいかない。郷秋<Gauche>の主たるフィールドである恩田の森に出かけるのは週に一度。毎回100~300枚の写真を撮って来るのだが、blog用に7枚、恩田Now用4枚、最低でも一週間に11枚の写真が必要になるのだが、これがなかなか大変なことなのである。
特に週末近くなるとご覧いただけそうな写真の手持ちが尽きて、汗顔の思いで「駄写真」をお見せすることになる。フィルム時代に「一本撮って2、3枚」という云い方があった。つまり36枚撮って、ものに「なりそう」なのが2、3枚あれば良い方だと云う意味である。
デジタル時代になってシャッターボタンを押す回数がフィルム時代の数倍になっているから、今なら「100枚撮って2、3枚」という云うところだろうか。更に歩留りの悪い郷秋<Gauche>の場合には300枚撮っても一週間分の11枚を確保するのは厳しくていつも四苦八苦の自転車操業である。
さて、50,000 Hitsはと云えば、恩田の森のアクセス数が今日、50,000になったと云うお話である。こちらはblogに先立つこと1年、2004年4月にスタートしており、2371日目の50,000ヒットである。計算すればお分かりの通り、一日当たり20件程度のアクセスの超マイナーサイトではあるけれど、これがあったからこそ週に一度の森での撮影が今日まで続いていると云える、郷秋<Gauche>にとっては貴重なサイトである。
ちなみにblogの方は累積ページビューが1,333,000、ユニークなアクセス数が462,000で、通算の一日当たり平均は690と240だが、直近の一か月平均ではそれぞれ1,243、418となっている。こちらの方はずっと停滞気味の「恩田の森」と違い、初期の少アクセスから増加一途の時期もあったが、最近はさすがに頭打ちである。
一週間ほど前にblog 2000日と恩田の森50,000アクセスがほぼ同時に来そうなことに気が付いたのでしたが、まさか全く同じ日に達成とは、さすがの郷秋<Gauche>もびっくり驚いたのでありましたが、これもこれまでご覧くださった皆さんのお陰です。どちらも今のところすぐに止める予定はありませんので、お暇とご興味をお持ちの方は、今後とも引き続きご訪問くださいますようお願い申し上げます。どうぞご贔屓に!
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、節目の2000日目と50,000 Hitsに相応しいかどうかはまったく関係なく、近頃ではすっかりお友達になれたような気が(一方的に)している、恩田の森の半家・半野良の二匹。
2005年4月20日以降、毎日一本、時に二本の記事を書き続けて2,000日。多い日には2,000字、少ない日だと200字程度の時もあるけれど、毎日800~1,600文字(原稿用紙2~4枚)程度、欠かさず書いている。少なめに見積もって平均1,000字と仮定すると2,000日で2,000,000字、400字詰原稿用紙で5,000枚となる。
小説だと「渾身の1,000枚、待望の長編小説刊行!」なんてことになるんだと思う。そういう云い方をすると、郷秋<Gauche>は毎年一冊ずつ長編小説を書いたことになるが、何分内容の伴わない「駄文」だからなぁ・・・。駄文をいくら重ねても、人が読みたい長編小説にはなりえないな。トホホ。
読者諸兄・諸姉には2,000日で5,000枚分の駄文をお読みいただいたのと同時に、2,000枚の写真をご覧いただいたことになる。文章の方は「指から出まかせ」で、何とでも書けるが、写真はそうはいかない。郷秋<Gauche>の主たるフィールドである恩田の森に出かけるのは週に一度。毎回100~300枚の写真を撮って来るのだが、blog用に7枚、恩田Now用4枚、最低でも一週間に11枚の写真が必要になるのだが、これがなかなか大変なことなのである。
特に週末近くなるとご覧いただけそうな写真の手持ちが尽きて、汗顔の思いで「駄写真」をお見せすることになる。フィルム時代に「一本撮って2、3枚」という云い方があった。つまり36枚撮って、ものに「なりそう」なのが2、3枚あれば良い方だと云う意味である。
