猫じじいのブログ

子どもたちや若者や弱者のために役立てばと、人権、思想、宗教、政治、教育、科学、精神医学について、自分の考えを述べます。

プーチンがエカテリーナ2世を敬愛はウクライナ併合の野心

2022-07-28 23:00:29 | ロシアのウクライナ軍事侵攻

(映画Ogniem i mieczem)

ロシア大統領のウラジーミル・プーチンがエカテリーナ2世を尊敬しているとの記述が日本語版ウィキペディアにみられる。私はこの真偽をまだ裏づけられないが、黒川祐次の『物語 ウクライナの歴史』(中公新書)を読むと、1764年、ウクライナの「ヘトマン国家」を最終的に滅ぼしたのがエカテリーナ2世である。プーチンがエカテリーナ2世を尊敬しているのが本当なら、彼はウクライナの併合を狙っていることになる。

ヘートマンはポーランド語で、ウクラナイ語ではヘーチマンだそうである。もともとはポーランド王から任命されコッサクの町を支配した貴族のことであったが、16世紀末にはコッサク自身によって選ばれるようになった。

ウクライナが、ポーランド国内の自治領からヘトマン国家として見られるようになったのは、ヘトマンのフメリニツキーの1648年の蜂起以降である、と黒川は言う。ポーランド側からの歴史書では反乱であるが、コサック側から見れば独立戦争である。コサック側がポーランドに勝ったのだ。

ヘトマン国家にはラーダと呼ばれる全体会議があり、ヘトマンもそこで選ばれた。ラーダは「会議」というより「集会」に近いものだと私は思う。古代ギリシアの直接民主制エクレシアに対応すると思う。戦闘集団であるコッサクでは、選ばれたラーダが強い権力をもつ。

フメリニツキーはウクライナ語だけでなく、ポーランド語、ロシア語、トルコ語、ラテン語を話せたという。ポーランドと戦うために、ロシア、スウェーデンとも彼は交渉した。黒川は、このときのロシアとの協定が、モスクワに庇護を求めるという歴史的傾向を生んだという説を紹介している。

いっぽう、黒川は、ヘトマン国家衰退が、自由の民の国が地主と農奴に分かれていったためであるという説も紹介している。私は、こちらの説に納得する。平等がくずれれば闘う意味がない。

ポーランドの作家ルドヴィク・クバラは、フメリニツキーの蜂起を反乱として、ポーランド王のために戦う一部のコサックの長編時代小説を書いている。その映画版がポランド映画『Ogniem i mieczem(火と剣)』である。目下のロシア軍のウクライナ侵攻で、ポーランドがウクライナ政府を支援しているのは、不思議な時代のめぐりあわせである。

黒川によれば、ニコライ・ゴーゴリの書いた小説『隊長ブーリバ』は、フメリニツキーの蜂起に先立つ1630年代のコッサクのポーランドへの反乱をモデルにしている。隊長ブーリバが火あぶり刑で死ぬ前にロシアの大地への愛を述べるが、ゴーゴリが小説をロシアで売るために創作したフィクションであると思う。モスクワは森林に囲まれた地であり、コサックにとっての大地は、ウクライナの草原の大地である。


福岡の事件「人ごとと思えない」、発達障害と家庭内暴力はべつ次元の問題

2022-07-28 00:02:37 | 育児

きょうの朝日新聞夕刊に『発達障害の子を持つ悩み 相談を』という記事が載った。「発達障害」の子をもった親が、どのようにその子を育てたらよいかを専門家に相談すること自体は、適切なアドバイスである。しかし、この記事は、「発達障害」の子が家庭内暴力を振るようになるという誤解を生むような書き方なので、私としては不満である。

その記事の副題は『福岡の事件「人ごとと思えない」』である。「福岡の事件」とは、「発達障害」の子どもを矯正施設に監禁して暴力を振るっていたことである。その法人の理事長らは、「暴力によって子どもの問題行動を改善できる」というセミナーを開いて、矯正施設に有料で子どもを預ける親を勧誘していた。

