元号法は、1979年に、民族派の運動団体の後押しで成立した。この民族派の運動団体は、現在、日本会議に引き継がれている。民族派が元号にこだわったのは、「天皇が時を支配する」という意味が、元号にあるから らしい。
天皇が時を支配するのは、たんなる象徴ではなく、行政サービスのあらゆるところで、この元号の使用が強制される。
天皇が変わるたびに、年号が変わるのなんて、不便でたまわらないし、日本だけで使用される。
時をはかる基準点は固定すべきである。世界で多くの人が使っている西暦で十分である。
それなのに、行政サービスで、元号の使用を強制するのは、個人崇拝を強要する全体主義国家を思い起こさせる。
皇太子徳仁(なるひと)が5月1日から天皇になるのだが、元号「令和」に合わせて、「令和」天皇と呼ばれる。書類に「令和××年」と書くのは、「令和天皇の即位××年」と書いていることになるのだ。
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元号「令和」の案を提出した識者の一人、中西進が、メディアに出てきて、はしゃいでいる。
九州の太宰府での「宴会」に32人の役人があつまったという、万葉集の32の和歌の漢文の前書きから、離れている2つの漢字を選んだという。
万葉集は、色々な階層のひとの和歌からなる。読み人知らずの相聞歌も少なくない。村の若者が男女に分かれて、伝えられてきた歌を、互いにうたって、きもちをたかめ、愛の行為に至ったのであろう。
万葉集の若者の喜びの歌から選ばず、役人の酒の宴の、しかも、漢文の前書きから、しかも、離れている、2つの漢字を選んだことを、90歳の国文学者の中西進は、自慢しているのだ。
この感覚が理解できない。
中西進は、また、辞書に「令とは善のことだと書いてあります。つまり令の原義は善です」という。どの辞書にそんなことが書いてあるのか。
2000年近く前の『説文解字』は、「令」の字が、人を集めるという上部と、ひざまずくという下部からなる「会意」である、と説明する。ひとを集めて命令するのが原義である。
甲骨文字の研究家、白川静は、下部はひざまずくだが、上部は礼冠で、神官がひざまずいて神意を聞くさま、と別の解釈をする。が、現在の「令」のイメージとは結びつかない。
諸橋轍次の『大漢和辞典』では、「令」の字の意味として、名詞・形容詞で19個の意味、動詞などで6個の意味を列挙しているが、名詞・形容詞の項の6番目に「よい」という意味をかかげている。これは、敬称や君主とふさわしい行い、という意味での「善い」のである。「令息」「令嬢」「令弟」「令妹」「令愛」は、いずれも、「よいしょ」するときの言葉で、中国で支配階級の力が強かったことによる。「不令」は「ふさわしい行いでない」という意味である。
面白いのは、諸橋は、12番目に「小もの」という意味を掲げている。笑ってしまう。
「善」の字は、『大漢和辞典』によれば、日本語の「よい」と同じく、幅広い意味がある。13個の意味が列挙されている。べつに、「道徳的」な意味ではない。
『説文解字』も白川静も、「善」の字が羊を使って争いを裁いたことから来て、神意に従うこと、と説明する。
白川静は『字統』に、羊を使った裁判について、『墨子』にもとづき、詳しく説明している。あらそう原告と被告がそれぞれ羊を差しだし、首の動脈を切り、先に異常を示した羊の持ち主が敗訴となる。このとき、敗訴した者は羊とともに皮袋に包まれ、水に流される。残酷な話である。
中西進は、令は「うるわしいという言葉です」という。これは、ますます不可解だ。「麗」の字は、角の美しい見事な鹿のことをいう。「令」が「麗」だというのは駄洒落なのか。
相聞歌は、民衆によって歌い継がれてきたもので、声にすると美しい響きをもつものが多い。国文学者の中西進は無理な言い訳をせず、読み人知らずの相聞歌から2文字ないし3文字選べばよかった。
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