デジタル時代になってシャッターボタンを押す回数がフィルム時代の数倍になっているから、今なら「100枚撮って2、3枚」という云うところだろうか。更に歩留りの悪い郷秋<Gauche>の場合には300枚撮っても一週間分の11枚を確保するのは厳しくていつも四苦八苦の自転車操業である。
さて、50,000 Hitsはと云えば、恩田の森のアクセス数が今日、50,000になったと云うお話である。こちらはblogに先立つこと1年、2004年4月にスタートしており、2371日目の50,000ヒットである。計算すればお分かりの通り、一日当たり20件程度のアクセスの超マイナーサイトではあるけれど、これがあったからこそ週に一度の森での撮影が今日まで続いていると云える、郷秋<Gauche>にとっては貴重なサイトである。
ちなみにblogの方は累積ページビューが1,333,000、ユニークなアクセス数が462,000で、通算の一日当たり平均は690と240だが、直近の一か月平均ではそれぞれ1,243、418となっている。こちらの方はずっと停滞気味の「恩田の森」と違い、初期の少アクセスから増加一途の時期もあったが、最近はさすがに頭打ちである。
一週間ほど前にblog 2000日と恩田の森50,000アクセスがほぼ同時に来そうなことに気が付いたのでしたが、まさか全く同じ日に達成とは、さすがの郷秋<Gauche>もびっくり驚いたのでありましたが、これもこれまでご覧くださった皆さんのお陰です。どちらも今のところすぐに止める予定はありませんので、お暇とご興味をお持ちの方は、今後とも引き続きご訪問くださいますようお願い申し上げます。どうぞご贔屓に!
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、節目の2000日目と50,000 Hitsに相応しいかどうかはまったく関係なく、近頃ではすっかりお友達になれたような気が(一方的に)している、恩田の森の半家・半野良の二匹。
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小林可夢偉のライバルはスーティル
2010年F1日本GPが終わった。小林可夢偉を中心に観戦すれば、これほど面白いレースないというレースではあったが、冷静に、ヨーロッパの多くのファンの目でこのレースを見ると、実に淡々とした面白みに欠けるレースであったということになるのだろうな。
残り3戦となり(韓国GPが行われればと云う前提だが)ますます熾烈になったチャンピョンシップ争いだが、全戦に引き続きウェバーが1位(220ポイント)をキープ。べッテルが優勝の25ポイントを加え206ポイントとアロンソと同ポイントとしたが、優勝回数で順位はアロンソの次の3位。
ギアボックストラブルにより5位が精いっぱいだったハミルトンが4位に後退。4位フィニッシュのバトンは12ポイントを積み上げたが、トップのウェバーに対しては一発での逆転が不可能な31ポイント差となり、チャンピョンシップではハミルトンとともに置いてけ堀を食った格好である。
残りの韓国、ブラジル、アブダビの各コースレイアウトを見ると3チームいずれが優位とは云い難い、いずれも長いストレートと低速高コーナーを組み合わせた面白いコースで、マシンの優劣よりもドライバーのモチベーションにより勝敗が決まりそうな3戦である。
モチベーションで云えば、マクラーレンの二人は既に脱落していると郷秋<Gauche>はみる。その差14ポイントの中にいる、ウェバー、アロンソ、ベッテルの3人による争いとなるだろうとは郷秋<Gauche>の予想だが、なかでもアロンソのチャンピョン獲得への強い意志がどこまで結果を呼び寄せることができるかが、残り3戦の見どころとなることだろう。
さて、小林可夢偉だ。日本のF1ファンにとっては5人によるチャンピョンシップ争い以上に、小林がどこまでいけるかが、今年のポイントとなった日本GPであった。結果はご存じの通り終盤の怒涛の追い上げで見事7位フィニッシュ。既に2011年のザウバー残留が発表されている小林だが、ひょっとすると更に上位のチームからオファーもありそうな、そんな見事なレース運びであった。拍手!
