妻一人 子一人 と 一匹

2005.9.26 『妻一人 子一人』としてスタート
2010.3.18、2021.8.28、2023.3.26 改変

葬式と学芸会

2018年09月30日 16時24分03秒 | Weblog

土曜日は札幌の親戚の告別式に参列した。

水曜日の夜、訃報を聞いたのだが、信じられないとか寂しいとかではなく、一度もお見舞いに行かなかったことによる後悔とか

そういうのでもなく、小さいころにお世話になった思い出がよみがえってくるわけでもない、まさしく言葉に言い表せない気分になり、

頭の中のある部分だけスコーンと抜けた状態のまま札幌へと向かった。葬儀会場に入ると、祭壇にその方の遺影が飾られているが、

目の前のことなのに違う次元で起きていることのように思えて仕方ない。”スコーーーン状態”がだんだんと頭の中で広がっていくようだった。

最前列のご親族と二列目の両親の姿は確認したが、隣に座ってきた人が兄で、「前を失礼します」といって横切った参列者が、

年の離れた従兄だということにしばらくの間気付かなかった。我に返って周りを見渡すと、顔見知りの親戚が他にもいたり、

故人と親しかった方々もいたりと、ようやく正気が戻ってきた。しかしご遺体を目の前にすると、再び思考が止まる。

化粧を施しているせいなのか、どうしてもその方であると認識できない。

火葬上に向かうまで、他の親戚と会話しているといくらか気分が楽になってきた。

私はその亡くなった方の3人の子供たちと年が近くて、中学生になるまでよく遊んだ。その3人やほかの参列者と話をしていると、

さらにそのなんだかよくわからない気分からは解放されていくのだが、焼き上がってお骨を眼の前にしたら再び頭がフリーズ。

先ほどの従兄にそのことを話すと、「そんなもんだよ。時間が経つにつれてだんだんとわかっていくものなんだよ」と言っていた。

どうやらその亡くなった方は、私の頭の中ではまだ死んでいないということなのだろう。

 

・・・じゃあ、時間がたてば本当にその方の死を認識できるんだろうか。

一晩明けてまたこのモヤモヤというか、なんともいえない気分がまたジワジワと広がってきた。

 

気分を切り替えて今日は次男の学芸会だった。

現在の小学校では、全児童で互いの発表を鑑賞する日と、父兄が鑑賞する日に分かれているそうだ。

児童は自分の出番の時間だけ出席すればよく、親は我が子の出演の時だけ学校に来れば事足りるのである。とても効率的だ。

そして明日の月曜日は休校日。ほぼ3連休。次男だけでなくみんな大喜びだろう。

 

そんな土日でした。


ジャズマンガと落語

2018年09月23日 23時05分39秒 | Weblog

「BLUE GIANT」というマンガを友人から貸してもらった。

~ 兄からプレゼントしてもらった、セルマー(世界的に有名なサックスのメーカー)のテナーサックスで、

高校の三年間を河川敷で夢中で練習に励み、ついに上京を果たす ~というところまで読んだ。

ヤマハの一番安いテナーサックスを買って、ジャズ研のない大学だったけれど練習する場に選んだ吹奏楽部で、

ひとり練習に励んだがちっとも上達しないのと 部活内の人間関係にも嫌気がさしてきて退部。

その後、当時住んでいたアパートから少し離れたところにある水田の隅っこで音出しをしたが、わずか2~3回で挫折。

私の生涯における漆黒の歴史である。楽器は数年前に処分し忌まわしき思い出を清算した、つもりだった。

しかし、どういうわけかこのマンガを借りることになった。

主人公の宮本大くんは、私が一歩も近づくことのできなかった夢の世界を次から次へと自分のモノとしていく。

セルマーのサックス、河川敷における365日にわたる練習、学校祭でのお披露目、地元ライブハウスでのデビュー、そして上京。

さらには女子水泳部の背の高いカノジョ・・・

「アンブシュア(サックスの吹口をくわえる形)が気に入らねぇんだよなー」などと、知ったかぶりをしながら、

ジェラシーの権化となって読み進めるワタシ(醜)。ハナっからこんな敗北感に包まれて読むマンガは初めてであるw

 

