「兄とは、常に弟の先を行かねばならない」
アニメ版「宇宙兄弟」で、くり返し出てくる主人公・南波六太の台詞である。
8つ年上の私の兄は、「アニメオタク」という言葉がまだ広まっていない頃からアニメ一筋に生き、
ついには趣味が高じてアニメーターになってしまった。
弟の私は、30半ばを過ぎたころ、それまでアニメにはあまり興味はなかったのだが、
学生時代に見逃していた「新世紀エヴァンゲリヲン」('96)を見て覚醒。
それ以来<アニメ中年>となるべく、日々精進に励んでいる。
我々は、さしずめ”アニメ兄弟”といったところだろうか。
兄は、私が小学校5年生の時に上京した。
末っ子の私は、同じく上京していた姉と兄が、お盆や年末に帰省してくるのがとても楽しみだった。
家族が5人そろうだけのことなのだが、私には、この”全員集合する”というのがたまらなかった。
以前は、当然ながら5人で暮らしていたのだが、実家から遠く離れた場所にいる家族が、
年に1、2回だけ帰ってくるということが、私としては一年で重要なイベントになっていたのである。
自分の好きな道を目指し、いろいろあったようだが念願のアニメーターとなり、
その後もいろいろとあったようだが、アニメーション制作に携わる兄は、
私から見てはるか先を行っているように思えた。
私も、「高校を卒業したら、兄のように上京して自分のやりたいことを・・・」と思っていたのだが、
肝心の”やりたいこと”がはっきりしないまま、結局私の上京計画は頓挫してしまった。
兄の帰省を待っているだけだったのが、高校三年の春からは、今度は私が年に1、2回兄のアパートに
1週間から長い時で1ヶ月も入り浸るという行動に出た。
姉からは「お前ら、気持ち悪いよ」と言われるくらい我々はベタベタとくっついていた。
といっても、私が兄の家でやっていたことといえば、兄がいつも利用するファミレスで食事をし、
兄がいつも通っているという喫茶店に足を運び、部屋にあるレーザーディスクで映画鑑賞、
それに飽き足らず都内の映画館をハシゴしたり、ジャズのライブハウスに通ったりと、
今から考えるとまさに夢のような時間を過ごしていた。兄と過ごす時間はむしろ少なかったかもしれない。
初めのうち兄は、田舎者の弟が大都会で浮かれている様子を、別に気にしていないようだったが、
自分が仕事をしている間も、目の前でグータラしている私に、だんだんと不満が募ってくるのだろうか、
決め台詞のように、私に向かっていつもこう言ってくるのだった。
「お前は、兄のために・・・・しなければならない」
「・・・・」には、”お小遣いをあげる” ”小さな家を建てる” ”面倒を見る”など、様々なバリエーションが存在する。
いずれも、理不尽な要求である。
兄が小遣いを要求するということは、要するに「カネよこせ!」ということである。
こちらとしては、大学時代の仕送りを切り詰めて貯金に回したり、バイト代からようやく捻出した軍資金である。
<そんなこといわれても、困るなぁ>という顔をしていると、兄は満足そうである。意地の悪い奴だ。
私は仕返しを思いついた。
兄の理不尽な要求に対し、こう切り返してやった。
「オレに兄はいない。オレの本当の兄は、数年前、姿をくらましてから行方知れずだ。」
「待て!ちょ、ちょっと待ってくれ!・・・」
兄の狼狽する姿は、傑作だった。まさかそこまで切り捨てられるとは予想していなかったようだ。
兄は一人暮らしだったが、自炊はしていなかった。ご飯を作ってくれる人がいたわけではない。
仕事が入ってくれば、家事などやっている余裕はないし、アパートは仕事ができるスペースと
寝るスペースがあればそれで十分というのが兄の考えだった。
あるとき私が「冷蔵庫くらい買ったら?」と諭しても、「冷蔵庫はコンビニにある!」との主張を曲げることはなかった。
姉は、「あいつは家事を放棄した」と皮肉を言っていたが、私にはそんな兄の姿もカッコよく見えた。
