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小塩節の『トーマス・マンとドイツの時代』(中公新書)は、池内紀の『闘う文豪とナチス・ドイツ トーマス・マンの亡命日記』(中公新書)と、また、異なるトーマス・マンの姿を伝える。
小塩は私より16年上であり、池内は7年上である。小塩の世代の人は、軍歌しか知らない子ども時代を送った、という。
小塩は、政治的なものを排除し、トーマス・マンの小説を軸に、トーマス・マン個人の見てきた世界、感じてきた世界を追う。
トーマス・マンの『トーニオ・クレーガー』では、主人公の少年トーニオは、金髪で青い目の健康で敏捷で人気者の少年ハンスを愛する。トーニオは髪が小麦色、目が茶色である。
トーマスの髪の毛や目は何色であったのだろう。彼の父は、美しい青い目をした典型的な北方ドイツ人である。彼の母は、北方ドイツ人とポルトガル人の子としてブラジルで生まれた。美人で情熱的で話好きで音楽を愛したという。
たぶん、トーマスはトーニオと同じだったのだろう。ナチスの愛する理想的ドイツ人とは異なっていたのだろう。
トーマスの妻、カチアの父は、ミュンヒェン大学の数学の教授であるが、桁違いのユダヤ系大金持ちであったという。
小塩は、トーマスの死後の、カチアにスイスのツューリヒ湖畔で何度もあって話をしている。意外なことに、青く澄んだ目をして笑顔の美しい老婦人だったという。
〈鼻の頭にしわを寄せる笑顔が実にいい。〉
〈はじめは80歳、最後にあったのは96歳だった。でもそんな老齢でありながら、なんと魅力的で、なんとお茶目な笑い上戸だったことだろう。〉
カチアは小塩に次のように話したという。
「芸術家は、孤独な時間が大切ね。でもその孤独を守るためには、いい奥さんがいないといけないのよ。お互いに守るの。そしていい女は、いつも若いのよ」
「それに必要なのは堅忍不抜の忍耐力と深い愛、互いへのおもいやり、そしてね、ほんの少しばかりの狡猾さかしら」
小塩の本書からは、規律を重んじる社会が嫌いで、高校も卒業できない反抗少年であった亡命者トーマス・マンは、J. D. サリンジャーより幸せな夫婦生活を送った、と思われる。
小塩は、本書の後半で、はじめて、トーマス・マンを取り巻く現実世界を描く。
トーマス・マンは社会民主主義者であり、社会的平等を尊しとした。戦後、マッカーシの赤狩りが荒れ狂う、亡命先のアメリカにもいられず、西ドイツも東ドイツも選ぶ気持ちにもなれず、スイスのツューリヒに亡命し、そこで、トーマス・マンは死んだ。
トーマス・マンは、少年期の反抗的精神をつらぬき、市民社会の理念「自由、公正、教養、楽天主義、進歩への信仰」をもったまま、80歳で死んだ。しかも、経済的には満ち足りていたのがすごい。