一方、「BLUE GIANT」の宮本くんが決して知るはずのない、「落語」が私にとって新たなブームとなりそうな気配である。

以前に兄から「五代目・志ん生はいいぞ」という話を聞いてCDを買ってみたが、音源が古くて何を言ってるのかよく分からなかった。

ただ、会場がときおり爆笑に包まれているのが確認できて、常に酔っぱらっているような語り口がとても好きになった。

それからも、亡くなった噺家の追悼番組を見た後や、落語家による原作のドラマを見た後に、

その人たちの落語をYOUTUBEでチェックしたりすることはあった。しかしそんなのは、所詮”にわかファン”でしかない。

ところが先日、たまたま上記の五代目・志ん生の次男である三代目・古今亭志ん朝の「紙入れ」という噺と、

そのあと七代目・立川談志の「粗忽長屋」を見て大笑いした。完全にハマった。これは”にわか”で終わりそうにない。

それからというもの、一刻も早く仕事から帰ってきて、落語見て、マンガ読んで、フュージョン聴いて・・・

毎晩そればっかり。睡眠時間がもうすぐレッドゾーンだ。

落語はまだまだ初心者だが、YOUTUBEの「後で見るリスト」がとてつもない勢いで増えていく。

なんでこの年になるまで、この面白さに気付かなかったんだろうか(悔)

 

というわけで、今年の秋は大変いそがしい(← 仕事しろよ)


四半世紀

2018年09月17日 20時54分11秒 | Weblog
高校卒業後予備校に一年間通って、二年目の大学入試にも、希望していた大学にはすべて不合格。
志望校合格を目指して二浪する根性はなく、北海道内で3月に募集していた大学に仕方なく入学した。いまから25年前のことである。
職場に、私がその二年目の大学入試を受けていた1993年2月に生まれて、その19年後、私が不合格となった学校に入学した青年が、偶然私の後ろの座席にいた。

「キミは私に代わって、リベンジを見事果たしてくれたんだよ」と冗談混じりに感謝の意を述べたところ、彼は困惑ぎみ。変なオヤジだなーと思ったに違いない(笑)。

さて。仕方なく入学した学校ではあったが、現在でもそしてこの先もずっとつきあっていくだろう友人たちと出会うことができた。そのうちの一人は、当時流行っていた格闘ゲームの達人だった。私はいつまでたっても全然上達しなかったが、彼が操るゲームのキャラクターは、まるでプロレスのJrヘビー級の選手のような動きで、私はすっかり魅了されてしまった。

そしてゲームセンターでは、筐体の向こうの見知らぬ相手とガチンコで勝負し、バッタバッタとなぎ倒していくのである。その姿を共通の友人とともに大興奮しながら見守っていた。