冷蔵庫を一台部屋に置けば、電気代が否応にもかかる。若い頃の兄のように家を空けることが多い生活を送っていたら、
光熱費なんて、必要最低限の電気と給湯にかかるガス代だけで十分なのである。
間違いなく、兄は私の先を行っていた。
私はずーっと先に見える兄の後ろ姿を見ながら、ちぎれんばかりにしっぽを振りながら飼い主を目指して突進する犬のように、
兄に近づいては冷たく突き放され、それでもまた何かと擦り寄って行くのだった。
姉が言ったとおり、不気味な兄弟関係だったのかもしれない。
あるときには、面と向かって「お前は目障りだよ」と言い放った。
この時ばかりは返す言葉もなく、「クゥン、クゥン・・・」と負け犬のようにしっぽを巻いて退散した。
しかし兄が言い放ったこの一言も、結果としては私を後押ししてくれたと思っている。
薄々気付いてはいたのだ。こんなフラフラしている自分が目障りな存在であることを。
でもどうしたらいいかわからない。
実家の両親とは、中3の時から自分の進路のことでいろいろあったから、なるべく接触したくない。
そんな時、兄から改めてこう突き放されたことで、私ははっと目が覚めたような気がした。
「とりあえずなにかやらなきゃ・・・」
グズグズしていた私は、北海道に戻りようやく動き始めた。
自分が一番得意なこと・・・お受験のために鍛え上げた試験のための詰め込み学習・・・。
一度は忌まわしい思い出として封印しようとしていたが、まさかここで役に立つとは思ってもみなかった。
地元には、心から応援してくれた友人がいた。
そして、青春時代を思いっきりふざけ合った友人たちがいた。
「真面目なフリして、トコトンふざけてやろう」
そうして、現在に至る。今年40歳になった私の頭の中は、未だに大学2~3年生のままである。
就職してから、兄に会いにいくと、<目障りだ発言>について謝罪してきた。
母から、弟に詫びるよう指示があったのだろうか。また仕返しされるのを恐れたのかもしれない。
私は、何をいまさら・・・と内心ちょっとおかしかった。
そんな”蜜月な”関係は、兄が結婚することにより終焉を迎えた。
結婚式前夜、式場の近くのうなぎ屋に家族5人が集合。静かな落ち着いた雰囲気の店だった。
私は、緊張している兄が、普段酒は飲まない上に、父の飲酒に付き合うことなど到底無理だろうと、
自分も酒にはめっぽう弱いくせに、兄に代わって父に付き合うことにした。
しかし、無理して飲んでいると察知した母が、ビールが注がれた私のグラスを取り上げ、
行儀悪く父のグラスに中身をあけたことから軽い口論となった。
父のおしぼりの袋をポン!と手で叩いて破る音が店内に響き渡り、
それを見ていた姉がゲラゲラと笑い声を上げる。
とても静かだった店内が、一瞬にしてやかましいバカ家族の宴の場と化した。
困った表情の兄の顔を見ながら、
「こうして、5人で集まるのは今夜で最後なんだ」と実感した。そうだ、明日になれば、私に姉がもうひとり増えるのだ。
兄の結婚式を見届け、私は兄を追いかけなくなった。
私も兄が結婚した翌年結婚した。これは別に追いかけたわけではない。
我々兄弟にとって、21世紀になった途端に恋愛運が跳ね上がったということだと思う。
電話やメールでやり取りすることはあっても、もう12年以上顔を合わせたことはない。
来春、兄が個展をやるということを知り、久々の再会を期待していたのだが、諸事情により個展は中止となった。
幻想的な画、落書きのような画が雑然と並んでいるギャラリーの片隅に、
ちょこんと小柄な兄が座っている姿を想像すると、興奮して身震いしそうになったが、残念ながら実現しなかった。
これからも兄は画を描き続け、私は兄が参加した作品を含めてアニメを見続けることだろう。
いつの日か兄と私が再会を果たすときは、きっと食事でもしながらとりとめもないおしゃべりがいつまでも続いているだろう。
そして兄は、必ずこう切り出してくるに違いない。
「お前は、兄のために・・・」
今年も一年ありがとうございました。
