弁護士太田宏美の公式ブログ

正しい裁判を得るために

アメリカと日本の違い

2012年10月26日 | 日記

グーグルで最も活躍する日本人の軌跡 飛び込んだから実感できた個性を生かす米国と日本の違い 高校から多様性を尊重し日替わりヒーローを生む挑戦風土(日経ビジネスオンライン) - goo ニュース

少々話がそれるかもしれませんが、
日本は後からルールが決まる国であり、
アメリカは最初にルールを作る国ではないかと思うのです。

例にとると、日本は投網で一遍に魚をとる、当然、大きいの小さいの
あるいは石ころなど全く関係ないものもある。
とった後、これは違う、これはAだ、これはBだと決めるわけです。
今度はちがうところで投網をすると当然魚だってちがうと思うのですが、
投網というのは同じなので、取れたものの違いをどう判断するか
基準が明確ではないのです。

ところがアメリカは、一本ずりのようなものです。
一つ一つの事実を前提にルールを決めるのです。
Aの魚の場合は、Bの場合は、さらに、雨の場合は、沖合から~キロ以内の
場合はという風に事細かにまずルールが決まり、
嵐の場合がなかったとすると、まずそれに似通ったルールを元に
どこが同じでどこが違うので、こういう風にしよう、そして新しいルールができるのです。
だからアメリカの場合は事細かにルールを覚える必要がある、
でもそういうルールのまだないところでは、今あるルールを考えながら、異なった事実のもとで
どうすべきか自分で判断できるのです。

青色ダイオードの中村修二氏が日本は「本に書いてあることを教える」
アメリカは「本にもなっていない生きた知識をを教える」という言い方(25日日経新聞
辛言直言)をしているのも同じことではないかと思います。

したがって、1票の価値の平等というルールがしっかりとしていれば、
当然1票=1倍だとなります。
1.1倍とか1.2倍と言うことはあり得ても
5倍などということはあり得ないのです。

多様性というのは基準の明確ないろんなルールがあるということだと思います。
1倍と5倍が同じというのは1から5まで要は一つということですが、
アメリカ風では最低限1,2,3,4,5の5通りの多様性がある、
あるいは、1、1.1、1,2,1,3、2以上というような多様性になるのかもしれませんが
いずれにしても一通りではないはずです。
そして1というのはせいぜい1.3くらいまでというのは四捨五入すれば1ですから
誰にも理解できますが、
1というのは5まで含むんだとなると1と2,1と3、1と4、1と5は絶対に違うわけですから
それが同じというのでは、誰にもわからないと思うのです。
同じなら2,3,4,5も不要なはずです。
少なくとも外国人にはわからないと思います。

抽象的な話になってしまいましたが、こういう分かりにくさがアメリカには
ないということなのだと思います。
わけのわからないことを気にしなくてもいいというのが個性を生かす
という感じになるのではと思うのです。

世界標準の考え方、ルールが当然な社会にしなければならないと思います。