妻一人 子一人 と 一匹

2005.9.26 『妻一人 子一人』としてスタート
2010.3.18、2021.8.28、2023.3.26 改変

2018年ラスト

2018年12月31日 10時07分46秒 | Weblog

仕事納めの12月28日、仕事を早く切り上げてクルマで単身赴任先から自宅へと向かう途中、

短時間ではあったが山間部で猛吹雪に遭遇。ビビりまくりの旭川紋別道だった。

帰宅してみると、我が家で一番体力のあるはずの長男(14)が発熱により寝込んでいる。

病院でインフルエンザとは断定できなかったそうだが、「このまま熱が下がらないようだったら・・・」という

医師の推測どおり翌日から熱が下がることはなく、この中2病患者はインフルエンザも併発しやがった。

”部活から帰ってきてロクに防寒対策も取らずに外出しては暗くなるまで帰ってこない”という悪いお手本そのものが招いた当然の結果である。

なんとか大晦日までに平熱には戻ったが、残りの3人のうち次の発症者は誰なのか気になって仕方ない。

こんな最悪の気分の大晦日は史上初だ。

毎年の恒例行事、「大掃除が終わってからの外食」、「友人とのサシ呑み忘年会」、「年越しそばを食べに行く」はいずれも中止。

熱が下がった長男はゲホゴホと咳をしながら相変わらずのふてぶてしさである(怒)。

せめて大晦日らしい何かを・・・と、3年前この家を建築したお祝いにと妻が子供たちのために購入したwiiUをリビングに持ち込んで、

年末年始にゲーム大会を開催することとした。

引き続き年明けからインフルエンザウイルスとの闘いはつづく。

 

というわけで、本年最後のブログ更新でした。みなさまどうか良いお年をお迎えください。

2019年も当ブログをご愛顧のほどよろしくお願いいたします。


平成最後の・・・

2018年12月23日 22時46分35秒 | Weblog

平成最後の有馬記念、平成最後のクリスマス、平成最後の天皇誕生日、何でもかんでも「平成最後の・・・」だ。

天皇陛下の会見のニュースは思わず見入ってしまった。たぶん私は両陛下をはじめ日本の皇室に尊敬の念を抱いているのだろう。

ニュース映像か何かで、被災地に派遣された自衛隊の隊列に並ぶ自衛官に対し「ご苦労様です」とか

「お疲れ様です」といった労いのお言葉をかけるかと思いきや、「ありがとう」と感謝のお言葉を述べられていた陛下。

~自分たちに代わって、被災地の復興に尽力してくれていることに対する”ありがとう”~

その瞬間、ズキューーーンと心を撃ち抜かれたカンジだった。

それまでも、「日本国の象徴」であることは、頭でわかっていたつもりだったが、

そのお姿を目にして、心底両陛下に畏敬の念を抱いてしまった。テレビの前で「ははーーー」とひれ伏してしまいたいくらいに。

それ以来、「自衛隊は条文に書いてないから違憲だ だから憲法改正だ」とかなんとか、もうバカらしくって相手にしてられない。

周りがなんて言おうが、自衛隊は合憲。だってあのお方が、頭を下げて感謝する存在なんだもの。合憲なんだから変える必要はなし。以上。

どーのこーの理屈をつけたい人たちは、どうぞ勝手にやってください。ワタシはさんせいもはんたいもしません。

 

昭和天皇が崩御された1989年は、年賀状を自粛するかしないかで話題になっていたっけ。

今年も年賀状作成の季節がやってきた。もう子供の写真入りじゃなくてもいいんじゃないか、という妻の意見なのだが、

楽しみにしている祖父母のために、今年もやっぱり写真入りを作らざるを得ないだろう。

メンドくさいけど、例年どおりとりかかるとするか。

平成最後の年賀状作成なのだから・・・


これぞ年末(忙)

2018年12月15日 23時31分13秒 | Weblog

前回と同じく、金曜夜の話題から始める。

昨日は、都市間バスを利用して峠超え。車内でWIFIが使えるので、志ん朝の落語をYOUTUBEで視聴。

途中居眠りをはさみ、中・長編を3本見た。自宅につくまでの所要時間は、乗り継ぎの待ち時間を含め5時間。

そのうち3時間超がYOUTUBE見放題となれば、コレはクセになりそうだ。

しかし、峠前後の上り下りで久々の乗り物酔い。これはキツかった。

前日、深夜2時まで「シン・ゴジラ」のDVD鑑賞していた夜更かしのツケである。

週末にクルマの運転しなくてもいいとなったら、気が緩みまくってしまった木曜日だったのだ。

 