ところで、今日の小文にタイトルは「小林可夢偉のライバルはスーティル」である。今日の小林は確かに良いレースをしたが、同程度のマシンと目されるフォースインディア・メルセデスを駆るエイドリアン・スーティルには20ポイントもの差を付けられている。しかし、今日のレースのファステストラップタイムを見る限りでは1:34.480の小林はスーティルの1:36.319に対して大きくリード。この調子で残り3戦で20ポイントの差を少しでも詰めることこそが、小林にとって更に明るい2011年をもたらすことになるだろう。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、「百日紅」とは云ってもさすがに終わりを迎えた百日紅(さるすべり)の花。
残り3戦となり(韓国GPが行われればと云う前提だが)ますます熾烈になったチャンピョンシップ争いだが、全戦に引き続きウェバーが1位(220ポイント)をキープ。べッテルが優勝の25ポイントを加え206ポイントとアロンソと同ポイントとしたが、優勝回数で順位はアロンソの次の3位。
ギアボックストラブルにより5位が精いっぱいだったハミルトンが4位に後退。4位フィニッシュのバトンは12ポイントを積み上げたが、トップのウェバーに対しては一発での逆転が不可能な31ポイント差となり、チャンピョンシップではハミルトンとともに置いてけ堀を食った格好である。
残りの韓国、ブラジル、アブダビの各コースレイアウトを見ると3チームいずれが優位とは云い難い、いずれも長いストレートと低速高コーナーを組み合わせた面白いコースで、マシンの優劣よりもドライバーのモチベーションにより勝敗が決まりそうな3戦である。
モチベーションで云えば、マクラーレンの二人は既に脱落していると郷秋<Gauche>はみる。その差14ポイントの中にいる、ウェバー、アロンソ、ベッテルの3人による争いとなるだろうとは郷秋<Gauche>の予想だが、なかでもアロンソのチャンピョン獲得への強い意志がどこまで結果を呼び寄せることができるかが、残り3戦の見どころとなることだろう。
さて、小林可夢偉だ。日本のF1ファンにとっては5人によるチャンピョンシップ争い以上に、小林がどこまでいけるかが、今年のポイントとなった日本GPであった。結果はご存じの通り終盤の怒涛の追い上げで見事7位フィニッシュ。既に2011年のザウバー残留が発表されている小林だが、ひょっとすると更に上位のチームからオファーもありそうな、そんな見事なレース運びであった。拍手!
ところで、今日の小文にタイトルは「小林可夢偉のライバルはスーティル」である。今日の小林は確かに良いレースをしたが、同程度のマシンと目されるフォースインディア・メルセデスを駆るエイドリアン・スーティルには20ポイントもの差を付けられている。しかし、今日のレースのファステストラップタイムを見る限りでは1:34.480の小林はスーティルの1:36.319に対して大きくリード。この調子で残り3戦で20ポイントの差を少しでも詰めることこそが、小林にとって更に明るい2011年をもたらすことになるだろう。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、「百日紅」とは云ってもさすがに終わりを迎えた百日紅(さるすべり)の花。
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F1日本GP予選、明日に延期
かなり激しい雨が降っていたようだから中止もやむを得なかったのだと思うけれど、雨で予選が決勝レース日の前日に延期と云うことは、郷秋<Gauche>の記憶にもほとんどないな。今日のチケットは払い戻しかと思ったら、土日通しのチケットになっているようで払い戻しはないとのこと。
さて、明日10時から行われる予選の天気が心配になるのだが、Yahoo!天気予報によると9時には弱い雨で12時には晴れとなっている。いや~~~っ、ビミョーな天気である。予選開始時にはまだ雨が残っているかも知れないが、後半は止むがまだコースは濡れている状態か。3時からの決勝レース開始時にはもう完全ドライだ。
ドライバーだけではなくチームにとっても忙しい一日になりそうだ。コンディションが目まぐるしく変わるレースとなると、長い経験を有するチームとドライバーが断然有利となる。となるとレッドブルには不利、マクラーレンとフェラーリ、バトンとアロンソには有利な展開と云うことになるわけだが、だとするとチャンピョンシップの行方はますます面白いくなって来る。明日のレースが楽しみだぞ。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、昨日に続いて恩田の森、白山谷戸の稲刈り。昨日ご覧いただいた写真の正面に見える辺りから撮ったもの。ホントに小さな田んぼであることがお分かりいただけることだろう。
