平成24年9月29日
某会とカラオケ・・・
その起源については、
前回述べたとおりである。
もう少し解説しようと思う。
卒業式後のカラオケが終わり、地元出身でかつ地元に就職したHKくん以外とはもう二度と会うことはないだろうと思っていた。
HKくんとは、またいつでも会えるような気がしていた。二人でライブを見に行ったり、札幌や旭川の街中をブラブラしたり、
学生時代の関係が、長く続くことはおそらく間違いないだろうと確信めいたものが私の中にはあった。
それから3ヶ月後、札幌の実家で公務員試験に向けて受験生生活を送っていた私に、一本のカセットテープが届いた。
宛名書きの字体を見てすぐHKくんからの物だとわかった。
テープはラジオ番組風に始まった。DJは、NくんとHKくん。
「卒業後も二人の親交は続いていたのか・・・」と、ちょっとうらやましかった。
オープニングらしきものが終わり、最初のコーナーのBGMは、「マクロス」だった。
「あの『マクロス』は、すごかった」
<あの「マクロス」>とは、私が前述のカラオケで歌った曲のことである。
二人に絶賛されて、気分が良くないわけがない。
私の鼻はどこまでも伸び続け、まさに有頂天。天にも登ってしまいそうな勢いであった。
そして次のコーナーで、私は驚愕の事実を知った。
HKくんの奏でるキーボードの悲しげなメロディが流れる。
二人は就職してからわずか3ヶ月後、揃って仕事を辞めていた。
「なんだ、結局3人とも無職かw」
学生時代の暮らしぶりから”自由人”といった感じのNくんの退職はなんとなく想像できたが、
堅実な人生を送るであろうと予想していたHKくんの退職には、本当に驚いた。
「こっちへおいで~」「こっちへおいで~」
仕事を辞めた二人は、これから試験が始まろうとしている私に、悪魔のようなメッセージを送ってきた。
おかしくておかしくて、腹がよじれそうになった。
おそらく、その後は打ち合わせをしていなかったのか、グダグダな内容で番組は終了。
それからまもなく始まった公務員試験で、私は5箇所受けた試験のうち、最後の試験でようやく合格し、
まだ赴任地は確定していなかったが、晴れて社会人生活がスタートすることは決まった。
試験がひと段落した1997年9月、テープのお礼と無職の二人を冷やかしに旭川へと向かった。
大学卒業から半年後、こうしてHKくん、Nくんと再会。
詳細を聞くとまずNくんは、採用された会社をなんと一週間で辞めたとのことだった。
土日をはさんだので、勤務日数は実質数日。
後年、「なんであの時やめたの?」という問いに対し、この時のことを彼はこう振り返る。
「俺の居場所じゃねぇ」
職場に行ってみて、直感的にそう思ったのだろう。
そう感じたら、すぐ行動に移す・・・私だったら、もしそうなってもズルズルひきずってしまうことだろう。
そうやって、思い立ったらすぐ行動できる人がちょっとうらやましい。
しかし、退職後パチンコで生計を立てていた彼の生活は荒んでいた。
2Kのアパートに住んでいた彼の棲家は、窓側の広い部屋が自転車置き場とゴミ置き場になっており、
もうひとつの部屋には、テレビとセンベイ布団とゲーム機だけしかなかった。
そして、彼の表情からして元気がない。聞くところによると、HKくんと毎晩のように騒いでいたら、
隣人とトラブルになったらしい。しかし、彼は冗談めかしてもHKくんを攻めたりはしない。
「そうだよ~、あの時HKくんが俺のトコきて、毎晩騒ぐからあんなことに・・・」
なんて言葉を、彼から聞いたことは今まで一度たりともない。
2年前にその話になったとき、彼は「今思うと、あの時は欝(状態)だったかもな・・・」とつぶやいていた。
そんな彼とは対称的に、HKくんは学生時代と何一つ変わらず眼をギラギラさせていた。
地元の税理士事務所に就職して間もなく彼は、次期後継者として鍛え上げられようとしていたそうだ。
