妻一人 子一人 と 一匹

2005.9.26 『妻一人 子一人』としてスタート
2010.3.18、2021.8.28、2023.3.26 改変

2014年 1月 旅行 その2

2014年01月30日 22時46分35秒 | Weblog
前回より続く



1月15日朝、網走市は肌に突き刺さるような寒さだった。

駅前のホテルを出発。
あまり覚えていないが、気温は氷点下10℃くらいだったと思う。
網走湖沿いの凍結路面を、ビクビクしながら走り抜け、30分ほどで女満別空港に到着。
ホテルを出るときはバタバタしていたが、その割には思っていたよりも早く着いた。
大きな荷物は搭乗手続きと同時に預け、我々は手荷物保安検査場に向かった。

今回の旅行に、ウッディ人形を連れて行くとの主張を退けられ、前の日の晩は機嫌の悪かった長男だったが、
一晩明けたら、そんなことはどこ吹く風といったカンジで、ケロッとしている。
年を重ねるごとに、彼のことがどんどん理解できなくなってくる。
親子の関係とは、こんなものなんだろうか。

さて、家族旅行において添乗員役の私は、家族に飛行機のチケットを配り、
もうすぐ4歳になる次男の手を引いて、危険物チェックのゲートをくぐる。
異常なし。でも、アレをくぐるときはいつもドキドキする。

我々のあとには、妻と長男が続く。
妻か長男の荷物が、検査に引っかかった。

「ハサミが検知されました」

ハ、ハサミ!?

信じられないことが起きた。我が家族の中に、テロでも企んでいる奴がいたのか!?
最初、妻が化粧道具入れの中に鼻毛切りでも入れてきたのかとも思った。
しかし、私の推測は外れていた。

・・・犯人は、長男だった。普段学校で使っているペンケースを隠し持っていたのだ。


このぬいぐるみペンケースも、旅のお供として連れて行くつもりだったそうだ。
どうりで長男のカバンがパンパンだったわけだ。
ウッディ人形ばかりに気を取られていて、私も妻も長男のカバンの中身をチェックしていなかった。
私はしばらく言葉を失っていた。
次男の世話で精一杯だったので、真相を聞き出せたのはしばらくしてからのことである。

前回の旅行では、着陸態勢に入りシートベルトのサインがついたとたんに
「おしっこ・・・」と言い出し、着陸まで泣きながら尿意との激闘を繰り広げた長男。
今回もまたやってくれた、このドジっ子は。

飛行機に搭乗。
動き出す前から乗り物に弱い前述のドジっ子くんは、メガネを外し目をつぶり精神統一。
以前飛行機がものすごく揺れた際に、数々の乗り物酔いを経験してきた私の
「あ!その姿勢はダメだ!」という声に耳を貸さず、グズって椅子に浅く腰掛けていた彼は、
数分後に起きた惨劇・・・上半身ゲ○まみれになった経験がトラウマとして残っているのだろう。
JALのエチケット袋を握り締め、ひたすら瞑想を続けていた。そしていつの間にか寝ていた。

羽田空港に到着。
まずは、大きなスーツケースと部活動の遠征にもっていくようなアディダスのスポーツバックを
ホテルに発送しなければならない。
今回のパック旅行の特典の一つであるのだが、指定会社である日本通運の発送カウンターが見つからない。
「先に(TDR行きの)バス停に行って待ってて。」
と家族3人を送り出し、私は右手で特大スーツケースを引きずり、左肩にはパンパンに荷物の詰まった
スポーツバックを担ぎ、日本通運のカウンターを探した。
通りすがりの空港職員に「地下1階だと思います」と言われたが、地下に降りても見つからない。
別の空港職員に尋ねると「私、つい先日まで成田空港に勤務していまして、ここのことが・・・」という回答。

すっかり息が上がってしまい、フラフラになりながら他社の発送カウンターで、
「日本通運さんのカウンターはどこでしょうか?」と聞くと、
「南ウイングにございます。ここは北ウイングですので、ずーっと向こうになります。」

気が遠くなってきた。
足元がおぼつかない。腰から下に力が入らない。
しかしそうも言っていられず、特大の荷物二つを引きずりそして担ぎながら、なんとか南ウイングに到着。
発送の手続きを済ませ外に出ると、家族が待っているバス停から、遥か遠く離れてしまっていた。
重たい荷物から解放されて、ホッとするのも束の間、今度は家族が待っているバス停目指して羽田空港前を走り始めた。
・・・そういえば、前回の旅行でもバスに遅れそうになって、40歳の誕生日に猛ダッシュしたっけ(恥)。
今回は猛ダッシュでこそなかったが、いそいそと行き交う人のあいだを縫って、
リュックを背負った貧乏臭い格好のオヤジが、ヒョコヒョコと走っていた姿を思い起こすと、とても恥ずかしい。