さて、明日10時から行われる予選の天気が心配になるのだが、Yahoo!天気予報によると9時には弱い雨で12時には晴れとなっている。いや~~~っ、ビミョーな天気である。予選開始時にはまだ雨が残っているかも知れないが、後半は止むがまだコースは濡れている状態か。3時からの決勝レース開始時にはもう完全ドライだ。
ドライバーだけではなくチームにとっても忙しい一日になりそうだ。コンディションが目まぐるしく変わるレースとなると、長い経験を有するチームとドライバーが断然有利となる。となるとレッドブルには不利、マクラーレンとフェラーリ、バトンとアロンソには有利な展開と云うことになるわけだが、だとするとチャンピョンシップの行方はますます面白いくなって来る。明日のレースが楽しみだぞ。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、昨日に続いて恩田の森、白山谷戸の稲刈り。昨日ご覧いただいた写真の正面に見える辺りから撮ったもの。ホントに小さな田んぼであることがお分かりいただけることだろう。
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村上春樹氏、落選
今年のノーベル賞各賞が発表されつつある。鈴木章、根岸英一両氏の化学賞受賞が決まった。ここ数年来文学賞の候補に挙がっていると云われている村上春樹氏の事が気になっていたファンも多かったことと思うが、今年の文学賞はペルーの作家、マリオ・バルガス・リョサ氏が受賞することとなった。つまり、村上春樹氏は落選である。
かつて井上靖氏が、毎年この時期になると受賞を知らせる電話を待っていたと聞いたことがある。そして仲間と一緒に、残念、残念と、きっと「選考委員の連中は文学の何たるかを知らんのだよ」などと云いながら悔し紛れの酒をあおっていたのだろうと郷秋<Gauche>は思う。
さて、村上氏。郷秋<Gauche>に云わせれば氏の作品は、実に大変非常に手の込んだ(創り込んだ)飛び切り上等な娯楽小説だと思っている。つまり、郷秋<Gauche>的には彼の作品は純文学じゃないんだな。それじゃ、娯楽小説と純文学作品の定義は何かと聞かれると困るのだが、郷秋<Gauche>的には村上氏の作品は純文学作品には分類されていないということだ。
過去に日本人でノーベル文学賞の候補になったと云われている作家には谷崎潤一郎、井上靖、三島由紀夫、安部公房、遠藤周作などがいるが、実際に受賞したのは川端康成と大江健三郎の二人のみである。先に挙げた5氏がいずれも受賞できないまま没したことを考えた時、果たして村上氏に受賞のチャンスが巡って来るかどうか、郷秋<Gauche>は大いに疑問である。
つまりだ、村上作品が全世界的に売れているからと云って、だからノーベル文学賞はないだろうと云うことである。彼の作品に人が人たり得る根本的な問題に対する問いかけ、回答もしくは一定以上のヒントを提示した作品があるのか、云ってしまえば、谷崎、三島、遠藤と云った作家が到達し得た、人間性の根幹を問う、純文学作品としての高みに至った作品があるのかと云うことである。
村上氏の諸作品が、あるカテゴリの中でその高みに達したことを郷秋<Gauche>は大いに認めるが、果たしてそれがノーベル文学賞選考の時に語られるべきカテゴリなのかどうか。村上氏の才能はノーベル文学賞とは違った次元で語られ、かつ賞されるべきであろうと郷秋<Gauche>は思うぞ。
注:ノーベル賞は最終的な受賞者だけが発表され、候補となった方の氏名などは50年間公開されないこととなっているようである。従って村上氏はもちろんの事、先に挙げた谷崎潤一郎以下5人の作家も、あくまでも候補であったことが推定される、と云う話である。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、恩田の森、白山谷戸の稲刈り。一昨日ご覧いただいた写真とほとんど同じ立ち位置での撮影ですが、レンズの画角と絞りを変えることで全く違った絵を創ることができます。これが写真の醍醐味ですね。
かつて井上靖氏が、毎年この時期になると受賞を知らせる電話を待っていたと聞いたことがある。そして仲間と一緒に、残念、残念と、きっと「選考委員の連中は文学の何たるかを知らんのだよ」などと云いながら悔し紛れの酒をあおっていたのだろうと郷秋<Gauche>は思う。
