28年前、母方の祖母が自宅で家族が見守る中、息を引き取った。
せず、私たちは祖母が死んでゆく一部始終を見送った。
たまたま兄も帰省しており、私たち二人が最後に交わした言葉は、
兄&私:「おばあちゃん、おばあちゃん」
祖母:「ありがとう ありがとう」 だったと記憶している。
病室でなくなるのが当たり前の今の世の中、なんの手も施さずに
祖母が死体となっていくその場に立ち会うことができたのは、とても良い経験だったと思う。
心霊とか超常現象には全く無縁の私だが、祖母が臨終する際、脈が止まる少し前に
呼吸が止まり体が硬直していったとき、ヒトの体から魂が抜けていくとはこのことだと思った。
あの瞬間は今でも鮮明に残っている。
当時12歳の私は、祖母が亡くなる前兆なんて全然気づきもしなかった。
父が年賀状を書こうと2階へ上がろうとした私に
「ばあちゃんにもしものことがあったら年賀状は出せないからね」と耳打ちした。
それから間もなくして、その日がやってきた。
最後は、母が祖母の手を握りしめ、枕元では母のすぐ上の兄である叔父が
カラオケで歌ったのを録音した田端義夫の「かえり船」がくり返し流れていた。
あの曲は、まさしく祖母のエンディングテーマだった。
今思うとなんて幸せな臨終だろうって思う。
せず、私たちは祖母が死んでゆく一部始終を見送った。
たまたま兄も帰省しており、私たち二人が最後に交わした言葉は、
兄&私:「おばあちゃん、おばあちゃん」
祖母:「ありがとう ありがとう」 だったと記憶している。
病室でなくなるのが当たり前の今の世の中、なんの手も施さずに
祖母が死体となっていくその場に立ち会うことができたのは、とても良い経験だったと思う。
心霊とか超常現象には全く無縁の私だが、祖母が臨終する際、脈が止まる少し前に
呼吸が止まり体が硬直していったとき、ヒトの体から魂が抜けていくとはこのことだと思った。
あの瞬間は今でも鮮明に残っている。
当時12歳の私は、祖母が亡くなる前兆なんて全然気づきもしなかった。
父が年賀状を書こうと2階へ上がろうとした私に
「ばあちゃんにもしものことがあったら年賀状は出せないからね」と耳打ちした。
それから間もなくして、その日がやってきた。
最後は、母が祖母の手を握りしめ、枕元では母のすぐ上の兄である叔父が
カラオケで歌ったのを録音した田端義夫の「かえり船」がくり返し流れていた。
あの曲は、まさしく祖母のエンディングテーマだった。
今思うとなんて幸せな臨終だろうって思う。