やっとの思いで家族の元へたどり着いたが、TDR行きのバス停は長蛇の列であった。
いつも利用していたJALのパック旅行では、到着口近くの発送カウンターに荷物を預け、
玄関を出て徒歩2、3分の駐車場に行けば、事前に予約した専用のバス(マジカルファンタジー号)に乗るだけなので、
TDRまでの移動はとても楽だったのだが、前回旅費を奮発した分、今回はよりリーズナブルなパック旅行にしたため、
荷物発送には時間がかかるし、バスも乗車券だけが送られてきただけで、予約が必要だったなんて知らなかった。
結局、バス停に着いてから3本のバスを見送ることとなってしまった。

こうして私は目的地に着く前に、かなりの体力を消耗してしまったのだった。


つづく

2014年 1月 旅行 その1

2014年01月28日 23時42分11秒 | Weblog
「空港なう!」
なんてツイートをしながら、今回の旅を満喫しようとおもっていたのだが、予想以上の忙しさで、全然そんな余裕がなかった。

今回の旅行日程については、次のとおりである。

1月14日、出発。網走市にて一泊。
1月15日、女満別(めまんべつ)空港 9:20発羽田行きの飛行機に搭乗。
      羽田からはバスで東京ディズニーリゾート(以下、TDR)に移動。
      3泊4日の滞在。
1月18日、帰宅。
  

3連休が終わったばかりの1月14日、私は午前中で勤務終了。
足早に帰宅し荷物と子供ふたりを車に積み込み、水道管凍結~破裂防止のため、家の水抜き作業を済ませた。
午後2時35分、自宅を出発。目指すは本日の宿泊ホテル、「ルートイン網走駅前」である。
当初の計画では、1月15日早朝に出発することになっていたが、子供をたたき起こし、荷物の最終チェックと
水抜き作業に手間取っていたら飛行機の時間に間に合わない。
「(早朝出発は)やっぱりムリだ」
ということになり、網走前泊が決定した。

道中、ところどころ凍結&圧雪路面に怯えながら、トイレ休憩を挟んで2時間15分で網走市に到着。
ホテル近くの「すき家」で、ちょっと早めの夕食をとる。
子供たちの笑顔が絶えることはない。
この旅行のために長男は、約束どおり冬休みの宿題を数日前に完了。
風邪をひかせてはならないので、次男は10日ほど軟禁状態であった。

「よくやった、長男。よく耐えた、次男。」

次男は、久々のシャバに興奮が抑えられない様子で、「お子様カレーセット」をペロリと平らげる。
長男の胃袋には、「てり焼きチキン丼」の並盛は多かったらしく、中盛牛丼と冷奴を食べ終えた私が後始末。
お腹いっぱいの長男の姿から、翌日から始まる”バカ食いショー”は想像すらできなかった。
黙々と並盛を食べる妻からは、静かなる闘志がひしひしと伝わってくる。

「いよいよ始まる・・・」

ホテル着。
子供たちは、早速持参したゲームで楽しんでいる。


ベッドの上でぴょんぴょん飛び跳ねる次男を叱りつけ、荷物整理をしていたらお風呂タイムとなった。
ビジネスホテルの大浴場でも子供たちは大喜び。

夕食はファーストフード、ゲーム三昧に大浴場・・・子供たちはこれだけで大満足のご様子だったが、
お楽しみはまだまだ始まってもいない。無論子供たちもそれは分かっている。
長男:「いよいよだー(嬉)」
次男:「でぃずにーらんどいきたーい」
周りはひっそりとしているのだが、我々の部屋だけは、子供たちのシュプレヒコールがこだましていた。
毎日家事育児に追われ、風呂で暖まることすらままならない寒いアパートでの生活を強いられている妻が、
頬を赤くして大浴場から帰ってきた。明日からの激闘に備え、しっかり体を温めて準備万端といった感じである。

しかし、懸案事項が二つあった。
一つ目は、映画「トイストーリー」シリーズに感化されている長男が、今回の旅行にこれを持っていくと言い出したのである。

次男と共同戦線を張って、自分はウッディを弟にはバズを・・・という意図である。
「ホテルの部屋で遊ぶ」とはいうが、次男の小さなリュックにバズのおもちゃが入るわけがなく、
長男は自分のカバンにウッディ人形を無理やり詰め込み持参したが、ゲーム三昧の子供たちの横で、
ウッディは無残な格好で放置されていた。

「絶対に余計な荷物になるんだから、置いていけ!」と言い聞かせ、
ウッディには空港の駐車場で我々の帰りを待っていてもらうこととなった。まずは一安心。

二つ目は、一泊9000円弱のこの部屋にはベッドが二つしかないことである。
「小学生以下のお子様がいるご家族は、子供料金無料」の宣伝文句に釣られて予約してみたが、
ツインルームで、しかもベッドがくっつけられない仕様の部屋だったのだ。
仕方なく、妻&長男、私&次男の組み合わせで寝ることとなった。