「発達障害」と「家庭内暴力」とはまったく別の次元の問題である。「発達障害」の子は社会に適合していくのに不利な特性を生まれつき持っており、親はその子を社会のいじめから守って育てる必要がある。うまく育てれば、親子の愛は普通の親子より強く、幸せな人生を送れる。私はそのお手伝いをNPOで行ってきて、幸せな家庭をいくつも見てきている。

「家庭内暴力」は親子間のコミュニケーションの失敗から生まれる。発達障害の子どもでなくても「家庭内暴力」が生まれる。本来、親のほうが人生経験があるのだから、親子間のコミュニケーションに関しては、親のほうが気をつけていただけたらと願う。いったん壊れた親子関係の修復はとても大変である。大変でも修復できる。ひどくなる前に、私でなくても、誰かに相談していただければと思う。

記事では、<長男(3歳)は2歳になってすぐに「自閉症スペクトラム」と診断された。遊びを切り上げたり、風呂に入らせようとしたり、気にいらないことをさせると悲鳴のような声で泣き叫ぶ。ひどいときは、硬い部分を選んで頭を打ち付け続ける。やめさせようと抱きかかえると体をそらせて暴れる。騒ぎを聞いた近所から通報されないか、ひやひやしながら暮らす。>

「自閉スペクトラム症」と呼ぶのが通常だと思うが、長男が親に反抗することと、「自閉スペクトラム症」と無関係である。2、3歳に子どもが親に反抗する。いわゆる「いやいや病」である。つよく反抗しているだけで、私もそういう子であったらしく、べつに異常なことではない。「遊びを切り上げ」させることは本当に必要なことなのか。母親は自分の幼児を自分の思うままに動かせるということを、この反抗期にはいったとき、スパーと諦めるべきである。諦めることが、子どもを人間として尊重することなのだ。

2005年に発達障害者支援法が成立し、翌年に施行された。法に基づき、2,3歳のころと、小学校入学直前に、発達障害の集団検診が行われるようになった。国は、集団検診だけをおこなって、後は知らないというわけにはいかない。制度上は、療育センターが子育てを指導を行うはずであった。10年前、発達障害と認定された親子は、ほぼ毎日、保育所の代わりに療育センターに通って子育ての仕方を学習できた。

幼児が親に反抗したとき、子どもの特性に応じて、どのような対応したらよいのか、療育センターで、子どもと遊びながら、学ぶのである。「発達障害」と言っても、子どもの特性はそれぞれ違うから、自分の子の特性に応じた対応の仕方を発見するのである。そして、さらにだいじなのは、親のお願いが何であるかを、反抗される前に、子どもに理解してもらうコミュニケーションの技術を学ぶのである。

現在は、発達障害と認定される子が多すぎて、そのような丁寧な指導を療育センターで行っていないようである。これは、福祉の問題であるから、子育ての丁寧な指導を国に求める権利が親にある。

学童期の子どもには、学校での支援に加え、放課後デイサービス(通称「放デイサービス」)がある。放課後、発達障害の子どもを預かって、心の成長を民間の法人が助けるという制度である。利用者の費用は親の収入に応じてきまり、地方自治体がサービスを行う法人に足りない経費を補填する。私のいるNPOでも放デイサービスを行っている。

記者には、発達障害者支援法がその法の目的に沿って施行されているかを、困っている保護者にインタビューして調査して欲しい。法の実施者は地方自治体であり、地方による格差が大きい。また、実際に現場で活動しているのは民間、または、半民間の法人である。法人による格差もあろう。また、どのような法的制度があるのか、知らない親も多く、福岡の事件のように、発達障害児を食いものにするビジネスに騙されてしまう。

子どもに暴力をふるって良いはずがない。子どもの気持ちは尊重すべきである。子どもの特性に合わせて、親子のコミュニケーションをとる技術を身につけて欲しい。

☆☆ 中川信子からのメッセージ ☆☆

「自分の子がほかの子と違っているのは、個性なんです。自分の子がどんな大人になるか、神様からもらった球根だと思って、どんな花が咲くか、楽しみにして、毎日毎日世話をしてください」(2015年 シンポジウム『よくわかる発達障害』の講演から)