それから約25年後、次男は彼のゲームの姿を目の当たりにする。格闘ゲームではないが、”ホンモノ”の動きを、どうしても見せたかったのだ。



次男は言った。
「Nさんの指は神だ」

四半世紀越しで、親子二代Nくんに魅了された休日のひとときだった。

無題

2018年09月09日 01時46分09秒 | Weblog

日曜日の夜から金曜日の朝まで過ごしている北見市の職員寮で、

木曜日の朝、「起きるのめんどくせぇ・・・」と思いながら、

テレビのリモコンの電源スイッチを押してもつかない。「あ、テレビ壊れた」と思った。

前の日の夜に見たテレビ番組は、「昭和偉人伝~林家三平と桂歌丸」。

この番組を見たから壊れたのか?と寝ぼけた頭で軽くボケてみた。誰もツッコんでくれるはずもない。

しばらくテレビをガチャガチャいじったり、コンセントを抜き差ししてみたりしたが、

うんともすんとも言わない。そのうちトイレに行きたくなったので廊下に出ると、

いつも換気扇の音が鳴り響いている廊下が、シーンと静まり返っている。

ここでようやく停電に気付いた。北見市では震度3。

スマホの電源を切っていたので、緊急速報メール音に起こされることもなく熟睡していた。

職場も当然ながら停電中。電話回線だけは生きていたが、とても仕事ができる状態ではなかった。

情報は他の職員が持参したポータブルラジオか、スマホでインターネットを確認するしかない。

早々にスマホの電池が切れた。しかし朝から自宅と実家の安否は確認していたので、ここまではヘラヘラしていた。

 

寮に帰宅。太陽が完全に沈まないうちに布団を敷いて、電源の切れた冷蔵庫に保管していたヨーグルトに

いつもより少し多めにシリアルを混ぜて食べた。借り物のパソコンで少し充電したが今度は接続障害により通信途絶。

同じ僚で職場も一緒の人にUSBのシガーソケットを借りてクルマの中に1時間半籠城。通信は一向に回復する気配なし。

クルマの中で少しウトウトして、外に出るとプラネタリウムのような満天の星空に驚いた。

目覚まし時計代わりのワンセグ機能付きガラケーを懐中電灯代わりに、寮にあるピンク電話から自宅に状況報告。

しかしこの電話、10円玉しか使えない代物だったので30円分の通話は途中で切れた。完全に通信手段を喪失。

ここで一気に心の余裕が消えた。20:30、暑くて寝られるような状況ではなかったが、布団にもぐりこんでとにかく眼を閉じた。

翌朝、なんだか腹の調子が悪い。前日に食べたヨーグルト、実は2日前にも日中冷蔵庫に入れておくのを忘れたため、

火曜日の日中と、停電後からの通算24時間以上常温で保存していたものだったのだ。

食べ過ぎで腹を壊したのと違う感覚が身体をむしばむ。おまけに早く寝すぎたせいで、かなり早くから目が覚めてしまい、

頭がぼーっとしている。それでも車で出勤。信号機は前日よりも稼働している箇所が多くなっていた。

職場の駐車場で30分間、エンジンをかけたままスマホを充電し、停電中だと思いこんでいた事務所は電気が復旧していた。

頭の朦朧感と腹痛に耐えられなくなってきたので休暇を申し出て、いったん寮に帰宅。

薬を飲んで悪寒がしていたが眠気は取れてきたので、旭川の自宅に直行する。

自宅はとっくに復旧していた。旭川市内ではまだ停電が続いている地域があるというのに、

緊張感がまるでない子供たちに思わずため息が出てしまった。

改めてニュースで被災地の惨状を知り愕然とした。

被災されてまだ闘い続けている方々、懸命に復旧作業にあたっている方々が数多くいるにもかかわらず、

ワタシとガキどものこの体たらく。ホント罰当たりである。

 

とにかく我が家は運がよかった。

これから計画停電が始まるかもしれないので、今日はその対策にあちこち駆け回った。

まだまだ油断はできない。いや、いつなにがおこるかわからない。


めんどくさい秋 2018

2018年09月02日 17時20分36秒 | Weblog

早いもので、単身赴任先が始まって6ヶ月目に突入した。

週末における自宅~赴任先の移動もすっかり慣れた。

この生活がとりあえずあと31ヶ月。めんどくさいな・・・

移動が慣れたといってもあくまでも夏期の話であって、

早くて来月末から始まる降雪期はどうなることやらとても不安だ。

 

ついこの前、中学校に入学した長男は、男子バレー部で最上級生になったようだ。

練習試合や大会の話を聞くとあまり景気のよい返答はなく、背番号だけはご立派だがどうやらチームのお荷物っぽい。

私の中学時代が思い出される。

 

PCの調子がすこぶる悪い。

メモリを増設しなきゃいけないのだろうか、これまためんどくさいな・・・