また来年もよろしくお願いいたします。
アニメ版「宇宙兄弟」で、くり返し出てくる主人公・南波六太の台詞である。
8つ年上の私の兄は、「アニメオタク」という言葉がまだ広まっていない頃からアニメ一筋に生き、
ついには趣味が高じてアニメーターになってしまった。
弟の私は、30半ばを過ぎたころ、それまでアニメにはあまり興味はなかったのだが、
学生時代に見逃していた「新世紀エヴァンゲリヲン」('96)を見て覚醒。
それ以来<アニメ中年>となるべく、日々精進に励んでいる。
我々は、さしずめ”アニメ兄弟”といったところだろうか。
兄は、私が小学校5年生の時に上京した。
末っ子の私は、同じく上京していた姉と兄が、お盆や年末に帰省してくるのがとても楽しみだった。
家族が5人そろうだけのことなのだが、私には、この”全員集合する”というのがたまらなかった。
以前は、当然ながら5人で暮らしていたのだが、実家から遠く離れた場所にいる家族が、
年に1、2回だけ帰ってくるということが、私としては一年で重要なイベントになっていたのである。
自分の好きな道を目指し、いろいろあったようだが念願のアニメーターとなり、
その後もいろいろとあったようだが、アニメーション制作に携わる兄は、
私から見てはるか先を行っているように思えた。
私も、「高校を卒業したら、兄のように上京して自分のやりたいことを・・・」と思っていたのだが、
肝心の”やりたいこと”がはっきりしないまま、結局私の上京計画は頓挫してしまった。
兄の帰省を待っているだけだったのが、高校三年の春からは、今度は私が年に1、2回兄のアパートに
1週間から長い時で1ヶ月も入り浸るという行動に出た。
姉からは「お前ら、気持ち悪いよ」と言われるくらい我々はベタベタとくっついていた。
といっても、私が兄の家でやっていたことといえば、兄がいつも利用するファミレスで食事をし、
兄がいつも通っているという喫茶店に足を運び、部屋にあるレーザーディスクで映画鑑賞、
それに飽き足らず都内の映画館をハシゴしたり、ジャズのライブハウスに通ったりと、
今から考えるとまさに夢のような時間を過ごしていた。兄と過ごす時間はむしろ少なかったかもしれない。
初めのうち兄は、田舎者の弟が大都会で浮かれている様子を、別に気にしていないようだったが、
自分が仕事をしている間も、目の前でグータラしている私に、だんだんと不満が募ってくるのだろうか、
決め台詞のように、私に向かっていつもこう言ってくるのだった。
「お前は、兄のために・・・・しなければならない」
「・・・・」には、”お小遣いをあげる” ”小さな家を建てる” ”面倒を見る”など、様々なバリエーションが存在する。
いずれも、理不尽な要求である。
兄が小遣いを要求するということは、要するに「カネよこせ!」ということである。
こちらとしては、大学時代の仕送りを切り詰めて貯金に回したり、バイト代からようやく捻出した軍資金である。
<そんなこといわれても、困るなぁ>という顔をしていると、兄は満足そうである。意地の悪い奴だ。
私は仕返しを思いついた。
兄の理不尽な要求に対し、こう切り返してやった。
「オレに兄はいない。オレの本当の兄は、数年前、姿をくらましてから行方知れずだ。」
「待て!ちょ、ちょっと待ってくれ!・・・」
兄の狼狽する姿は、傑作だった。まさかそこまで切り捨てられるとは予想していなかったようだ。
兄は一人暮らしだったが、自炊はしていなかった。ご飯を作ってくれる人がいたわけではない。
仕事が入ってくれば、家事などやっている余裕はないし、アパートは仕事ができるスペースと
寝るスペースがあればそれで十分というのが兄の考えだった。
あるとき私が「冷蔵庫くらい買ったら?」と諭しても、「冷蔵庫はコンビニにある!」との主張を曲げることはなかった。
姉は、「あいつは家事を放棄した」と皮肉を言っていたが、私にはそんな兄の姿もカッコよく見えた。
冷蔵庫を一台部屋に置けば、電気代が否応にもかかる。若い頃の兄のように家を空けることが多い生活を送っていたら、
