猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

ウクライナできょうも人が死ぬ、この過酷な戦いをどうしたら止められるのか

2022-07-25 23:40:01 | ロシアのウクライナ軍事侵攻

ロシア軍のウクライナ侵攻が2月24日に始まって、5カ月がたった。5日前(7月22日)の朝日新聞のインタビューに、米国元駐ロシア大使のマイケル・マクフォールが、ロシアのプーチン大統領は言葉で行動を変える人物ではなく、「交渉に持ち込みたいなら、軍事的な前進を止めることが重要」と言っていた。私もそう思う。暴力だけが人の行動を変えると考える人たちが現在も多い。そして、暴力でも変わらないとなるのと、皆殺しを始める。むごい。

昔の戦争と違って、いまの戦争は総力戦になる。市民も戦闘員も区別なく殺される。

マクフォールが言うように、「軍事的な前進を止める」しかないとすると、私はアメリカが参戦すべきだと思う。口先だけで「民主主義を守る」というアメリカの責任は重い。

同じ紙面で、ジョージタウン大学教授のチャールズ・カプチャンが「米国はウクライナへの兵器提供をしながらも、停戦や戦争終結、領土問題の解決に向けたプロセスについて話し合いを始めるべき時だ」と言っている。この「始める」の主語はアメリカ政府であると、私は思う。これまでウクライナ政府はアメリカ政府に代わって戦争をしているのだ。現状では、死ぬのはウクライナ人で、アメリカ人でない。公平でない。

この戦争の難しい点は、ウクライナ人というものが不確かな存在であることだ。1991年にできた国家である。ウクライナ民族主義を政府がいくら煽っても、アジア人やユダヤ人の血が混ざっている。おまけにロシア語を聞いてわかるし、話すこともできる。ネットでは、ウクライナの歌、ウクライナ民族衣装があふれているが、日常生活レベルでは、ロシアと区別がつかない。民族主義は幻想である。

したがって、戦いの大義は、「民主主義」「自由」しかない。しかし、「民主主義」「自由」のために死ぬことも苦しい。いまは、そのような段階にきている。ウクライナのために、すべてのウクライナ国民が殺される段階に来ている。

ウクライナ大統領のゼレンスキーは、ウクライナ議会に、保安局局長と検事総長の解任案を提出し、可決された。政府の要人がウクライナ国を裏切るという段階までに来ている。

けさ、テレビを見ていたら、日本に戦地のウクライナから逃げてきた家族が、ウクライナに戻ることになったというニュースを流していた。ウクライナ政府から、戻らないと公務員の職を解雇すると言われたからだ。

この戦争は公平ではない。戦いの現場はウクライナで、ロシアでない。ウクライナ国民は戦闘員も民間人も死ぬ。ロシア国民は戦闘員だけが死ぬ。

領土問題は解決の見込みがない。ドンバス地域はロシア出身の人が多数派である。そして、ドンバスは重工業地帯でその製品はロシアにしか売れない。また、クリミア半島はもともとロシア海軍の基地だ。ここでもロシア出身の人が多数派である。

面倒なことに、ウクライナ人がいないように、ロシア人というものもいない。民族というものは幻想というより政府が創った虚構である。個人の心が傷つくが、ウクライナ国民がロシア国民になるということが実際に起きるうる。どっちの政府につくかということだ。

アメリカが参戦しなければ、ウクライナの地で人が死に続ける。人が死ぬ、人が死ぬ、・・・。

同じ、きょう、テレビでは、反アサド派のシリア人がウクライナ政府の傭兵になっているというニュースを流していた。彼はこれまで家族への送金のために闘ってきたが、仲間も死んだことだし、これから、家族の避難先のトルコ政府の傭兵になるのだという。アサダ派のシリア人はロシアの傭兵になっているという。

戦争はただただ過酷でろくでもない。戦争を始めてはいけない。

日本も、敵国を決めて、敵基地攻撃能力を持とうなどというバカげたことはすべきでない。アメリカが中国と戦争したいなら、巻き込まれないよう、日本は知恵を尽くすべきである。