さて、村上氏。郷秋<Gauche>に云わせれば氏の作品は、実に大変非常に手の込んだ(創り込んだ)飛び切り上等な娯楽小説だと思っている。つまり、郷秋<Gauche>的には彼の作品は純文学じゃないんだな。それじゃ、娯楽小説と純文学作品の定義は何かと聞かれると困るのだが、郷秋<Gauche>的には村上氏の作品は純文学作品には分類されていないということだ。
過去に日本人でノーベル文学賞の候補になったと云われている作家には谷崎潤一郎、井上靖、三島由紀夫、安部公房、遠藤周作などがいるが、実際に受賞したのは川端康成と大江健三郎の二人のみである。先に挙げた5氏がいずれも受賞できないまま没したことを考えた時、果たして村上氏に受賞のチャンスが巡って来るかどうか、郷秋<Gauche>は大いに疑問である。
つまりだ、村上作品が全世界的に売れているからと云って、だからノーベル文学賞はないだろうと云うことである。彼の作品に人が人たり得る根本的な問題に対する問いかけ、回答もしくは一定以上のヒントを提示した作品があるのか、云ってしまえば、谷崎、三島、遠藤と云った作家が到達し得た、人間性の根幹を問う、純文学作品としての高みに至った作品があるのかと云うことである。
村上氏の諸作品が、あるカテゴリの中でその高みに達したことを郷秋<Gauche>は大いに認めるが、果たしてそれがノーベル文学賞選考の時に語られるべきカテゴリなのかどうか。村上氏の才能はノーベル文学賞とは違った次元で語られ、かつ賞されるべきであろうと郷秋<Gauche>は思うぞ。
注:ノーベル賞は最終的な受賞者だけが発表され、候補となった方の氏名などは50年間公開されないこととなっているようである。従って村上氏はもちろんの事、先に挙げた谷崎潤一郎以下5人の作家も、あくまでも候補であったことが推定される、と云う話である。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、恩田の森、白山谷戸の稲刈り。一昨日ご覧いただいた写真とほとんど同じ立ち位置での撮影ですが、レンズの画角と絞りを変えることで全く違った絵を創ることができます。これが写真の醍醐味ですね。
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これは何だ? ルノー・トゥインゴだ!
クルマ好き、それもラテン車好きならすぐにわかる、ルノー・トゥインゴだ。しかも9台、しかもすべてナンバー付。こんなことってオーナーズクラブのミーティングでもなければそうそう見られるものではないが、しかもだ、ナンバーは連番だしボンネットには納車前の傷防止のためにフィルムまで貼ってある。
撮影場所がどこなのかは伏せておいた方が良さそうだが、特段秘密の場所と云うわけではない。結構ひっきりなしにクルマが行き来する県道沿いの空き地である。要するに、登録台数を稼ぐために、売れてもいないクルマをディーラー名義で登録した、所謂「新古車」と云うことなのだろう。
しかしだ、ルノー・トゥインゴ、悪くないぞ。なんだかちょっと前までのルノー車にあった奇を衒った感じが失せて、いかにもヨーロッパの「下駄」(いや、サンダルか)的な雰囲気が出ている。全長3.6mと云う小さなボディの中に、ライバルたるフィアット500やミニよりもはるかに実用的なリアシートを持っている云うことだし、価格もごくリーズナブルだ。
郷秋<Gauche>の通勤の足には持って来いのトゥインゴだ。誰か、フレンチブルーのトゥインゴを郷秋<Gauche>のもとに一台、持って来い!
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撮影場所がどこなのかは伏せておいた方が良さそうだが、特段秘密の場所と云うわけではない。結構ひっきりなしにクルマが行き来する県道沿いの空き地である。要するに、登録台数を稼ぐために、売れてもいないクルマをディーラー名義で登録した、所謂「新古車」と云うことなのだろう。
しかしだ、ルノー・トゥインゴ、悪くないぞ。なんだかちょっと前までのルノー車にあった奇を衒った感じが失せて、いかにもヨーロッパの「下駄」(いや、サンダルか)的な雰囲気が出ている。全長3.6mと云う小さなボディの中に、ライバルたるフィアット500やミニよりもはるかに実用的なリアシートを持っている云うことだし、価格もごくリーズナブルだ。
郷秋<Gauche>の通勤の足には持って来いのトゥインゴだ。誰か、フレンチブルーのトゥインゴを郷秋<Gauche>のもとに一台、持って来い!