職場の忘年会、年賀状業務、長男の学習塾選定、寮の部屋と自宅の大掃除と、これぞ年の暮れといった慌ただしさである。

次男も小学校3年生になったので、サンタ業務はもういいだろう。

今日は次男待望のカラオケ120分。 「楽しみにしていた」という彼との約束を果たすことができた。

明日は町内会のもちつき大会。イベント好きの次男の引率だ。そのあと16時15分発のバスで北見に戻る。

いそがしいな、オイ。次の帰宅は22日(土)昼の予定。今年最後の三連休だ。


冬時間

2018年12月08日 23時15分03秒 | Weblog

毎週金曜日、勤め先がある北見市から自宅のある旭川市までクルマで帰ってくるのだが、

夏期は旭川紋別道を利用し、最短2時間40分で帰宅。単身赴任先に戻る日曜日には、

自宅で家族と夕食&風呂&歯磨きを済ませて、職員寮の部屋に着いたらパジャマに着替え

布団を敷いて寝るだけの準備を整えて、夜遅めに帰る習慣にしていたのだが、これからの季節はそうもいかない。

まず旭川紋別道の利用は、急こう配や急カーブもなく運転には楽なのだが、当然ながらスリップすれば命が飛んでいくわけで

夏期のようにスピードが出せない。人一倍運転に自信がないのでなおさらである。

まだ積雪がそれほどでもなかった先月、山間部における事故のためやむなく難関コース・北見峠を通るルートとなった。

急カーブの連続にヒーヒー言いながら、到着予定時間を大幅にオーバーして帰宅。

実はこのルート、旭川紋別道という高規格道路をそれ相当の速度で走ってはじめて時間短縮ができるルートで、

結局のところ遠回りコースなのである。

で、最短ルートとなるのは標高1058メートルの石北峠を通るコース。先々週からはこのルートを利用することにした。

北見市留辺蘂町の飽きるほど長い長い直線道路から、峠の登り口からは一変して連続する急カーブと急こう配で、

まぁ~疲れること疲れること。層雲峡温泉のホテル群が見えてくるまで生きた心地がしない。

日曜の夜は家族と過ごす余裕もなく、日中の明るいうちに出発しなければならない。

明日も「山下達郎サンデーソングブック(14:00~)」を聴いて、どんよりした気分を紛らわしながらの帰り道である。

ガソリン代を試算してみたら、毎週4000円程度だった。都市間バスを使うと6150円。

疲労度とメンドくささを考慮し、来週は都市間バスで往復することに決めた。

冬は自宅からちょっと外出するのも億劫である。子供たちには悪いが、ウインタースポーツなんてもってのほかである。

早く冬終わんねーかなー、冬・・・


生き残った人々

2018年12月01日 23時20分57秒 | Weblog

先週の日曜日、11月25日は「憂国忌」といって、小説家・三島由紀夫の命日だったそうだ。

そんな日があるなんて初めて知った。

三島作品で読んだことがあるのは「金閣寺」の一冊だけ。

”いつか”「仮面の告白」と「潮騒」は読んでみたい。この先40年以内にw

三島由紀夫というと、どうしてもあの「三島事件」のことが真っ先に思い浮かんでしまう。

ウィキペディアでは、「憲法改正のため自衛隊決起(クーデター)を呼びかけた後に割腹自殺をした」となっている。

ついでに三島由紀夫が代表を務めた「楯(たて)の会」についても、ウィキで調べてみた。

当時、左翼思想に傾倒してく若者たちの増加に対して異議を唱えたということなのだろうか、

日本の文化と伝統を力で死守するため、同志を募り行動に移していったようだ。

志半ばに自決しその生涯を閉じた三島。享年45歳。今の私と全く同じ年だ。

この国の将来を、まさしく命がけで考え抜いた三島。

 

命がけといえば、私だって北見市から毎週旭川市の自宅に帰ってくるのは、死と隣り合わせである。

いつ自分の車がスリップして人間ビリヤードになるか、はたまた石北峠、大雪ダムの崖から落っこちるか、

いつもびくびくしながらの帰省なのだ。やっぱり冬期間は、多少コストがかかっても

公共交通機関を利用しようかなと思いはじめている・・・話が脱線してしまった。

 

私は三島と行動を共にし、生き残った3名のことが気になった。

事件後、3人には懲役4年の実刑判決が下り、出所後は政治家秘書や宗教家などそれぞれの道に進んでいったそうだ。

3人のうちの一人・小川正洋はつい先日70歳で亡くなった。

三島が目指していたモノの話とかはもうどうでもよくて、三島と楯の会二代目学生長・森田必勝が自決したあと、

首がもげた遺体と生首を運び、おびただしい血で汚れた市ヶ谷駐屯地総監室の床を掃除した警察関係者は、

どんな気持ちで仕事をしたんだろうか、また事件が起きた現場でそのあとも働かなければならない歴代の総監たちは

どんな気持ちだったんだろうか、という具合に死んだ人より生き残った人の方にどうしても興味がわいてしまう。