ウエンツ瑛士が「自分が何人(なにじん)でもないという感覚も悪くない」と朝日新聞のインタビューに答えていた。彼は、演劇の勉強にロンドンに留学中だという。とても幸せそうだった。
彼はいう。「ロンドンでは、複数の国や地域にルーツを持たない人の方が珍しいぐらい。周りにもたくさんいるので、僕は自分のことをむしろポジティブに捉えています。」
「なにじんでもない」ことをコスモポリタンという。
しかし、マーガレット・A・サリンジャーの『我が父サリンジャー』(新潮社)を読むと、複数のルーツを持つことの大変さを思わざるを得ない。
サリンジャーはユダヤ系の父とアイルランド系の母のあいだに生まれた。娘のマーガレットは、これがいかに大変なことかを思いはかっている。ヒットラーのドイツとアメリカが戦っていたとき、国と国とは戦っているのに、アメリカの白人はドイツ人に親近感をよせ、ユダヤ人とは一緒にいたくないという感情をいだいていたという。1930年の大恐慌のなかで、アメリカ人の反ユダヤ感情が強まり、ユダヤ人は職を得るに苦労したという。
サリンジャーのフルネームはJerome David Salingerである。しかし、非ユダヤ白人にとって「ユダヤ人でございます」という名前なので、彼はこれを嫌い、J. D. Salingerというイニシアルで作品を発表した、とマーガレットがいう。そしてその当時の多くのユダヤ人が職を得るためにしたことだという。
さらに、マーガレットは、ユダヤ人と非ユダヤ人とのあいだに生まれたことは、両方のコミュニティから排除されることになる、という。J. D. サリンジャーは、ユダヤ人コミュニティからの保護をうけられないという。
排除の問題は、コスモポリタンを認めないヒットラーの時代のドイツではもっと深刻だ。ナチスは、ユダヤ人が何代か前にユダヤ教の信仰をやめ、カトリックに改宗しても、ドイツ人だと認めず、ユダヤ人の刻印を押し、収容所に送ったのである。ナチスは「なにじんでもない」コスモポリタンの存在を否定したのである。
じつは、安倍晋三も『新しい国へ 美しい国へ完全版』(文春新書)で「なにじんでもない」生き方を否定している。「日の丸」「君が代」に心から感動しないといけないのである。
私は40年以上前に妻と1歳の息子とカナダに渡った。カナダは移民の国で居心地がよかった。私は大学で研究生活をしていたが、大学は本当に色々な国籍をもつ人が働いていた。研究者や学生だけでなく、食堂のレジ係のおばさんや掃除のおじさんとも友達になった。
もちろん、ケルト人やフランス人であることで、どのように迫害されたかの歴史も聞かされた。英語の訛りにもいろいろあり、それで差別されるという話しも聞いた。しかし、私自身は差別というものを感じず、研究に専念した。
日本に帰ってから、逆に日本人であることをいろいろと要求され、自分はコスモポリタンになったんだと感じた。
ウエンツ瑛士のいう、「なにじんでもない」という感覚が居心地のいいロンドンは素晴らしい都市だと思う。東京は、ロンドンやニューヨークよりも偏見に満ち満ちている。