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ピンボケ写真を掲載する神奈川新聞のセンス
昨日(10月6日)付の神奈川新聞の記事を見て郷秋<Gauche>は仰天した。
問題の記事は20面にある「天候不順で狂い咲き!? ―三浦海岸の河津桜―」。Web版には記事のサマリと紙面掲載と同じ写真が掲載されているのでご覧いただきたい(see here)。
クリックして大きくした写真にご注目いただきたい。この写真の主題(テーマ)は画面上部中央の、狂い咲きした河津桜である。画面左側の何やら作業をしているらしき男性と自転車で通りがかった人を意図的に「ぼかし」、テーマである河津桜にピントを合わせて引き立たせている、はずなのだが、そのピントが見事に外れ、実際にピントが合っているのはテーマであるはずの画面中央にある河津桜ではなく、その右手後ろにある花の方なのである。
実に見事なピンボケ写真を、神奈川新聞は惜しげもなく、堂々とその紙面に掲載している。いったいどういうつもりでこんな写真を掲載することになったのか、あるいは掲載しなければならなかったのか、郷秋<Gauche>には全く理解できないし、名前は伏せるが(記名の記事である)、記者が気の毒である。もっとも、記事と共に自分が撮影した「あの」写真を使って欲しいと伝えたのだとすれば、デスクのみならず記者本人のセンスも疑わざるを得ないのだが。
「カネを取る写真にピンボケは許されない」のである。もちろん、先にも書いたが主題を引き立たせるためにバックをぼかすことはある。その一瞬こそが大切な写真であれば、多少ぼけていても、水平線が傾いていても十分な価値を持つ写真だと云える。でもだ、昨日の「河津桜」は違うだろう。こんなピンボケ写真を紙面に掲載する神奈川新聞のセンス(見識と云っても良い)を郷秋<Gauche>は疑わざるを得ない。
さてこの写真、バックのボケを意図的に作るようにしてはいるが、テーマ(であるはず)の、大きく捉えた目の前の一輪の河津桜とボケの中にいる二人の人物のとの距離感からすると、望遠レンズではなく、例えば35mm F1.4と云うような非常に明るい広角レンズを使い、絞り開放で撮影したもの思われる。中央上部の花にピントがぴたりと来ていれば、明るい広角レンズの使い方の手本となるところなのだが、いかんせん肝心なテーマがピンボケとなっている。
神奈川新聞は商業新聞であり、その社員たる記者やカメラマンはプロであるはずなのだが、プロの仕事としてこの写真はまったくいただけない。まっ、郷秋<Gauche>の場合は、このblogの記事や同時に毎日掲載している写真によって生活の糧を得ているわけではないので、記事内容が見当違いであっても、誤字・脱字があっても、写真がピンボケであったりぶれていたりしても非難される筋合いはないぞ、っていうか、クレームつけたりしないでね(^^;。
人の撮ったピンボケ写真に思いっきりケチをつけた今日の一枚は、恩田の森、白山谷戸の稲刈り前の稲田をバックにした、画面の98%はぼけている写真。この写真の場合、一輪のコスモスを浮かび上がらせるためにバックのすべてをぼかしているのです。
問題の記事は20面にある「天候不順で狂い咲き!? ―三浦海岸の河津桜―」。Web版には記事のサマリと紙面掲載と同じ写真が掲載されているのでご覧いただきたい(see here)。
クリックして大きくした写真にご注目いただきたい。この写真の主題(テーマ)は画面上部中央の、狂い咲きした河津桜である。画面左側の何やら作業をしているらしき男性と自転車で通りがかった人を意図的に「ぼかし」、テーマである河津桜にピントを合わせて引き立たせている、はずなのだが、そのピントが見事に外れ、実際にピントが合っているのはテーマであるはずの画面中央にある河津桜ではなく、その右手後ろにある花の方なのである。
実に見事なピンボケ写真を、神奈川新聞は惜しげもなく、堂々とその紙面に掲載している。いったいどういうつもりでこんな写真を掲載することになったのか、あるいは掲載しなければならなかったのか、郷秋<Gauche>には全く理解できないし、名前は伏せるが(記名の記事である)、記者が気の毒である。もっとも、記事と共に自分が撮影した「あの」写真を使って欲しいと伝えたのだとすれば、デスクのみならず記者本人のセンスも疑わざるを得ないのだが。
