猫じじいのブログ

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御厨貴の「二大政党制」論は政治家と官僚による大衆統治にすぎない

2022-07-13 22:57:27 | 政治時評

きのうの朝日新聞『〈耕論〉選挙戦が示した課題』で論者のひとりが御厨貴だった。前から私は彼を軽蔑している。政治学者を自称しながら、週刊誌レベルの政治談議をしている。彼は、政治家の肉声をインタビューして書き留めたことで、新しい政治学を切り開いたとされるが、それは、ノンフィクション作家に任せばよいことで、政治学者がすべきことは別にあると私は思っている。

耕論で御厨の言っていることは2つあって、1つは、安倍晋三の死によって自民党内の保守派のリーダーが空白になり、自民党内の岸田文雄の立ち位置が難しくなること、もう1つは二大政党制への芽が出てきそうもないということである。

しかし、二大政党制がなぜ重要なのか、彼は述べていない。彼が二大政党制を唱える背景に、優秀な人たちが愚かな大衆を統治するという考えがあるのでは、と私は思う。したがって、二大政党とは、理念の対立ではなく、そのとき、そのときの利害の対立で争い、どちらも「国益」というものが存在するかの虚構の中で争うことになる。しかし、二大政党が大衆の意見を組みこめる、また、二大政党が自己変革し進歩していける、という保証はどこにもない。

民主主義とは、すべての人間が対等だ、ということで、一部の人間が他の多数を統治するいうことを否定する、と私は考える。私は民主主義を支持し、二大政党制を必要がないと考える。政党は多数あってもいいのである。つぎつぎと政党が生まれることで、政治が大衆から遊離しないで済む。問題は、政党間の論争がどのように大衆まで届くのか、また、政党が大衆の意見をどのように組み込めるかである。

政治に効率を求めてはいけない。決まらない事柄があるのは、何が最善かで意見が分かれるからだ。論議を尽くさず、強引に物事を決めたからといって、良いとは言えない。

国会の審議を見ると、政府が法案を複雑怪奇につくり、曖昧答弁を繰り返し、敵対する野党の意見をわざと取り入れず、政府にすり寄ってくる野党には、ご褒美として、一部修正に応ずる。

政府は常に与党は素晴らしいとのデモンストレーションを行っており、そのために官僚をこき使っている。本当は与党にはなんの理念もない。20%の国民の心をつかんでいれば、与党の座を守れる。

御厨は、二大政党を推進する前に、なぜ、まともな国会審議が行われないかを論ずるべきである。御厨のような政治学者は、共産主義は悪で、自由主義(じつは私的所有バンザイ派)が共産主義を排除しないといけないというドグマにたっているから、野党を貶めるために国会審議を利用する、すなわち、政治が陰謀であっても構わない、という考えに陥るのだと思う。

御厨は、自民党内の抗争についても言及しているが、二大政党制への願望を党内抗争に投影しているのではないか、と思う。今回の〈耕論〉のもう一人の論者、中林恵美子は、自民党の党内抗争はデパート型の政党を装っているだけ、野党が不要だと思わせるためにだけで、何でもありますよ、というふりをしているのだという。デパート型でいつまでも国民を騙せるとは私は思わない。

自民党内に、本当に意見の相違があるのなら、党をわればいい。

岸田派が安倍派と異なると言うのはポーズにすぎない。岸田文雄は、国会の議論もなく、アメリカのバイデン大統領に、軍備をいちじるしく強化すると約束している。軍備を2倍にするなら、なんのためにするのか、財源はどうするのか、を議論しないといけない。また、このことを国会審議もなく、どうしてアメリカのバイデン大統領に岸田は報告するのか、不可解である。ウクライナ侵攻でまだ興奮している日本の大衆を利用しようとの下心があるからと私は思う。自衛隊が敵基地攻撃能力をもつという主張をしている小野寺五典は岸田派である。決して、岸田文雄は安倍派の圧力で軍事強化を図っているのではない。軍事強化を言えば、参院選で自民党が勝てると岸田が思ったからだろう。