入社早々、将来税理士事務所を背負って立たなければならないという重責を課せられ、
彼は悩みに悩んだ挙句、家族会議まで開いて退職を決意したのだった。
後年、彼はこの頃の心境ををブログでこう記していた。
「心が完全に折れてしまった」
あの時の眼のギラギラ感は、過酷な状況から解放され生気を取り戻した”アフター欝”の輝きだったのだ。
そんな二人を目の当たりにして、私は混乱してしまった。
公務員になりたくてなったわけではない。試験にたまたま受かったから”公務員になってしまった”だけで、
将来のビジョンも何もない。「公僕」になるなんて、自分にはムリだ。
いわゆる「税金ドロボウ」の道へまっしぐらだった。
Nくんのアパートで雑魚寝しながら、「オレたち、結婚なんてできねえだろうなぁ・・・」と私はボソっと吐き捨てた。
このセリフは、荒んだ生活を送っているNくんへ、こんなところで生き生きと目を輝かせているHKくんへ、
そしてなにより、受験勉強に慣れているからという理由だけで、予備校に通い試験を受け、人様の税金を食い物にして
これから数十年生きていこうしている自分に対してのものであった。
話は大幅に脱線してしまったが、このあとまた半年後に3人で集まり、旭川の街中を徘徊する。
学生時代は、ボーリング、ビリヤード、ゲームセンターが我々の定番コースであったのだが、
卒業後はこれに<カラオケ>が加わることとなった。
さらにその翌年、前年と同じ日(5月3日)に集まったことから、この3人による会の名称を、【ゴ(5)ミ(3)の会】と定めた。
その後、2004年11月の活動休止までの間、毎年北海道内のどこかに集まっては、
ほんのひと時ではあったが、学生時代を彷彿とさせるダラダラとした時間を3人で過ごしていた。
最初の頃は、カラオケ初心者のHKくんに配慮して、「最初は深夜0時までは普通のカラオケにしよう」というルールを決めて、
深夜0時以降、私とNくんが、アニメソングで歌合戦さながらのバトルを繰り広げるという構図であったのだが、
2002年の第6回大会から、アニソンだけのカラオケとなり、どういうわけか、より競技性が高まってきた。
卒業式後のあの日、私の一撃で辛酸を舐めたNくんは、その自由奔放な存在感とスナック・プラネットで培われた(?)歌唱力で
私とHKくんを圧倒する存在となっていた。
ゲーム音楽、フュージョンといったインスト音楽至上主義のHKくんは、カラオケに関しては全くの初心者であったが、
並々ならぬ努力の末、レパートリー(持ちネタ)の数は、某会随一となった。
Iくんは、2003年8月の第7回大会から参戦。Sくんは活動再開後の第12回大会から参戦している。
というわけで、今回もカラオケ大会がスタート。
一曲目。私は発声練習のつもりで、Eテレ(NHK教育)・「いないいないばぁ!」より「スーパーワンのうた」、
引き続きNくんは、「スマイルプリキュア!」オープニングテーマ(以下OP)・「Let's go!スマイルプリキュア!」。
HKくんは、「宇宙刑事ギャバン」OP・「宇宙刑事ギャバン」をそれぞれ選曲。
私はJOYSOUNDのりれきを見るたびに、背筋がゾクゾクしてしまう。
なぜならこの3曲が、中盤~後半~決着に至るまでの伏線となっているからである。
「じゃあ、今日はオレこんなカンジでいこうかな」「そう来るなら、じゃあオレはこれで」
とかいう事前の打ち合わせも、その場でのあからさまな駆け引きも何もない。お互い手の内を知っているわけでもない。
それぞれが、ただ歌いたい曲を歌っているだけなのである。
それなのに、毎回毎回このカラオケ大会は、気がつけば筋書きのないドラマが始まっており、劇的なフィナーレを迎えるのである。
だからやめられないのだ、このカラオケ大会は。さて、今回は・・・。
つづく