敬老の日は以前は9月15日でした。
敬老の日は、法律によると「多年にわたり社会につくしてきた老人を
敬愛し、長寿を祝う」趣旨ということです。
しかし、今の老人は、こういうお祝いを望んでいるのでしょうか。
長寿は当たり前の時代です。
むしろ、定年後の長い長い人生をいかに生きるか、生きるべきか
迷っているのではないでしょうか。
子育てを終わり、家族を養うことも済ませ、肩の荷を降ろして
ほっと安堵しています。
しかし、そのあとの40年近くをただ、無責任に生きるとだけを
高齢者が望んでいるとは思いません。
自分の生き方や社会とのかかわりを、若者たちの決めてもらえば
いいというような考えでもないはずです。
社会の2割も3割にもあたる人間たちが、ただ若者たちに世話を
されて受動的になされるままに生きればいいなど
あり得ないと思うのです。
それって体の良い姥捨て思想です。
もっと自分たちの生き方に積極的にかかわり、また自分たち以外の
世代のためにも、ほどほど役に立ちたいと思っているはずです。
人生100年の時代は人類にとって初めての経験です。
したがって新しい挑戦です。
敬老の日を、そうい新しい挑戦の日、新しい生き方の創造の日、
あるいはそれを考えるきっかけの日にしたいなと
個人的には考えています。