爪木崎の南端に建つ灯台です。崎を埼と変えて爪木埼灯台と書くのが正式名称です。高さ17メートル、戦前の昭和12年に初点灯して以来、現役で稼働しています。
以前に帝国海軍第一機動艦隊の遺族会にて聞いた話ですが、戦後に復員輸送艦となった航空母艦「葛城」が計五度にわたる南洋からの復路にて、下田沖に沿って浦賀久里浜へと針路をとる際の目印が、この爪木埼灯台の光であったそうです。「葛城」にて復員した、あわせて51390名の邦人が最初に見た祖国の灯りであり、大勢の人々が灯台の光を見て喜び、泣き、万歳三唱を行なったと聞きます。
そんな歴史をも秘めて、いま青空と大海原のはざまに聳える古い灯台の姿は、なにか美しく感じられました。
観光駐車場から灯台まで、往復で1キロ余りの距離がありますので、ちょっとしたハイキングでした。
各務原なでしこ達も、ここにやって来たのでした。
その記念写真を、大垣千明が無理な体勢で踏ん張りつつ撮っていた場所がここです。原作コミック第8巻109ページ1コマ目の位置ですが、路上の赤い塗膜の剥がれ模様までそのまま描写されています。
灯台基部からの眺めです。俵磯の南端にあたります。向こうに見える島は田浦島です。
こちらは南東方向で、東に爪木島が見えます。
灯台基部の展望縁です。ここで大垣千明、犬山あおい、斉藤恵那が海を眺めていました。原作コミック第8巻109ページ2コマ目のアングルですが、右の案内看板は省略されています。
「海を見てると心が洗われ・・・」ビュオオオオオ・・・・。
原作コミック第8巻109ページ3コマ目のアングルです。
「危うく洗い流されるとこやった・・・・」と三人がちぢこまって震えていた場所。原作コミック第8巻109ページ4コマ目の位置です。
作中では冬ですので、潮風も強く冷たいそうです。今回は夏なので、潮風はあまり強くなく、時々風がおさまったりします。そうなると、ムッと暑さに包まれるのでした。
さて、あまり長居も出来ませんので、戻ることにしました。既に一時間余りが過ぎていました。
ススキが潮風にたなびいていました。暦の上では秋に入っているのですが、今年の夏はどうも暑さが長引きそうな気配です。(実際に9月末まで真夏日が続きました。) (続く)