現在闘病中の「燃える闘魂」ことアントニオ猪木さんが新日本プロレスを旗揚げしたころからを振り返る番組がとても面白かった。
テレビ朝日に現存するもっとも古いとされているらしい猪木さんの試合のVTRは、まだ日本プロレス時代の1969年、
NWA選手権試合の対ドリーファンクJr戦だった。猪木さん本人がベストバウトの一つとして認めるほどの好試合で、
スター選手が華やかにリングの上を躍動する現在のエンタメプロレスとは全く異世界の古き良きプロレスが、そこでは繰り広げられていた。
その次にはNWF選手権試合の対タイガージェットシン戦、師匠である力道山の十三回忌興業を蹴ってまで
自分の団体の興行にこだわった1975年の対ビルロビンソン戦など、興味深いものばかりが特集されていた。
このビルロビンソン戦は、猪木さん本人はあまり気に行っていないという説があるらしい。
ジャイアント馬場さんが中心となって開催しようとした十三回忌興業、馬場さんとのライバル関係を貫くためには、
ライバル団体に顔を出してまで義理を果たすことより、自分の理想のプロレスを追求することを選んだということなのだろうか。
この一件で子弟関係にあった力道山家からは破門され、10数年の長きにわたって全日本と新日本の抗争が勃発したようだ。
なぜ文章がすべて伝聞調なのかといえば、私がプロレスを見始めたのは初代タイガーマスクが登場してきたころの1981年で、
それ以前のことや初代タイガーがテレビで見ることができなくなった1983年以降の新日本プロレスのことはリアルタイムで見ていなかったからである。
このころから2000年代に至るまでの20年は、プロレスが一番面白い時代だったと思うのだが、私は1991年頃までプロレス熱が再燃するまで遠ざかっていた。
あとからさかのぼってレンタルビデオで観たものの、やはりリアルタイムで見ていなかったことがとても悔やまれる。
初代タイガーマスクが「四次元殺法」で会場が大爆発するくらいに盛り上がり、そのあとメインに燃える闘魂が登場、横綱相撲で相手を仕留める。
当時小学生3年生で、ただ初代タイガーがかっこいいこと以外何にもよく分からなかったが、タイガー以上の猪木の強さは何となく伝わってきた。
”猪木は新日本プロレス、もしかしたら日本で一番で最強・・・”
しかし私が最強だと思っていた頃の猪木さんは糖尿病に苦しんでいるころで、全盛期はとっくに過ぎていたというのが前述の番組での解説だった。
それはビルロビンソン戦を見れば一目瞭然。結果はいわずもがな引き分け決着で終わるのだが、最後の数秒間の肘打ちの応酬はすごかった。
容姿端麗・筋骨隆々のプロレスラーたちが、縦横無尽に動き回り華麗な技を次々と繰り出す最近のプロレスもそれはそれで見ごたえがあるが、
私はそれとは反対の昭和プロレスの方が好みであることが改めてよーくわかった日だった。