中学だったろうか、それとも高校だったろうか、夏目漱石の「こころ」が国語の教科書に載っていた。
上・中・下からなるこの長編小説を、教科書で取り扱っていたのは、
そのうちの「下 先生と遺書」からの抜粋だった。
全然興味がわかなかった。さっぱりよくわからない。
注釈か何かで、この話の結末が「先生」という登場人物が自ら命を絶つということを知った。
昔、兄からの手紙の追伸に「夏目漱石の『こころ』おもしろいぞ」とあったが、
その時は、「あぁ登場人物が自殺する話ね・・・」くらいにしか思っていなかった。
先週末、電子書籍をなるものを初めて買うことにした。
どれにしようか迷った挙句、「こころ」が安かったのでポチッと購入。
【上・先生と私】では、「私」と「先生」が出会って、交流を深めていくが、
「私」は、妻とふたりで静かに暮らす「先生」の謎めいた部分が気になって仕方ないという話。
【中・両親と私】では、無事大学を卒業した「私」が里帰りする。
就職する気にもなれずにいたところ、父親の腎臓病が悪化し、容態が危うくなってきた。
いよいよ父親の死が間近に迫った来た時、東京の「先生」から分厚い手紙が届く。
それは「先生」の遺書だった。そして「私」が、東京行きの汽車に飛び乗るまでの話。
【下 先生と遺書】では、以前から「先生」の謎めいた部分~過去が綴られており、
頼りにしていた叔父に欺かれたこと、親友・「K」を欺いたことで彼が自殺したことなどが、延々と書かれていた。
手紙の最後は、明治天皇の崩御で乃木大将がそうしたように、自分も自ら命を絶つことを決意したとを告げる。
物語は先生の遺書で終わる。
しかし、「私」の父親が徐々に衰弱し最期が近づいていく様子や、
「K」の遺体を発見した時の様子については、事細かく記されているのに、
「先生」の死については、「これをあなたが読む頃には私はもういない」といった内容の手紙(遺書)が
残されているだけで、彼の死そのものについては書かれてはいない。
・・・となると、「想像の翼」(ドラマ「花子とアン」より)ならぬ私の「妄想の扉」が、
ギギギギーーーーと怪しい音を立てて開くのであった。
「先生」は手紙を書き終え、もう思い残すことはないから、あとは叔母の看病で外出している妻が不在のうちに、
雲隠れすることを実行に移さなければならないことを考える。
今まで自分のために尽くしてくれた妻に迷惑をかけないため、というのがその理由のようだが、これは大きな勘違いである。
人が死ぬということは、亡骸の処理、葬式、埋葬と、誰に限らず生き残った者に手間を取らせることなのである。
「先生」だって、「K」が自殺した時に経験済みのはずである。
「ここなら誰にも見つからないだろう」と思ってひっそり命をたったとしても、運悪く発見されるかもしれない。
そうして、
「この死体は誰ですか?」
「ご親族の方はどなたですか?」
「ご遺体を引き取っていただきたいのですが」
・・・となる。
ましてや、ここで実家の叔父とかが出てきたら、もっとややこしい話になってくる。
なんだかんだ理屈をこねても結局妻に手間取らせることになるのだ。
それにこの話に登場するインテリの方々(私・先生・K)、そして漱石を含め、みなさん女性を蔑視しすぎである。
オンナの直感をナメたらいけませんぜ、ダンナ方。
親戚の看病のために家を空けていたという妻は、夫の企みをきっと察知して、一時帰宅したに違いない。
帰宅すると、おそらく律儀な「先生」が、最愛の妻のためにしたためた遺書が机の真ん中に置かれているだろう。
真っ先に向かうは、「K」が眠る雑司ヶ谷にある友達の墓。妻の直感はここでも如何なく発揮される筈だ。
一方、さしずめインテリはやることがいちいち理屈っぽいから、
1 信頼している人々へ遺書を書く
2 自分のせいで自殺に追いやった「K」に対し、最後の墓参りに行く
3 人知れず(と思われる場所で)自ら命を絶つ
きっとこの順番でしか行動に移せない。
いきなり 3 だなんて非論理的だと考えるに違いない。
そんな感じで、グズグズしているうちに、お墓の前で妻に見つかってしまう。
「こんなやり方で、私より先に逝くおつもりなのですか!」
妻はさぞ怒ることだろうな。
「先生」は、当然ながら返す言葉もなく、怒りの言葉を次々と浴びせられ、シュンとしているしかないだろう。
ひととおりの騒ぎが収まったころ、分厚い手紙を片手に目を真っ赤に腫らした「私」が先生の家に到着。
その頃には「先生」夫妻も落ち着いているだろうから、「私」にはますます事情が呑み込めない。
先生は、「お父様が大変なのでしょう、一刻も早くお帰りなさい」なんて口に出せるわけがない。
そんなことを言っても「私」が、了解するわけがないと思っているからである。
まずは頭で考える。典型的なインテリさんである。
結局、「先生」は一晩かけて事の顛末を、「私」に語る義務を負わされることになる。
「私」は再び実家に戻る。
父親はまだ生きているだろうか。もう死んでいるだろうか。
臨終に間に合ったかどうかは別としても、この一大事に姿を消すなんて言語道断であると、
兄から激しく責められることだろう。
「東京でお世話になっている人が死のうとしたけど、結局死にきれなくて・・・」
なんてややこしい説明を聞いてくれるわけがない。
「私」も、「先生」と同じくやはりシュンと小さくなっているしかない。
「先生」は、おそらくこのあと5、6年は生きたのではないだろうか。
話は明治天皇崩御の頃だから、明治45年/大正元年である。
私の独断だが、漱石(大正5年没)とほぼ同時期に亡くなったということにしておきたい。
なにせ「先生」は、叔父に裏切られ、親友を裏切り、そして自ら命を絶つことができなかった。
そんな宿命を背負いながら、そう長くは生きていられないだろう。
ようやく自殺を諦めてもう少し前向きに生きてみようかと考え始めたころに、
病気か何かでポックリ・・・というのが私の推測である。
おそらく「K」とのことは、最後まで妻に話すことはなかったと思う。
妻を傷つけたくないというのはもちろんだが、「私」宛の遺書からは、
よほど意気地のない人物という印象を受けた。
死にきれなかった「先生」の次の恐怖は、家庭崩壊であることは間違いない。
真実を告げる度胸は、「先生」にはない。妻が、家庭が壊れるかもしれないからだ。
真実を知る者は、「私」と「先生」だけ。
そもそも「K」の自殺に、「先生」の行動がどれだけ影響したのかが疑問でならない。
乃木大将は、死の時期を選んでいたと「先生」は手紙に書いていた。
「K」もそうなのではなかったか。
養父を裏切り続けたその罪を償わなければならないという重い苦しみがいつも
彼を支配しており、彼はそれに対抗して自分の信念にのみ従って生きようとしていた。
その苦しみにうち負けた時は、自分が死ぬ時だと決めていたのだ。
それが失恋をきっかけに、彼は負けを悟った。
だから「先生」の人生に影を落としたという行為は、彼の自殺の直接の原因でないのではないか。
ところで「先生」は、どこに埋葬されたのだろうか。
ひょっとしたら妻が、雑司ヶ谷にある友達の墓の隣に、いつの日か自分も入るための墓を建てたかもしれない。
そして、ひととおりのいきさつを知っている「私」は、苦笑しながら毎月お墓参りに行く羽目になるのだろう。