光熱費なんて、必要最低限の電気と給湯にかかるガス代だけで十分なのである。
間違いなく、兄は私の先を行っていた。
私はずーっと先に見える兄の後ろ姿を見ながら、ちぎれんばかりにしっぽを振りながら飼い主を目指して突進する犬のように、
兄に近づいては冷たく突き放され、それでもまた何かと擦り寄って行くのだった。
姉が言ったとおり、不気味な兄弟関係だったのかもしれない。
あるときには、面と向かって「お前は目障りだよ」と言い放った。
この時ばかりは返す言葉もなく、「クゥン、クゥン・・・」と負け犬のようにしっぽを巻いて退散した。
しかし兄が言い放ったこの一言も、結果としては私を後押ししてくれたと思っている。
薄々気付いてはいたのだ。こんなフラフラしている自分が目障りな存在であることを。
でもどうしたらいいかわからない。
実家の両親とは、中3の時から自分の進路のことでいろいろあったから、なるべく接触したくない。
そんな時、兄から改めてこう突き放されたことで、私ははっと目が覚めたような気がした。
「とりあえずなにかやらなきゃ・・・」
グズグズしていた私は、北海道に戻りようやく動き始めた。
自分が一番得意なこと・・・お受験のために鍛え上げた試験のための詰め込み学習・・・。
一度は忌まわしい思い出として封印しようとしていたが、まさかここで役に立つとは思ってもみなかった。
地元には、心から応援してくれた友人がいた。
そして、青春時代を思いっきりふざけ合った友人たちがいた。
「真面目なフリして、トコトンふざけてやろう」
そうして、現在に至る。今年40歳になった私の頭の中は、未だに大学2~3年生のままである。
就職してから、兄に会いにいくと、<目障りだ発言>について謝罪してきた。
母から、弟に詫びるよう指示があったのだろうか。また仕返しされるのを恐れたのかもしれない。
私は、何をいまさら・・・と内心ちょっとおかしかった。
そんな”蜜月な”関係は、兄が結婚することにより終焉を迎えた。
結婚式前夜、式場の近くのうなぎ屋に家族5人が集合。静かな落ち着いた雰囲気の店だった。
私は、緊張している兄が、普段酒は飲まない上に、父の飲酒に付き合うことなど到底無理だろうと、
自分も酒にはめっぽう弱いくせに、兄に代わって父に付き合うことにした。
しかし、無理して飲んでいると察知した母が、ビールが注がれた私のグラスを取り上げ、
行儀悪く父のグラスに中身をあけたことから軽い口論となった。
父のおしぼりの袋をポン!と手で叩いて破る音が店内に響き渡り、
それを見ていた姉がゲラゲラと笑い声を上げる。
とても静かだった店内が、一瞬にしてやかましいバカ家族の宴の場と化した。
困った表情の兄の顔を見ながら、
「こうして、5人で集まるのは今夜で最後なんだ」と実感した。そうだ、明日になれば、私に姉がもうひとり増えるのだ。
兄の結婚式を見届け、私は兄を追いかけなくなった。
私も兄が結婚した翌年結婚した。これは別に追いかけたわけではない。
我々兄弟にとって、21世紀になった途端に恋愛運が跳ね上がったということだと思う。
電話やメールでやり取りすることはあっても、もう12年以上顔を合わせたことはない。
来春、兄が個展をやるということを知り、久々の再会を期待していたのだが、諸事情により個展は中止となった。
幻想的な画、落書きのような画が雑然と並んでいるギャラリーの片隅に、
ちょこんと小柄な兄が座っている姿を想像すると、興奮して身震いしそうになったが、残念ながら実現しなかった。
これからも兄は画を描き続け、私は兄が参加した作品を含めてアニメを見続けることだろう。
いつの日か兄と私が再会を果たすときは、きっと食事でもしながらとりとめもないおしゃべりがいつまでも続いているだろう。
そして兄は、必ずこう切り出してくるに違いない。
「お前は、兄のために・・・」
今年も一年ありがとうございました。
また来年もよろしくお願いいたします。