「カネを取る写真にピンボケは許されない」のである。もちろん、先にも書いたが主題を引き立たせるためにバックをぼかすことはある。その一瞬こそが大切な写真であれば、多少ぼけていても、水平線が傾いていても十分な価値を持つ写真だと云える。でもだ、昨日の「河津桜」は違うだろう。こんなピンボケ写真を紙面に掲載する神奈川新聞のセンス(見識と云っても良い)を郷秋<Gauche>は疑わざるを得ない。
さてこの写真、バックのボケを意図的に作るようにしてはいるが、テーマ(であるはず)の、大きく捉えた目の前の一輪の河津桜とボケの中にいる二人の人物のとの距離感からすると、望遠レンズではなく、例えば35mm F1.4と云うような非常に明るい広角レンズを使い、絞り開放で撮影したもの思われる。中央上部の花にピントがぴたりと来ていれば、明るい広角レンズの使い方の手本となるところなのだが、いかんせん肝心なテーマがピンボケとなっている。
神奈川新聞は商業新聞であり、その社員たる記者やカメラマンはプロであるはずなのだが、プロの仕事としてこの写真はまったくいただけない。まっ、郷秋<Gauche>の場合は、このblogの記事や同時に毎日掲載している写真によって生活の糧を得ているわけではないので、記事内容が見当違いであっても、誤字・脱字があっても、写真がピンボケであったりぶれていたりしても非難される筋合いはないぞ、っていうか、クレームつけたりしないでね(^^;。
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人の撮ったピンボケ写真に思いっきりケチをつけた今日の一枚は、恩田の森、白山谷戸の稲刈り前の稲田をバックにした、画面の98%はぼけている写真。この写真の場合、一輪のコスモスを浮かび上がらせるためにバックのすべてをぼかしているのです。
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D800のガイドブックが2011年2月に出る
例によってNikon Rumoresによれば、Nikon(ニコン)D800のガイドブックが2011年2月に出るらしい。フランスの出版社から出るフランス語のガイドブックのようだが、なぜかamazon.co.ukにこの本の情報が掲載されている。
紹介記事によれば、D700は2,800ユーロの価格で2008年8月に発売されて大成功した。D800は画素数が12MPから24MPに倍増し、2000〜2500ユーロ間で売られるとのこと。画素数倍増で価格は大幅下落。事実なら大歓迎だが、「D700は2009年の終わりに、後継機であるD800と取り替えられるでしょう」なんて書かれていたりもするから、怪しい。
しかしだ、「Obtenez le maximum du Nikon D800」と題するこの本、既に978-2100541027と云うISBNコードまで付与されているところをみると、本当に出版されそうではある。D800のガイドブックが出るということは、もちろんNikon D800と云うカメラが発売されるということを意味しているわけだが、果たして如何に。
例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、恩田の森、白山谷戸の稲刈り風景。
紹介記事によれば、D700は2,800ユーロの価格で2008年8月に発売されて大成功した。D800は画素数が12MPから24MPに倍増し、2000〜2500ユーロ間で売られるとのこと。画素数倍増で価格は大幅下落。事実なら大歓迎だが、「D700は2009年の終わりに、後継機であるD800と取り替えられるでしょう」なんて書かれていたりもするから、怪しい。
しかしだ、「Obtenez le maximum du Nikon D800」と題するこの本、既に978-2100541027と云うISBNコードまで付与されているところをみると、本当に出版されそうではある。D800のガイドブックが出るということは、もちろんNikon D800と云うカメラが発売されるということを意味しているわけだが、果たして如何に。
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例によって記事本文とは何の関係もない今日の一枚は、恩田の森、白山谷戸の稲刈り風景。
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