大浴場で長時間移動の疲れを癒し、翌日に備えて早く寝よう・・・という目論見はもろくも崩れ、
狭いベッドと興奮して眠れない私は、いつものように睡眠不足必至。
寝相の悪い長男と一緒に寝ることとなった妻は、一時間ごとに目が覚めてしまったらしく、
目的地につく前からこれまた超睡眠不足という大きなハンデを背負うこととなってしまった。

翌朝、私は5時前に目が覚め、それからウトウト。
一応、予定時間に全員起床したが、私も妻も前述どおりの睡眠不足により動作が著しく鈍かった。
子供たちは、今日も元気である。
元気有り余って、次男は味噌汁をひっくり返し、妻の怒号が朝の静かなレストラン内に響き渡った。

余裕を持って網走で前泊した我々であったが、結局出発は飛行機の時間ギリギリになってしまった。

「急げー!」

チェックアウトを済ませ、車に乗り込む。目指すは女満別空港。

今年の1月15日は、朝から大忙し。
これから起ころうとしている出来事は全く予想できなかったが、何かが起きそうな予感でゾクゾクしていた。


つづく

近況

2014年01月27日 12時47分37秒 | Weblog
家族旅行が終わって、旅の余韻に浸っていたら、

一月も最終週となってしまった。

旅行記のことで頭が一杯だ。

私にとって家族旅行は、どこに行くかということはもちろん重要なのだけど

家族が、旅行中どんな顔をしているのか、眺めるのがとても楽しい。

自分の顔は、帰ってきてから写真を見て、あまりの醜さにゾッとすることが多い。

そんなわけで、そろそろ旅日記を始めたいと思っている次第である。

連休 再び

2014年01月11日 11時25分48秒 | Weblog
昨年末からの9連休が明けて一週間、再び3連休である。

さらに来週火曜の午後からは、新年早々我が家の年中行事が開催される。

子供たちの冬休みにあわせて…というのが表向きの理由だが、
実情は、日頃うるさいガキ二人の育児に悪戦苦闘を続ける妻の慰安旅行であり、
非日常な時間に飢えている私の現実逃避旅行である。

毎回繰り返される散財ぶりについて、実の姉からは、

「それ怖い、怖いよ。」

と恐れられ、兄はきっと、旅先で必死に駆けずり回り、暴飲暴食の限りを尽くす弟の姿を想像し、
あきれ返って笑っていることだろう。

しかじどんなに怖がられようと、どんなに笑われようと、これだけは今のところやめられそうにない。
アクシデントすら楽しい思い出になってしまうのだから。

そんなわけで、この3連休は旅支度と旅のシミュレーションに明け暮れることとなる。


出発までのもどかしい時間もまた格別である。

あだ名

2014年01月06日 19時01分03秒 | Weblog
私が、十数年にわたり使用しているハンドルネーム《gettyon》(読み:げっちょん)。

この名前の起源については、以前このブログで解説したこともあるが、再度触れることとしたい。


約28年前、中学に進学し1学期の最初の頃の席順は出席番号順だった。

私の隣には、私とは別の小学校を卒業したやすがおかくん(仮名)が座っていた。

おとなしくて割と地味な存在だった記憶がある。

私が通っていた小学校からの卒業生は、クラスの中で私も含めて数名で、極めて少数派だった。

地味なやすがおかくんと、クラスの大多数の人たちに顔が知られていない私。

最初のうち、二人の間には静かな時間が流れていたと思う。

そんな二人に、よしいえくん(仮名)が、我々に「やすげっちょん」というあだ名をつけた。

「げっちょん」のルーツは、ユニット名だったのだ。

「やすげっちょん」について、どこまでがやすがおかくんで、どこからが私なのか改めて検証してみると、

当時、名前に「げ」をつけて呼ばれている人がほかにもいたことから、おそらく「やすげ」までが彼で、

「っちょん」が私だったと推測される。


しかし、そのうち彼は「ヤス」と呼ばれるようになり、私は中学の3年間ずっと「げっちょん」だった。

よしいえくんに、「なんでオレたちはやすげっちょんだったの?」と聞いても、

ニヤニヤして、「だってげっちょんだから・・・」と、よくわからない回答が返ってきた。

意味不明のあだ名で3年間。中学の同級生からはいまだに「げっちょん」と呼ばれている。

私自身、とても愛着のあるあだ名である。


フェイスブックで25年ぶりにやすがおかくんと遭遇した。

とてもうれしかった。感動すら覚えた。




ヤスよ、これからもよろしくね。